対馬の闇Ⅰ

 父親は、働くことはできなくなったが、生活する上では不自由はなかった。「右がやられました。無様な姿をお見せして。仕事ができんということは、情けないですな~~」父親は、全く元気がなかった。ひろ子が声をかけた。「でも、会社は順調らしいじゃない。お父さんは、のんびりと趣味でもやればいいのよ」陽子が、お茶を運んできた。沢富は、差し出されたお茶を一口すすった。沢富が警察官であることを陽子からすでに知らされていた父親は、苦虫を嚙み潰したような表情でしばらく口を開かなかった。ひろ子の右横に腰掛けた陽子は、沢富を気遣い父親に話しかけた。「沢富さんは、お父さんと同じ、猫好きなんだって。早速、ヤマネコセンターに行ってきたのよ。猫好き同志で、話が合うんじゃない」

 

 父親の顔にほんの少し笑顔が浮かんだ。「そうですか。猫好きですか。猫は、かわいい。犬は嫌いだ。特に警察は嫌いだ」4人は、一斉に顔を引きつらせた。陽子が場を和らげようと父親に声をかけた。「こんなにたくさん、沢富さんからのお土産。早速、ひよこをいただきましょう」陽子は、包装紙を丁寧に開き蓋を開けた。陽子は、ひよこを全員に手渡した。「ほんと、かわいいわね。お父さん、大好きなんでしょ。食べなさいよ。そう、沢富さんも甘党なんだって。ひろ子ったら、お父さんみたいな人を好きになったみたい」母親が笑顔で夫に声をかけた。「あなた、おいしいわ。好きなんでしょ。何ぼんやりしてるの」父親は、左手に持っていたひよこの頭をぱくりとかみつき、笑顔で口をもぐもぐと動かした。

 

 沢富は、一気に結婚のことを話したほうが気持ちが打ちとけるように思えた。「お父さん、ひろ子さんとお付き合いしています。将来、結婚したいと思っています。どうぞよろしくお願いします」沢富は、軽く頭を下げた。沢富がエリート警察官であることを知らされていた父親は、結婚に反対する気はなかった。むしろ、バツイチのひろ子にとっては、宝くじに当たったような幸運だと思っていた。「ひろ子から聞いています。父親は、娘の幸せを願うだけです。田舎もんですが、こちらこそよろしく頼みます」沢富は、すんなりと承諾してもらえてホッとした。確かに警察官を憎んでいるようだったが、結婚とそれとは割り切っているようで安心した。

 


 陽子は二人のなれそめを知りたくなった。「ひろ子、沢富さんと、どこで知り合ったの?」ひろ子は二人の出会いを思い出していた。「沢富さんは、お客さんだったの。いろいろ話しているうち、親しくなったって感じ。それと、沢富さんの上司の奥さんに後押しされて。その上司の方が、ぜひ、仲人をさせてほしいって、言われているの」陽子は、縁とは不思議なものだと思った。「そう、その上司の奥さんが、縁結びの神様ってことね」ひろ子はうなずいた。「そう。奥さんがとてもいい方で、すごく、お世話になっているの」母親が、うなずき口をはさんだ。「それは、それは、上司の方にお礼を申し上げなくては。是非、近々お礼に伺うわ。そう、伝えて、ひろ子」

 

 陽子は沢富がエリートであることは聞かされていたが、もっと彼の素性を知りたかった。「沢富さんは、刑事でいらっしゃるのよね。これからも、ずっと福岡勤務ですか?」沢富は、警察のことを話して父親の気分を害しないかと不安だったが、結婚すれば一生付き合うことになるから、ざっくばらんに話しておいたほうがいいように思えた。「はい、今のところは福岡勤務です。でも、私の場合、転勤があるんです。まだ、はっきりしていないんですが、近々、東京勤務になるかもしれません」母親は、少し不安げな顔つきで話し始めた。「え、東京ですか?あらま~~。田舎者のひろ子、大丈夫かしら」父親がうなずいて話し始めた。「とにかく、沢富さんについていけばいい。住めば都というじゃないか。沢富家の方々に、かわいがられるんだぞ」

 

 サスペンスドラマが好きな陽子は、話を膨らませた。「ということは、よく、サスペンスドラマに出てくる警視庁のデカってことね。ちょっと、かっこいいじゃない」沢富は、頭を掻きながら誤解を解いた。「いや、違うんです。僕は、警視庁ではなく、警察庁、勤務になるんです。簡単に言えば、警察業務全般を取り扱う仕事です。だから、直接事件にかかわることはありません。地味な仕事です」陽子は、よくわからなかったが、うなずいた。「まあ、警察の事務の仕事ってことね。沢富さんは、出世なされる方だから、ひろ子、しっかり内助の功を発揮しなくっちゃね」

 

 


