小説家は、言語を使って娯楽を創造します。その娯楽は、その時代の人たちに向けたものです。さらに、性別や年代も考慮しています。当然、娯楽の創造ですから、因果律を基礎とする理論ではありません。
では、理論ではないから、科学性はない、といえるでのしょうか?小説は、架空の世界を描いていますから、確かに、具体的な科学性はないのです。ところが、小説には、科学性が潜んでいるんです。
それでは、どんな科学性が存在しているのでしょうか?それは、”存在の論理”なのです。ほとんどの小説家は、無意識に、この存在の論理を書き続けているのです。
以前にも述べましたが、存在の論理を簡単に言えば、表を認識した時、”同時に”、裏が存在する。作用と”同時に”反作用が存在する。有限は無限を内包し、同時に、無限は有限を内包する。この「同時に」という点が重要なのです。
当然、喜怒哀楽にも「存在の論理」が内在します。だから、小説家は、作品を創造し続けるのです。小説家は、科学者ではありません。単なる、芸術家です。だから、実用性のある理論は展開しません。
では、小説家は、何をやっているかというと、だれにも存在する”心における存在の論理”を、読者にわかりやすく、架空の世界を通して表現しているのです。ミステリー小説や恋愛小説は、典型的な作品なのです。
AI小説家
小説に”吾輩は猫である”がありますが、これは、だれが書いたのでしょうあか?天才猫が書いたのでしょうか?猫を取材した夏目漱石が書いたのでしょうか?夏目漱石を名乗った幽霊が書いたのでしょうか?
おそらく、夏目漱石自身が書いたのでしょうが、彼は、喜怒哀楽のある人間です。小説は、人間が書くものなのです。これは、疑う余地がありません。でも、小説は、AIでも書くことができるのです。
では、人間が書いた小説とAIが書いた小説は、どのように違うのでしょうか?AIが書く小説は、技術的な組み合わせで行います。喜怒哀楽の因果律を基に、小説家が創作した文を組み合わせるのです。