対馬の闇Ⅳ

 時刻は午後1時を過ぎていた。ひろ子は、立ち上がり挨拶した。「もう、こんな時間。ケーキ、ごちそうさまでした。帰らないと」瑞恵は、またもや、引き留めた。「お昼、まだでしょ。一緒に食べましょうよ。いつも、一人なんです。彼氏、いないし。いいでしょ。何か、急ぎの用でもあるんですか?」ひろ子は、即座に返事した。「別に、ないけど」瑞恵が、ポンと手を打って笑顔で返事した。「何、食べます。お寿司、取りましょうか?すぐ近くに、お寿司屋があるんです。よく、取るんです」ケーキの次は、お寿司じゃ、図々しいように思えたが、帰って一人で食べるのも味気ないと思い、この際、お言葉に甘えることにした。「そお、それじゃ、いただこうかしら」瑞恵は、即座に、出前の注文を取った。「30分くらいかかるそうです。そうだ、アルバム持ってきますね」瑞恵は、自分の部屋にかけていった。両手に分厚いアルバムをもって笑顔で戻ってくると、ひろ子の右横にポンと置いた。

 

 瑞恵は、アルバムをはさむように腰掛け、アルバムを開いた。そこには、マウンドに立っている出口巡査長のユニフォーム姿がった。瑞恵は、寂しそうに話し始めた。「これ、お兄ちゃん。かっこよかったな~。写真見てると、死んだのが嘘みたい。お兄ちゃんのつぶやきが聞こえてくるんです。”よし。抑えてやる。任せとけ”って。今でも、信じられない」ひろ子も写真を見ていると出口の死が嘘のように思えた。突然、オ~~、と叫んで、ドカ~~と開けたドアから、浅黒い出口の顔が現れるような思いがした。「そうね、エースだったな~。かっこよかった」ページを繰ると、ひろ子のユニフォーム姿が現れた。ひろ子は、叫んだ。「え、これって、私じゃない。なんで、こんなに」瑞恵も最初見た時、ひろ子のたくさんの写真にびっくりした。「お兄ちゃんたら、ひろ子さんのファンだったみたい。うわさに聞いたんだけど、ひろ子さんのペア、ビューティーペア、って言われていたんでしょ」

 

 ひろ子は、出口に盗撮の趣味があるとは夢にも思わなかった。男子は、見かけによらず、ドエッチだと思った。「ちょっと、これって、盗撮じゃない。いやね~。まったく」瑞恵は、クスクス笑い始めた。「男子って、こんなものよ。いいじゃないですか。男子に人気があって。お兄ちゃんは、ひろ子さんが好きだったのよ。こんなにたくさん、よく撮ったものね」瑞恵は、ハハハハハ~~と大声で笑った。ひろ子は、恥ずかしくなったが、部活の写真に改めて見入ってしまった。というのも、部活の写真は、部員の集合写真しか持っていなかったからだ。特に見入ったのは、県大会ベスト8の数枚の写真だった。その試合は、最終ゲームまでもつれて、ひろ子のスマッシュがアウトになり、ゲームセット。ベスト4進出はならなかった。さゆりと抱き合って泣いている姿の写真に見入っていると、あの県大会での大事件を思い出した。

 

 

 ひろ子は、泣き崩れている二人の写真を指差し、つぶやいた。「この試合の時、大事件が起きたの」大事件と聞いた瑞恵は、身を乗り出した。「え、大事件ですか?どんな?」大事件といっても噴き出すような事件だった。「聞きたい?まったく、バカげた事件よ。聞いたら、大笑いするから」そこまで言われたら聞かずにはいられなかった。「聞かせてくださいよ。もったいぶらなくても、いいじゃないですか?」ひろ子は、高校時代を思い出していた。「みずえさんは、中学生だったから、覚えてないかもね。出口君のズル休み」瑞恵は、思い出せなかった。「ズル休みなんか、してないと思うけど」ひろ子は、瑞恵の顔を見つめ話し始めた。「それが、大問題になったズル休みなのよ。話せば、ちょっと長くなるんだけど、いい思い出だから話すね」瑞恵は、目を輝かせてひろ子を見つめた。ひろ子は、脳裏のスクリーンにコートを駆け回る青春時代を映し出した。

 

 ひろ子は、一呼吸置くと話し始めた。「私のペアは、県大会に出たのよ。その会場は、佐世保市の総合グランドだったの。結果は、奇跡的にベスト8に入ってね。それは、うれしいことだったんだけど、この試合の応援に来ていた、とんでもない野球部の3人組がいたのよ。その中の一人が、出口よ。出口から後になって話を聞いたんだけど、そもそも、言い出しっぺは、長嶋っていう金持ちのヤンキーみたいなやつ。ビューティーペアの応援に行こうと言い出したんだって。出口は、旅費がかかるから、行かないと言ったらしいんだけど、お金の心配はしなくていい、俺のオヤジが出してくれるから、って言って、出口は誘いに乗ったらしいの。月曜の早朝、親には朝練があると言って家を出て、3人は、長嶋のオヤジのお抱え運転手に乗せてもらって、空港に行ったらしいの。そう、長嶋のオヤジは、市会議員の議長といってた」

 

