対馬の闇Ⅳ

            スパイ

 

 大野巡査と連絡を取ったひろ子は、10月13日(日)ひろ子の実家で会う約束をした。というのも、大野が、是非、ビヨンドを見たいと言ったからだ。約束の午後2時少し前に、大野巡査はシルバーのスズキアルトに乗ってやってきた。出迎えたひろ子は、早速、ビヨンドのいる犬部屋に案内した。「この犬、ビーグルの麻薬探知犬。若いころは、バリバリの名犬だったらしいけど、今は、認知症になって、ご覧の通り。いつも、寝てばっかり。世話は、父がしてくれてるから、安心。父は、犬が大好きなのよ。だから、飼うことにしたの」大野も、犬が大好きだった。たとえ、老犬でも、麻薬探知犬と聞いて、ぜひ見たいと言ったのだ。「かなり弱ってるみたいですね。年なんでしょうかね。でも、どうして、こんな老犬を」ひろ子は、苦笑いして、話を濁した。「ちょっと、訳があってね。お茶でも入れるわね。キッチンに行きましょう。母も姉も出かけてるから、気兼ねしなくていいわよ」二人は、キッチンに向かった。

 

 お茶を出したひろ子は、大野の前に腰掛けた。ひろ子は、一呼吸おいて話し始めた。「今日は、大野巡査にお願いしたいことがあってね。そう、沢富さんという方がいるでしょ。彼ね、知り合いなの。黙っていて、ごめんね。彼も、もうしばらくしたら、来るはず」大野は、沢富警部補の知り合いと聞いて、緊張してしまった。「え、お知り合いなんですか?まさか、ひろ子さんも、デカってことはないでしょうね」ひろ子は、クスクスと小さな笑い声をあげた。「デカって顔じゃないでしょ。ただのタクシー運転手。沢富さんとは、福岡で知り合ったの。早速、お願いなんだけど」大野は、即座に、口をはさんだ。「お願いされても、できることと、できないことがあります。あまり期待しないでください」

 

 ひろ子は、小さくうなずき話を続けた。「お願いというのは、ちょっとした、スパイをやってほしいの。近々、警部のレクサスか、警部補のクラウンが福岡に行くはずなのよ。運転手は、おそらく、須賀巡査長のはず。そこで、福岡に行く日時を知らせてほしいの。当然、巡査長は、極秘で福岡に向かうはず。だから、うまく、巡査長から情報を取ってほしいの。やってもらえる?」大野は、顔をしかめた。極秘で行くようなことを部下に話すはずがない。無理なお願いだと思えた。「ちょっと待ってください。巡査長は、極秘に福岡に行くわけですよね。そんな極秘事項を部下に漏らすはずがないじゃないですか。無理です。僕にはできません」

 

 頑なな断りに一瞬ひるんでしまったが、ひろ子は、食い下がった。「それはわかっているのよ。無理を承知でお願いしてるの。とにかく、やってほしいの。これは、出口巡査長の事故死にかかわっている可能性があるの。お願い、やるだけ、やってみて」出口巡査長の事故死にかかわっていると聞いて、理由を知りたくなった。「どういことですか?どんなかかわりが、あるっていうんですか?納得のいく説明を聞けば、考えてもいいです」ひろ子は、車に麻薬が詰め込まれているとは言えなかった。そんなことを言えば、どこからそんな情報を得たかを聞かれるに違いなかったからだ。「理由といっても、そう、出口巡査長も、何度かクラウンで福岡に行ったみたいなの。だから、福岡行が、事件にかかわっているんじゃないかと思ったの」大野は、首をかしげて悩んでる様子だった。「そういわれても、どうやって聞き出せばいいんですか?極秘事項を部下になんか話しませんよ」

 

