小説の未来(22)

 娯楽というものには、観念的なものもあります。宗教も娯楽の一つなのです。ほかには、薬物もあります。誰もが知っている麻薬です。また、競馬、競艇、などの博打も娯楽です。

 

 

 人は、喜怒哀楽がある限り、娯楽を創造し、娯楽を享受しながら生きているのです。また、人それぞれの喜怒哀楽の違いが、娯楽の創造の原動力となっているのです。今では、数えきれないほどの様々な娯楽があります。

 

 

 これだけたくさんある娯楽アイテムの中で、今後も、小説は娯楽となりうるのでしょうか?仮に、今、小説がなくなったとして、他の娯楽を享受して、人は生きていけるのでしょうか?おそらく、問題は起きないでしょう。

 

             人間小説家

 

 小説娯楽が必要とされなくなれば、必然的に、小説家は必要なくなります。将来的に、小説家は、消滅するのでしょうか?思うに、小説が、娯楽として必要とされなくなっても、小説家は存在すると思います。

 

 

 一般的に、小説は、公開される作品です。この作品は、だれのためのものでしょうか?他人が読むためのものです。確かに、小説家は、読んでもらえることを前提に書きます。もし、だれも読まなくなれば、小説家は、小説を書かなくなるのでしょうか?

 

 

 当然、販売を目的としている職業作家は、激減するでしょう。あくまでも個人的な推測ですが、販売を目的としていない作家は、読者がいなくなっても、書き続けると思います。

 

 というのは、小説を書くということは、他人のためであり、自分のためでもあるからです。以前、自分を知るために、小説を書いてほしいと述べました。小説を書くということは、娯楽を提供する文筆活動だけでなく、自分を理解するための文筆活動でもあるのです。

 

 

 小説家は、娯楽作品を創造する芸術家です。だから、その時代においてどのような作品が娯楽となりうるかを知らなければなりません。そういう意味では、小説家は、時代を認識する科学者でもあります。

 

 

 小説家は、時代と密接なかかわりを持っています。そのことは、とても重要なことで、小説からその時代を知ることにもなるのです。だから、小説は、娯楽作品であると同時に、歴史遺産でもあるのです。

 

 

 小説家は、言語を使って娯楽を創造します。その娯楽は、その時代の人たちに向けたものです。さらに、性別や年代も考慮しています。当然、娯楽の創造ですから、因果律を基礎とする理論ではありません。

 

 

 では、理論ではないから、科学性はない、といえるでのしょうか?小説は、架空の世界を描いていますから、確かに、具体的な科学性はないのです。ところが、小説には、科学性が潜んでいるんです。

 

 

 それでは、どんな科学性が存在しているのでしょうか?それは、”存在の論理”なのです。ほとんどの小説家は、無意識に、この存在の論理を書き続けているのです。

 

春日信彦
作家:春日信彦
小説の未来(22)
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