対馬の闇Ⅳ

 ひろ子は、泣き崩れている二人の写真を指差し、つぶやいた。「この試合の時、大事件が起きたの」大事件と聞いた瑞恵は、身を乗り出した。「え、大事件ですか?どんな?」大事件といっても噴き出すような事件だった。「聞きたい?まったく、バカげた事件よ。聞いたら、大笑いするから」そこまで言われたら聞かずにはいられなかった。「聞かせてくださいよ。もったいぶらなくても、いいじゃないですか?」ひろ子は、高校時代を思い出していた。「みずえさんは、中学生だったから、覚えてないかもね。出口君のズル休み」瑞恵は、思い出せなかった。「ズル休みなんか、してないと思うけど」ひろ子は、瑞恵の顔を見つめ話し始めた。「それが、大問題になったズル休みなのよ。話せば、ちょっと長くなるんだけど、いい思い出だから話すね」瑞恵は、目を輝かせてひろ子を見つめた。ひろ子は、脳裏のスクリーンにコートを駆け回る青春時代を映し出した。

 

 ひろ子は、一呼吸置くと話し始めた。「私のペアは、県大会に出たのよ。その会場は、佐世保市の総合グランドだったの。結果は、奇跡的にベスト8に入ってね。それは、うれしいことだったんだけど、この試合の応援に来ていた、とんでもない野球部の3人組がいたのよ。その中の一人が、出口よ。出口から後になって話を聞いたんだけど、そもそも、言い出しっぺは、長嶋っていう金持ちのヤンキーみたいなやつ。ビューティーペアの応援に行こうと言い出したんだって。出口は、旅費がかかるから、行かないと言ったらしいんだけど、お金の心配はしなくていい、俺のオヤジが出してくれるから、って言って、出口は誘いに乗ったらしいの。月曜の早朝、親には朝練があると言って家を出て、3人は、長嶋のオヤジのお抱え運転手に乗せてもらって、空港に行ったらしいの。そう、長嶋のオヤジは、市会議員の議長といってた」

 

 面白くなってきた話に何度もうなずき瑞恵は、聞き入っていた。「お兄ちゃんも、いい加減なやつね」ひろ子は、ニコッと笑顔を作って、話を続けた。「応援に来てくれたのはいいけど、ズル休みじゃない。それが、誰かにチクられて、ばれたのよ。それからが、大変よ。教頭は、カンカンになって、野球部は何をやってるんだ。3人は、停学処分にする、と武田監督に言い放ったのよ。監督も仮病を使ったのは、よくないと思ったらしいけど、応援に行ったことは、悪くはないと思ったらしいの。それで、監督は、停学処分はひどすぎると思い、嘘をついて、この場を切り抜けたの。なんと、監督自らが、応援に行くように指示した、って言ったらしいのよ。そうなれば、監督が責任を取らなければならないでしょ。監督は、自分が責任を取ります。監督をやめます、と言い放ったんだって。教頭は、嘘を言ってるとわかっていても、監督自ら、責任を取るといわれれば、教頭まで、責任問題になるじゃない。結局、停学処分は、取り消されたんだって」

 

 瑞恵は、目をパチクリさせて、うなずいていた。「ということは、お兄ちゃんが、警察官になれたのは、武田監督のおかげってことね。停学にでもなっていたら、警官になれなかったかも」ひろ子は、大きくうなずき、返事した。「そうなのよ。その時、監督は、生徒の将来のことを考えたと思うの。停学ってことになれば、その生徒は、不良というレッテルを張られるじゃない。それでは、就職に不利になると考えたのよ。さすが、武田監督ね」瑞恵は、何度もうなずき、感心したような表情で返事した。「武田監督って、顔は、アホみたいだけど、すごい人なんだね。教師のかがみってやつね。青春ドラマの教師みたいね」ひろ子は、ワハハ~と笑い声をあげた。「武田監督のおかげで、警官になれたようなものかもしれないけど、警官にならなければ、死ななくてもよかったかも。なんだか、出口って、運のないやつ」

 

 突然、呼び出し音がした。瑞恵は、飛び上がって、返事に向かった。しばらくして、インターホンが鳴ると瑞恵は玄関にかけていき、出前を受け取った。「ひろ子さん、やっと食べられますよ。さあ、どうぞ」盛り合わせの寿司をテーブルに置いた。お腹がすいていた二人は、あっという間に、3人前をたいらげた。ご馳走になって、さっさと帰るのは、気が引けたが、帰宅することにした。「今度は、私が、おごるから。もう帰らないと。長居しちゃって、ごめんね」瑞恵は、顔を左右に振った。「とんでもない、ひろ子さんとお話しできて、気持ちがすっきりしました。また、是非、遊びに来てください」ひろ子は、自宅のマンションに戻り、大野巡査からの電話を待った。

 

            スパイ

 