 面白くなってきた話に何度もうなずき瑞恵は、聞き入っていた。「お兄ちゃんも、いい加減なやつね」ひろ子は、ニコッと笑顔を作って、話を続けた。「応援に来てくれたのはいいけど、ズル休みじゃない。それが、誰かにチクられて、ばれたのよ。それからが、大変よ。教頭は、カンカンになって、野球部は何をやってるんだ。3人は、停学処分にする、と武田監督に言い放ったのよ。監督も仮病を使ったのは、よくないと思ったらしいけど、応援に行ったことは、悪くはないと思ったらしいの。それで、監督は、停学処分はひどすぎると思い、嘘をついて、この場を切り抜けたの。なんと、監督自らが、応援に行くように指示した、って言ったらしいのよ。そうなれば、監督が責任を取らなければならないでしょ。監督は、自分が責任を取ります。監督をやめます、と言い放ったんだって。教頭は、嘘を言ってるとわかっていても、監督自ら、責任を取るといわれれば、教頭まで、責任問題になるじゃない。結局、停学処分は、取り消されたんだって」

 

 瑞恵は、目をパチクリさせて、うなずいていた。「ということは、お兄ちゃんが、警察官になれたのは、武田監督のおかげってことね。停学にでもなっていたら、警官になれなかったかも」ひろ子は、大きくうなずき、返事した。「そうなのよ。その時、監督は、生徒の将来のことを考えたと思うの。停学ってことになれば、その生徒は、不良というレッテルを張られるじゃない。それでは、就職に不利になると考えたのよ。さすが、武田監督ね」瑞恵は、何度もうなずき、感心したような表情で返事した。「武田監督って、顔は、アホみたいだけど、すごい人なんだね。教師のかがみってやつね。青春ドラマの教師みたいね」ひろ子は、ワハハ~と笑い声をあげた。「武田監督のおかげで、警官になれたようなものかもしれないけど、警官にならなければ、死ななくてもよかったかも。なんだか、出口って、運のないやつ」

 

 突然、呼び出し音がした。瑞恵は、飛び上がって、返事に向かった。しばらくして、インターホンが鳴ると瑞恵は玄関にかけていき、出前を受け取った。「ひろ子さん、やっと食べられますよ。さあ、どうぞ」盛り合わせの寿司をテーブルに置いた。お腹がすいていた二人は、あっという間に、3人前をたいらげた。ご馳走になって、さっさと帰るのは、気が引けたが、帰宅することにした。「今度は、私が、おごるから。もう帰らないと。長居しちゃって、ごめんね」瑞恵は、顔を左右に振った。「とんでもない、ひろ子さんとお話しできて、気持ちがすっきりしました。また、是非、遊びに来てください」ひろ子は、自宅のマンションに戻り、大野巡査からの電話を待った。

 

            スパイ

 

 大野巡査と連絡を取ったひろ子は、10月13日(日)ひろ子の実家で会う約束をした。というのも、大野が、是非、ビヨンドを見たいと言ったからだ。約束の午後2時少し前に、大野巡査はシルバーのスズキアルトに乗ってやってきた。出迎えたひろ子は、早速、ビヨンドのいる犬部屋に案内した。「この犬、ビーグルの麻薬探知犬。若いころは、バリバリの名犬だったらしいけど、今は、認知症になって、ご覧の通り。いつも、寝てばっかり。世話は、父がしてくれてるから、安心。父は、犬が大好きなのよ。だから、飼うことにしたの」大野も、犬が大好きだった。たとえ、老犬でも、麻薬探知犬と聞いて、ぜひ見たいと言ったのだ。「かなり弱ってるみたいですね。年なんでしょうかね。でも、どうして、こんな老犬を」ひろ子は、苦笑いして、話を濁した。「ちょっと、訳があってね。お茶でも入れるわね。キッチンに行きましょう。母も姉も出かけてるから、気兼ねしなくていいわよ」二人は、キッチンに向かった。

 

 お茶を出したひろ子は、大野の前に腰掛けた。ひろ子は、一呼吸おいて話し始めた。「今日は、大野巡査にお願いしたいことがあってね。そう、沢富さんという方がいるでしょ。彼ね、知り合いなの。黙っていて、ごめんね。彼も、もうしばらくしたら、来るはず」大野は、沢富警部補の知り合いと聞いて、緊張してしまった。「え、お知り合いなんですか?まさか、ひろ子さんも、デカってことはないでしょうね」ひろ子は、クスクスと小さな笑い声をあげた。「デカって顔じゃないでしょ。ただのタクシー運転手。沢富さんとは、福岡で知り合ったの。早速、お願いなんだけど」大野は、即座に、口をはさんだ。「お願いされても、できることと、できないことがあります。あまり期待しないでください」

 

 ひろ子は、小さくうなずき話を続けた。「お願いというのは、ちょっとした、スパイをやってほしいの。近々、警部のレクサスか、警部補のクラウンが福岡に行くはずなのよ。運転手は、おそらく、須賀巡査長のはず。そこで、福岡に行く日時を知らせてほしいの。当然、巡査長は、極秘で福岡に向かうはず。だから、うまく、巡査長から情報を取ってほしいの。やってもらえる?」大野は、顔をしかめた。極秘で行くようなことを部下に話すはずがない。無理なお願いだと思えた。「ちょっと待ってください。巡査長は、極秘に福岡に行くわけですよね。そんな極秘事項を部下に漏らすはずがないじゃないですか。無理です。僕にはできません」

 

春日信彦
作家:春日信彦
対馬の闇Ⅳ
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