いわゆる実証科学の黎明(れいめい)からも、疾(と)うに久しく、それによって齎(もたら)された恩恵の、それこそ測り知れないほどに、今日現代を隔世(かくせい)の感のさながらに、著(いちじる)しく変容もさせて、なお一向に止(とど)まるところを知らぬかの有様です。
しかし、その反面、科学に取って代わられては、すでに凌駕(りょうが)されたかにもある宗教の、その守勢一方の劣勢さからも明らかなように、人心の荒廃(こうはい)は、あの狂人が告(つ)げた「 神は死んだ 」 の叫びどおりにも、年々歳々ますます悪化の一途を辿(たど)るばかりにさえ案じられてなりません。
さても、わたしたちの行く末は、世界人類の向かう先は、はたしてどのようにもなりましょうか?
時代の進歩発展は、今や10年ひと昔かに、さらにもその長足の歩度を、容赦(ようしゃ)なくも速めるばかりです!
善かれ悪しかれ、勢いあまって、過度にも行きすぎてならないほどに!!
さてもはたしては、もはや激流と化した昨今の時勢を、一体誰が、どのようにも制御(せいぎょ)しうるとされるのでしょうか?
それこそ、その時々の岐路(きろ)に立たされては、世界のみならず、個々人並びにあなたご自身は、どの途(みち)こそを、正しくも選択しうるというのでしょう?
何を大げさな・・・などと、暢気(のんき)に構えて済まされないほどに、もはや世界は、あなたご自身のすぐ身近にあるのです。
あなたの命運が、世界の命運にも直結し、世界のそれが、あなたご自身の、そのものにも他ならないのです!
誰一人として、われ関せずの部外者然としてなど、到底していられないのです!!
例えば、自暴自棄(じぼうじき)のその果てに、自殺覚悟の無差別殺人の凶行さえが、再々痛ましくも繰り返されて止(や)みません。
それをあなたは、単なる他人事と片付けられますか?
犠牲になられた方々が、何ゆえに尊い命を、奪われずに措(お)かれなかったのか?
偏(ひとえ)に犯人の愚行の故(ゆえ)、とばかりに済まされましょうか?