現代社会の光と影 1
は じ め に
本編に始まる、一連の連載になる本シリーズは、現代社会を、人類史観の下に位置付け、その光と影の両面を、様々な史実並びに事象ごとにも、明らかにするものです。
その意図するところは、とかく勝者本位で偏(かたよ)りがちな従来(じゅうらい)の歴史観を糺(ただ)し、様々な世界観の相違の葛藤(かっとう)になる誤りや偏りを、一貫した人類史観を通して、本来あるべき公正にして客観的な世界観として改め正すことにあります。
わたしたち人類にとっての、いわゆる究極の目標が、世界統一になる恒久的平和共存・共栄にあるからには、その目指されるべき至高の高みより、いわば俯瞰(ふかん)するかに、歴史を改めても顧(かえり)み、来し方行く末の時代時代の、史実とされる事々を、再考察・再評価、並びに再定義することの、何事につけ既(すで)に地球規模の現代にあっては、はや遅きに失するばかりにも、喫緊(きっきん)にして当然にして為(な)されて然(しか)るべきことであり、かつ欠くべからざるほどに、この上なくも大いに意義深くもあるのですから。
いわゆる実証科学の黎明(れいめい)からも、疾(と)うに久しく、それによって齎(もたら)された恩恵の、それこそ測り知れないほどに、今日現代を隔世(かくせい)の感のさながらに、著(いちじる)しく変容もさせて、なお一向に止(とど)まるところを知らぬかの有様です。
しかし、その反面、科学に取って代わられては、すでに凌駕(りょうが)されたかにもある宗教の、その守勢一方の劣勢さからも明らかなように、人心の荒廃(こうはい)は、あの狂人が告(つ)げた「 神は死んだ 」 の叫びどおりにも、年々歳々ますます悪化の一途を辿(たど)るばかりにさえ案じられてなりません。
さても、わたしたちの行く末は、世界人類の向かう先は、はたしてどのようにもなりましょうか?
時代の進歩発展は、今や10年ひと昔かに、さらにもその長足の歩度を、容赦(ようしゃ)なくも速めるばかりです!
善かれ悪しかれ、勢いあまって、過度にも行きすぎてならないほどに!!
さてもはたしては、もはや激流と化した昨今の時勢を、一体誰が、どのようにも制御(せいぎょ)しうるとされるのでしょうか?
それこそ、その時々の岐路(きろ)に立たされては、世界のみならず、個々人並びにあなたご自身は、どの途(みち)こそを、正しくも選択しうるというのでしょう?
何を大げさな・・・などと、暢気(のんき)に構えて済まされないほどに、もはや世界は、あなたご自身のすぐ身近にあるのです。
あなたの命運が、世界の命運にも直結し、世界のそれが、あなたご自身の、そのものにも他ならないのです!
誰一人として、われ関せずの部外者然としてなど、到底していられないのです!!
例えば、自暴自棄(じぼうじき)のその果てに、自殺覚悟の無差別殺人の凶行さえが、再々痛ましくも繰り返されて止(や)みません。
それをあなたは、単なる他人事と片付けられますか?
犠牲になられた方々が、何ゆえに尊い命を、奪われずに措(お)かれなかったのか?
偏(ひとえ)に犯人の愚行の故(ゆえ)、とばかりに済まされましょうか?