私たちは、記号やイメージを使って過去を認識します。だから、人にとっての過去とは、記号やイメージでしかないのです。当然、それらは、”脳機能の産物”でしかありません。
未来においても同じようなことが言えます。自分にとっての未来は、記号化されたも、もしくは、イメージ化されたものでしょう。当然、過去と違い、未来は未経験なるものですから、記号もしくはイメージで表す以外ないのですが。
つまり、私たちが認識している過去と未来は、”記号もしくはイメージでしかない”ということなのです。言い換えれば、”現実そのものではない”ということです。だから、記号やイメージで認識している”過去と未来”は、「虚構の世界」であるといっても過言ではないのです。言い方を変えれば、我々が思い描いてる”過去と未来”は実体のない「言語の世界」でしかないということなのです。
仮に、人が、言語力と想像力を失えば、過去も未来も認識できなくなるということです。極端な言い方をすれば、その人にとって、”過去も未来も存在しない”ということです。
もっと、具体的に言えば、今、私たちは、風景を見たり、音楽を聴いたり、と視聴覚を使って、現実を実感しています。でも、その人にとって”このような現実”は、その人の”脳機能でしかない”のです。つまり、脳機能を失えば、その人の現実は失われるのです。
記号・概念が悩みをつくる
ここで、”悩み”と”記号・概念”の関係について考察してみましょう。人には、感情が存在しています。感情は、記号で表せるものもあれば、表せられないものもあります。また、感情と深くかかわっている悩みがあります。悩みも、同様のことが言えます。
思考や感情は、記号・概念によって生み出された産物です。また、記号化されていない概念(脳機能)は無限といっていいほどあります。そう考えると、既存の多種多様な記号・概念が、新たな概念(脳機能)を作り出していると考えられます。
ところで、いったい、”悩み”はいかにして生まれてくるのでしょうか?悩みは、不安感情、憂鬱な気持ち、として現れるので、自然発生的、生理的、なものと考えられるでしょう。また、理性では理解できないもののようにも思えます。
ところが、意外に思われるでしょうが、悩みを作り出しているのは、”記号・概念”といえるのです。ただ、それに気づいていないということなのです。”悩み”をすべて記号化できれば、悩みの実態がつかめるのでしょうが、やろうとすれば、気が遠くなるような作業となります。
胎児の脳は、母胎にいるころからいろんな記号を受信し、それらの記号が作り出す概念によって形成されていきます。ところが、ほとんどの人は、どんな記号を受信して、どのように脳細胞が形成されていったかの自覚はありません。
いったい、どこからやってきたのか?全く見当がつかない”不可解な悩み”は、記号で自覚することが、とても困難なのです。もし、心の奥に潜んだ悩みをすべて記号化し、そのための具体的な対策を考えられたならば、どれほど、気が楽になることか。