 自信のないひろ子は、苦笑いをしながらうなずいた。「東京に行ったら、対馬が遠くなるのよね~~。ちょっと寂しいな~~」沢富がひろ子を励ますように笑顔をひろ子に向けた。「さみしくなったら、カラオケで思いっきり歌いましょう。音痴の僕は、歌わないほうがいいような気がするけど」みんな、一斉にワハハ~~と笑い声をあげた。陽子は夕食の準備に取り掛かることにした。「私たちは、食事の準備をします。沢富さんは、ゆっくりなさってください」陽子、母親、ひろ子たちは、キッチンに向かった。いつもは母親と陽子が食事の準備をしていたが、今日は陽子とひろ子が中心となって準備することになった。

 

 陽子は、小さな声でひろ子に声をかけた。「あの手の顔って、ひろ子好みなの?好みでも変わったのかしら?」沢富との縁がひろ子にも不思議でならなかった。どちらかといえば軽いノリのイケメンが好きだったが、しかめっ面の刑事と付き合うようになるとは、今でも信じられなかった。「どうしてだろう。きっと、結婚に、一度失敗したからじゃない。自分でもよくわかんない。マスクはいまいちだけど、すっごく優しいの。あ~ゆうタイプ、初めて。しかも、デカだもんな~。どうしたんだろうね。神様が与えた運命かも。二度と離婚しないようにって。何というか、愛されているって感じがする。こういう気持ち初めて」陽子は、聞いていて恥ずかしくなった。「あらま~~。そこまでのろける。ごちそうさまです」二人は、クスクス笑い始めた。

 

 陽子は、カトリックが問題にならないかと不安になっていた。「沢富さんは、カトリックじゃないけど、うまくやっていけそう。あまり、縛り付けると険悪になるからね。大目に見てやることも大切よ。前の旦那のようんな不埒(ふらち)なのは許されないけど」ひろ子は、酔っ払って事故死した前の夫のことを思い出していた。「やっぱ、男ってのは、どうしようもない動物なのかもね。なんど言っても、ダメだった。あいつ、飲み打つ買う、三拍子そろった、どアホだったからな~~。事故でおっちんだのは、神様が下した天罰よ。でも、自分にも悪いところがあったのかも?夫婦仲が悪くなるのは、どちらにも原因があるような気がする。今度こそ、うまくやれるといいんだけど。自信はないけど」

 


 玄関のほうから扉を開くガラガラという音がした。陽子は玄関にかけていった。「おかえりなさい。ひろ子の彼氏が来てるわよ。相手してあげてね」陽子の夫、きよしは、あいよ、と返事すると笑顔でリビングに向かった。きよしの足音に気づいた沢富は、即座に立ち上がり、スーツ姿のきよしが現れると深々と頭を下げて挨拶した。「お邪魔しています。沢富と申します。よろしくお願いします」きよしは笑顔で軽く頭を下げて挨拶した。「道中、大変だったでしょう。空港から1時間半はかかりますからね。今夜は、男3人で飲み明かしましょう。飲める口でしょ」沢富は、それほど強くなかったが、気に入ってもらうためにとことん付き合うことにした。「まあ、そこそこです」きよしは、着替えをするために自分の部屋に向かった。陽子が父親に声をかけた。「お父さんは、ほどほどにね」父親は、黙って小さくうなずいた。

 

 キッチンにやってきたきよしは、陽子に話しかけた。「俺たちは、向こうで飲むから、気にするな」即座に、きよしの背中に向かって、陽子は尋ねた。「食事は?」きよしは、返事もせずにリビングに向かった。「沢富さん、焼酎、飲めますか?」沢富は、日本酒より焼酎のほうが好きだった。「はい、いつも飲むのは焼酎です」きよしは、それはよかった、と言って焼酎のビンをサイドボードから取り出した。「これは、対馬の地酒です。麦と米の焼酎です。お湯で割りますか?」即座に返事した。「はい、お湯でロクヨンぐらいで」きよしは、即座にお湯割りを作った。「あては、刺身と鯛しゃぶ、です。今夜は、死ぬまで飲みましょう。お父さんも、今日はいいでしょう」父親も笑顔でうなずいた。「ほどほどに付き合うとするか。まだ、死にたくはないからな」沢富が、ハハハ~と笑い声をあげた。

 

 きよしがキッチンに振り向き「おい」と声をかけると陽子が造りの大きな皿を運んできた。続いてひろ子が卓上コンロを運んできた。沢富が二人に声をかけた。「ご一緒にどうですか?」即座に、きよしが返事した。「酒は、男だけで飲むものです」二人は、黙って酒席の準備を続けた。三人がグラスを手にするときよしが乾杯の音頭を取った。「新しい同志に乾杯です。口森家と対馬藩のますますの繁栄を願って、カンパ~~イ」きよしは大きな声を張り上げたが、沢富には、意味不明で小さな声でカンパ~イと後に続けた。きよしは、早速、沢富に声をかけた。「沢富さんは、東京生まれとお聞きしてますが、九州もいいとこでしょう。対馬は、何もない孤島ですが、自然の恵みがいっぱいです。対馬藩士として、誇りに思っています。でも、最近は・・」

 


春日信彦
作家:春日信彦
対馬の闇Ⅰ
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