 ひろ子は、とにかく食い下がることにした。「須賀巡査長と大野巡査は、野球部の先輩後輩でしょ。だったら、話すきっかけも作れるんじゃない。お酒を飲みながら、レクサス、クラウンの話を持ち出して、聞き出すとか?男同士の話ってあるんじゃない。やってくれない。大野巡査にしか、頼める人はいないのよ。お願い、やって。この通り」ひろ子は、両手を合わせて、頭を下げた。大野巡査は、たとえ引き受けたとしても極秘情報を入手できる自信がなかった。「そう、お願いされてもですね~。ムリなものはムリですよ。それに、須賀巡査長は、お酒飲まないし。趣味は、野球と最近始めたゴルフって言ってましたから。そんなに、福岡行を知りたければ、厳原港で毎日車をチェックされたらいいじゃないですか、一台一台。レクサスとクラウンの車番はわかっていることだし。それがいいですよ」

 

 確かに、毎日、一台一台チェックすればいいかもしれないが、現実的に無理だと思えた。いったい、だれがそんな大変なことをやるの、と言いたかった。今、現実的にやれることは、大野巡査の情報収集だと訴えたかった。「でも、毎日、一台一台チェックするなんて、そんなこと、現実的に無理じゃない。お願い、とにかく、やってよ。それじゃ、ゴルフに誘って、ラウンドしながら、情報を聞き出すってのはどう?意外と、うまくいくかもよ。やってみてよ。ダメもとでいいから」大野巡査は、ゴルフといわれても、打ちっぱなしにも行ったこともなく、ゴルフクラブも持っていなかった。これこそ、無理な話だと思った。「あのですね~、ゴルフが趣味なのは、須賀巡査長であって、僕ではありません。僕は、一度も、ゴルフをやったこともないし、ゴルフクラブも持っていません。そんな、無茶なことを言わないでください。だから、ムリって言ってるじゃないですか。まったく、ひろ子さんも、しつこいですね」

 

 この程度の抵抗で引き下がるひろ子ではなかった。「だったら、ゴルフを始めればいいじゃない。クラブは、こっちで用意するから。そうだ、沢富さんね、下手の横好きらしくて、打ちっぱなしには、何度か行ったことがるって言ってた。三人で、打ちっぱなしに行ったらいいじゃい。ワイワイ、ヘタクソ同士で話しているうちに、情報が取れるかも。これは、名案。沢富さんが、来たら、お願いしてあげるから。いいでしょ」大野巡査もここまでしつこくされると根負けしてしまった。「わかりました。ちゃんと、ゴルフクラブを用意してくれるんですね。沢富警部補も一緒ならいいです。沢富警部補に、情報収集頼みますから。ベテランなんだし、僕より、上手だと思いますよ。最初から、沢富警部補に頼めばよかったんですよ」ひろ子は、大野巡査の機嫌を損ねたようでちょっと気まずくなった。

 

 野球部の先輩後輩だからこそ、話が弾むことを強調した。「そう、言わないでよ。さっきも言ったように、野球部の先輩後輩だからこそ、腹を割って話せるってことがあるじゃない。そこを期待してお願いしてるのよ。へそを曲げず、協力してよ。もし協力してくれたら、大野巡査の出世を約束するから。嘘じゃない」調子のいいことを言って、利用しようとしていることに腹が立った。「また、また、そんな、おだてに乗りませんよ。ひろ子さんに、どんな力がるっていうんです。県警本部に親戚でもいるんですか?」ひろ子は、そう具体的に問い詰められると困ってしまった。「親戚はいないけど。警察庁に知り合いがいるのよ。嘘じゃない。信じて」これ以上、ひろ子と口論したくなかった。出口巡査長の事件解明に役立つのなら、引き受けてもいいと思った。「わかりました。とにかくやってみます。でも、期待しないでください。無理と思いますから」

 

