素顔の告白

 

大学を卒業した私は、高校教師の職を得て郷里の熊本に帰った。東京への憧れはかなり薄れており、東京の華やかな世界に進出する自信も気力も失っており、身寄りの無い場所での生活に心細さを感じてもいた。せめて身内が大勢住む場所で暮らしていこうと考えたのだった。

 

しかし私の冷淡さは、身内にも同様であり、貧窮する彼らを助けようなどとは微塵も思わず、こんな至らぬ身内を持つ自らのみを、憐れんでばかりいた。

ある時、実母が僅かばかりの金を借りに来た事があり、私は彼女を罵り追い返した事がある。母が大人しく、哀しそうに帰って行く後姿を見ながら胸が痛んだが、気が変わるほどではなかった。

 

今思えば私は母に甘えたかったのだと思う。産まれてから叔母に預けて、私を放っておいた事を根強く恨んでおり、恨み言を吐き出して、受け入れてほしかった。

そして金を借りに来た事に、私は逆に母が私に甘えていると感じて反発を感じた。

 

母の夫(私の義父)は没落し、寝たきりになった後、先立った。母は娼館の客引きをやりながら、甥や姪達を養っていた。

 

私は育ての親である、叔母と暮らしていたが、彼女が80を過ぎた頃、母は快く彼女を引き取り手厚い看護をした。私は育ての母親にすら冷淡だったからだ。

 

 

 

私の中には、一人のヒステリーに苦しむ女が隠れ住んでいる。そいつは半狂乱で暴れながら、親、兄弟、姉妹への憎悪を叫び続けている。その女を誰かに許容してほしかったが、そんな相手が居るはずもなく、私は一人抱え込み、その女に生涯悩まされ続けた。

私はその女を小説に吐き出そうとした。気は紛れたが、女は消えない。相変わらず私の心に居座り続ける。

 

 

その小説「現」は地元の同人雑誌に載るようになり、私は恐る恐るその雑誌を永井さんに送った。文学青年等があまり好きではない永井さんに、自分の書いた小説を送ったりしても好感を持たれるどころか、逆効果ではないかと怖かったが、何でもいいから永井さんと再び繋がりを持てるきっかけが欲しかったのだ。

 

期待しないよう、自分を戒めていたが、とても好意的な手紙が永井さんから送られて来た時は泣く程嬉しかった。なのですぐ返事を書き、地元の名産ザボンを箱詰めで送った。返礼が来て、上京する機会があれば是非連絡してほしいとも書かれていた。

 

身内のちょっとした用事で上京する事となった私は、永井さんに連絡して昼食を共にした。会いに行くため、ご自宅にもお邪魔したが、既に妻子持ちとなった永井さんの住むそこは、非常に華やかな洋風の館であった。細君も紹介されたが、ぱっと見でしかなかったが、非常に仲が良い。

 

会話上手な永井さんとの再会は、相変わらず楽しいものであったが、妻子持ちとなり、世間の許容する世界の住人の仲間入りを永井さんが遂げた事で、私は勝手に疎外感や孤独を感じ、「君も結婚してはどうか、自分の子供はそれは可愛いものだよ。」などと言われた時は、世間のはみ出し者として見下され、馬鹿にされた気がした。

 

それでも別れ際、新作ができたらまた送って見せてほしい、上京する際も是非れんらくしてくれと言ってくれたので、被害妄想が燻りつつも隠蔽する事ができた。

 

その後も私は、「現」の連載されている雑誌を熱心に、手紙と一緒に送り続け、永井さんは必ず返事を返してくれた。しかし永井さんが私に手紙を送るのは、いつも返事であり、永井さんから送られてきた事は一度も無かった。

 

 

 

いや、一度だけ例外がある。その頃永井さんはボディービルを始め、体を鍛え始めており、写真集まで出していた。その写真集を友人らに送り付けたりしていたそうだが、私もその一人であった。永井さんにしてみれば、赤の他人でも、何者でもいいので、自分の裸体を見せつけたいとの思いからだったろう。しかし私の方では、初めて永井さんからのアプローチである。なんとか気を惹きたかった。私の好みではなかったので、その裸体に全く魅力を感じることはなかったが、精一杯の卑しいほどのおべっかを返礼した。

そんな見え見えのおべっかだったのに、永井さんは気を良くして、さらに写真を送ってきた。

 

その数年後、永井さんは新たな執筆のため、神風連とやらを取材するために熊本県に来る事となり、再会した。

私が小説を連載している雑誌の主幹、町田さんに会う事が主な目的の一つで、町田さんは郷土史家として名の通った人であり、また神風連に人並み以上の情熱を持った人でもある。

二人は意気投合し、大層熱心に神風連について話していたが、私には難しすぎてさっぱりだったが、それでも腰巾着として付いて回った。

熊本の観光案内についても、事前に調べて来ている永井さんの方がよく知っており、逆に私が案内される側となっていた。なにしろ、食事の美味しい所を尋ねられても分からないくらいである。

しかしそれでも、どの飲食店に入っても永井橋は歓迎され、様々な贈り物をされた。永井さんはそれを大切に鞄に収めていた。その中には、寿司屋の湯呑等もあり、私はそのようなものまで持って帰らなくてもと思ったが、くれた人の気持ちを大切にしたかったのだろう。私などは、物でも人にすらも、その利便性しか見えなかった。

 

 

ある時、永井さんに、熊本で有名な女のいるバーは無いかと尋ねられた。

異性愛者を装う永井さんの、女のいるバーに来ていたという情報を流しておこうという作戦である。

しかしこの時は、ある高級クラブの名が浮かんだ。そこには妹が勤めているのだ。ところがそこへ行くと、妹は既に辞めていた。

私がその事を知らずにいたという、その兄弟・姉妹への冷淡さに、永井さんはかなり驚いていた。

せめてできた事と言えば床の相手くらいだが、これも十分にこなせたとは言い難い。性欲処理ぐらいはできたはずだが、私に夢中になるというようなものではなかったはずである。

そもそも私も永井さんも、互いに好みではなかった。

まだ私が大学生の頃、永井さんがかつて恋をしてふられたので、たいそう落ち込んだ事のある青年を見かけた事がある。がっしりとした、柔道でもやっていそうな体育会系の体と顔で、やんちゃで快活そうな好青年であった。それは同時に私の好みでもあり、私と永井さんの好みは似通っていた。

 

麺平良
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