 大野巡査と連絡を取ったひろ子は、10月13日(日)ひろ子の実家で会う約束をした。というのも、大野が、是非、ビヨンドを見たいと言ったからだ。約束の午後2時少し前に、大野巡査はシルバーのスズキアルトに乗ってやってきた。出迎えたひろ子は、早速、ビヨンドのいる犬部屋に案内した。「この犬、ビーグルの麻薬探知犬。若いころは、バリバリの名犬だったらしいけど、今は、認知症になって、ご覧の通り。いつも、寝てばっかり。世話は、父がしてくれてるから、安心。父は、犬が大好きなのよ。だから、飼うことにしたの」大野も、犬が大好きだった。たとえ、老犬でも、麻薬探知犬と聞いて、ぜひ見たいと言ったのだ。「かなり弱ってるみたいですね。年なんでしょうかね。でも、どうして、こんな老犬を」ひろ子は、苦笑いして、話を濁した。「ちょっと、訳があってね。お茶でも入れるわね。キッチンに行きましょう。母も姉も出かけてるから、気兼ねしなくていいわよ」二人は、キッチンに向かった。

 

 お茶を出したひろ子は、大野の前に腰掛けた。ひろ子は、一呼吸おいて話し始めた。「今日は、大野巡査にお願いしたいことがあってね。そう、沢富さんという方がいるでしょ。彼ね、知り合いなの。黙っていて、ごめんね。彼も、もうしばらくしたら、来るはず」大野は、沢富警部補の知り合いと聞いて、緊張してしまった。「え、お知り合いなんですか?まさか、ひろ子さんも、デカってことはないでしょうね」ひろ子は、クスクスと小さな笑い声をあげた。「デカって顔じゃないでしょ。ただのタクシー運転手。沢富さんとは、福岡で知り合ったの。早速、お願いなんだけど」大野は、即座に、口をはさんだ。「お願いされても、できることと、できないことがあります。あまり期待しないでください」

 

 ひろ子は、小さくうなずき話を続けた。「お願いというのは、ちょっとした、スパイをやってほしいの。近々、警部のレクサスか、警部補のクラウンが福岡に行くはずなのよ。運転手は、おそらく、須賀巡査長のはず。そこで、福岡に行く日時を知らせてほしいの。当然、巡査長は、極秘で福岡に向かうはず。だから、うまく、巡査長から情報を取ってほしいの。やってもらえる?」大野は、顔をしかめた。極秘で行くようなことを部下に話すはずがない。無理なお願いだと思えた。「ちょっと待ってください。巡査長は、極秘に福岡に行くわけですよね。そんな極秘事項を部下に漏らすはずがないじゃないですか。無理です。僕にはできません」

 

 頑なな断りに一瞬ひるんでしまったが、ひろ子は、食い下がった。「それはわかっているのよ。無理を承知でお願いしてるの。とにかく、やってほしいの。これは、出口巡査長の事故死にかかわっている可能性があるの。お願い、やるだけ、やってみて」出口巡査長の事故死にかかわっていると聞いて、理由を知りたくなった。「どういことですか?どんなかかわりが、あるっていうんですか?納得のいく説明を聞けば、考えてもいいです」ひろ子は、車に麻薬が詰め込まれているとは言えなかった。そんなことを言えば、どこからそんな情報を得たかを聞かれるに違いなかったからだ。「理由といっても、そう、出口巡査長も、何度かクラウンで福岡に行ったみたいなの。だから、福岡行が、事件にかかわっているんじゃないかと思ったの」大野は、首をかしげて悩んでる様子だった。「そういわれても、どうやって聞き出せばいいんですか?極秘事項を部下になんか話しませんよ」

 

 ひろ子は、とにかく食い下がることにした。「須賀巡査長と大野巡査は、野球部の先輩後輩でしょ。だったら、話すきっかけも作れるんじゃない。お酒を飲みながら、レクサス、クラウンの話を持ち出して、聞き出すとか?男同士の話ってあるんじゃない。やってくれない。大野巡査にしか、頼める人はいないのよ。お願い、やって。この通り」ひろ子は、両手を合わせて、頭を下げた。大野巡査は、たとえ引き受けたとしても極秘情報を入手できる自信がなかった。「そう、お願いされてもですね~。ムリなものはムリですよ。それに、須賀巡査長は、お酒飲まないし。趣味は、野球と最近始めたゴルフって言ってましたから。そんなに、福岡行を知りたければ、厳原港で毎日車をチェックされたらいいじゃないですか、一台一台。レクサスとクラウンの車番はわかっていることだし。それがいいですよ」

 

 確かに、毎日、一台一台チェックすればいいかもしれないが、現実的に無理だと思えた。いったい、だれがそんな大変なことをやるの、と言いたかった。今、現実的にやれることは、大野巡査の情報収集だと訴えたかった。「でも、毎日、一台一台チェックするなんて、そんなこと、現実的に無理じゃない。お願い、とにかく、やってよ。それじゃ、ゴルフに誘って、ラウンドしながら、情報を聞き出すってのはどう?意外と、うまくいくかもよ。やってみてよ。ダメもとでいいから」大野巡査は、ゴルフといわれても、打ちっぱなしにも行ったこともなく、ゴルフクラブも持っていなかった。これこそ、無理な話だと思った。「あのですね~、ゴルフが趣味なのは、須賀巡査長であって、僕ではありません。僕は、一度も、ゴルフをやったこともないし、ゴルフクラブも持っていません。そんな、無茶なことを言わないでください。だから、ムリって言ってるじゃないですか。まったく、ひろ子さんも、しつこいですね」

 

春日信彦
作家:春日信彦
対馬の闇Ⅳ
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