 真っ赤になった大野巡査の顔をまじまじと見ていると、ピンポン、ピンポンというインターホンの音が響いてきた。ひろ子は、助け舟がやってきたとホッとした。「沢富さんだわ」ひろ子は、即座に、玄関にかけていった。ひろ子は、沢富に話の経過をかいつまんで話した。話を聞いた沢富は、笑顔でキッチンにやってきた。「よ~、大野巡査。頼りになるとは聞いていたが、やってくれるそうじゃないか。さすが、男の中の男だ。野球部のエース」ちょっと、お世辞を言われた大野は、照れくさそうに返事した。「いや、まあ、やってみますけど、期待しないでください。沢富さんも一緒に、打ちっぱなしに行ってくれるんでしょうね。僕は、やったことがないんですから」沢富は、うなずき返事した。「もちろんさ。クラブも貸してあげるし、打ちっぱなしの料金も払ってあげるさ。大野君は、須賀君と気持ちよく、遊んでもらえればいい」

 

 

  沢富の言葉を聞いて、少しは、ホッとした。おそらく、極秘情報の入手は、無理だとは思ったが、協力すれば、何かいいことがるように思えた。「沢富警部補、協力するからには、将来のこと頼みますよ。ひろ子さんが、出世を約束してくれたんですから」ちょっと、ムキになって念を押した。沢富は、うなずき、快く返事した。「わかってるさ。来春には、僕は、警察庁に戻る。でも、長崎県警本部には、君のことを持ち上げておくから。協力頼む」大野巡査は、沢富警部補の今の言葉を聞いて、未来が開けた心持になった。「よっしゃ~。任せてください。須賀巡査長は、野球部の先輩です。きっと、僕にだったら、話してくれるような気がしてきました。ところで、沢富警部補は、ひろ子さんとは、どういうご関係で?」沢富は、ちょっと気まずそうな表情でひろ子を見つめた。ひろ子は、この際、二人の関係を打ち明けたほうが、より信用されるような気になった。

 

 ひろ子が、ニコッと笑顔を作って話し始めた。「実は、付き合ってるの。そういう関係」大野巡査は、そうではないかと直感していた。「やっぱり。そうじゃないかと思っていたんです。なんとなく。そうか、ひろ子さんは、沢富警部補の転勤に、ついてこられたってわけですね。それじゃ、近々、ご結婚ですね。いいよな~、僕も、結婚したいな~」ひろ子は、瑞恵の気持ちを伝えることにした。「あら、大野さんも彼女がいるじゃないですか。隠さなくてもいいのに」大野巡査は、激しく顔を左右に振った。「ナニ、言ってるんです。僕なんかに、彼女はできません。女性は、苦手なんです。沢富警部補に、ゴルフより、女性の口説き方を習いたいくらいです。あ~~、僕は、ダメな男なんです」ひろ子が、間髪入れずに返事した。「近くにいるんじゃないの?ほら、みずえさん。お似合いだと思うけど」

 

 瑞恵とは、先日あったばかりで、彼女ではなかった。「何言ってるんですか。みずえさんとは、先日、初めて会ったにすぎません。彼女ではないですよ。みずえさんが、怒りますよ」ひろ子は、ワハハ~と笑い声をあげた。「何言ってるのよ。一度会えば、十分なのよ。女心ってそういうもの。アタックしたら。きっと、うまくいくから。男なら、ド~~ンと押してみないと。エースでしょ。みずえさん、大野さんを待っているから。女の直感は、当たるんだから」そういわれると単純な大野巡査は、マジに受け取ってしまった。「そうですか。それじゃ、ひろ子さんの言葉を信じて、アタックしてみます。沢富警部補、こっちのほうも、協力してくださいよ」沢富は、大きくうなずき、笑顔で返事した。「よっしゃー!大船に乗った気持ちで、みずえさんに、アタックするがいい」大野巡査の能天気な脳裏のスクリーンには、バージンロードを厳かに歩く、純白のウエディングドレスをまとった新婦と腕を組んだタキシードの新郎の姿が、映し出されていた。

 

 

春日信彦
作家:春日信彦
対馬の闇Ⅳ
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