対馬の闇Ⅰ

                 キリシタン

 

 113日(土)文化の日、沢富とひろ子は、母親との話し合いの結果を伊達夫妻に報告していた。いつものキッチンテーブルの席に腰掛けた沢富は、不安げな表情をしていた。母親は結婚を承諾してくれたような表情だったが、父親の承諾を得るまでは不安だった。なんとなく母親は承諾してくれた様子だったが、沢富は正式な承諾は後日になることを伊達夫妻に告げた。伊達夫妻も沢富家の意向を確認するまでは、気が気ではなかった。沢富とひろ子は、何となく元気がなかった。ナオ子は励ますようにひろ子に声をかけた。「そう、まだはっきりしないの。でも、お母さまは、承諾してくださったみたいだから、希望はあるわね。ひろ子さん、そう、落ち込まなくて、いいわよ」ナオ子は、きっと、承諾してくれると信じたが、やはり、不安はぬぐい切れなかった。

 

 ひろ子を元気づけようとナオ子は、前祝をすることにした。「きっと、うまくいくわよ。今日は、仲人からの前祝。タイの造りよ。パ~~といきましょう。そう、ところで、お母さま、私たちのことについて、何か、言ってらっしゃったかしら」沢富は、一瞬身を引いた。気まずそうに頭を掻きながら返事した。「いや、仲人のことまで話ができなくて、すみません」ナオ子は、顔を引きつらせた。仲人の話がなされてなければ、結婚が承諾されても、仲人ができるとは限らないと思った。「え、仲人のこと、話していないの。二人の結婚をここまで運んできたのは、私たちよ。まさか、裏切るってことはないでしょうね。サワちゃん」ナオ子は、沢富をじろっとにらみつけた。

 

 即座に、沢富は大きく目を見開いて怒鳴るような声で返事した。「とんでもない。裏切るなんて。仲人の件は、必ず守ります。信じてください」少しホッとしたナオ子は、やさしい口調で返事した。「それだったらいいんだけど。たとえ、お父様が私たち以外の仲人を指示されても、断固、断ってよ。いいわね、サワちゃん」大きくうなずいた沢富は、大きな声で返事した。「はい、神に誓って、お約束いたします」ナオ子は、結婚式場で仲人をしているドヤ顔の自分の姿を思い浮かべ、ニコッとした。「サワちゃんを信じるわ。うまく事が運んだとして、結婚式は、東京ってことかしら」沢富は、小さくなずき返事した。「おそらく、東京だと思います。親戚は、ほとんど東京ですから」

 


 ひろ子は、うつむいたまま元気がなかった。思い悩んでいるようなひろ子にナオ子は声をかけた。「ひろ子さん、何か、困ったことでもあるの?言いたいことがあれば、言っていいのよ。あ、そうよね、ひろ子さんの親戚は、対馬か。東京が式場となれば、対馬から行くの、大変ね」ひろ子は、黙ってうつむいていた。だが、勇気を振り絞って告白することにした。「まだ、サワちゃんに言っていないことがあるんです。ごめんなさい」身を乗り出した沢富と伊達夫妻の視線は、ひろ子に向かった。ナオ子が、小さな声で話を促した。「ひろ子さん、いったいどんなこと。思い切って、話して。隠し子がいるってこと以外、決して、驚かないから」沢富も伊達も小さくうなずいた。

 

 ひろ子は、顔を引き締めると小さな声で話し始めた。「口森家は、キリシタンなんです」ひろ子は、ガクンと首を垂れた。ナオ子が、同じ言葉を声に出した。「キリシタン」同じように、伊達も沢富も口をそろえて声にした。「キリシタン」ナオ子は、キリシタンにどういう意味があるのかよくわからなかった。「ねえ、キリシタンって、結婚とどう関係があるの?結婚に、宗教は関係ないでしょ。サワちゃん、キリシタンがいやってことはないよね」沢富は、無言でうなずき、返事した。「ひろ子さんが、キリスト教でも、僕は構わない。沢富家は、臨済宗だけど、別に構わないと思うんだが」沢富は、ひろ子の表情を覗き見た。

 

 頭を持ち上げたひろ子は、ほっとした表情で話し始めた。「そう言っていただくと、気が楽になります。でも、ちょっと困ったことが・・」ナオ子は、身を乗り出して質問した。「ちょっと困ったことって?」気まずそうな表情のひろ子は、話を続けた。「キリシタンが、明治初期、政府に弾圧されたことは、ご存知だと思うんですが、今でも、父は残虐な拷問をした警察を憎んでいるんです。昔のことだから、忘れてしまえばいいと思うんですが、父は、そうもいかないのか、警察官とは結婚するなって、わけのわからないことを言っていたんです。困ったものです。サワちゃんとの結婚、許してもらえるか不安なんです」

 

 

 


 ナオ子は、沢富家さえ承諾すれば、万事ことが進むと思っていたが、口森家の意外な問題に面食らってしまった。宗教に関しては、どう対処していいものか頭を抱えてしまった。「それは、困ったわ。下手に口出しすれば、お父様を怒らせることになるような。どうしよう、あなた」伊達も宗教のことは、全くお手上げだった。「俺に聞かれてもな~~。キリシタンの弾圧は、極悪非道だったと聞いている。俺だって、同じ目にあったら、死ぬまで憎むだろうな。でもな~~、それは、昔の話だ。今は、平成だし。結婚とは、別だと思うんだが。困ったな~~」伊達も肩を落として、ガクンと首を垂れた。全員首を垂れて、お通夜のような雰囲気になってしまった。

 

 沢富は、ヒョイと頭を持ち上げると元気よく話し始めた。「大丈夫ですよ。二人の気持ちをぶつければ、きっとわかってくれますよ。確かに、キリシタンの弾圧は、あってはならないことだと思います。お父様は、憎しみを引きずっておられるのでしょうが、憎しみからは、幸せは生まれません。憎しみを断ち切ることこそ、幸せの第一歩だと思います。僕に任せてください。僕が警察を代表して、頭を下げてきます」ひろ子の顔にほんの少し笑みが浮かんだが、すぐに消え去った。「サワちゃん、ごめんね。うまくいくといいんだけど。ア~~~」ひろ子は、またもや首を垂れた。

 

 宗教音痴で手も足も出ないナオ子は、ひろ子の父親のことは沢富に任せることにした。「ひろ子さんのお父様を説得できるのは、サワちゃんしかいないわね。頼むわね。二人の気持ちを全力でぶつけていらっしゃい。娘の幸せをぶち壊す父親なんていないわよ。サワちゃん、ガンバ」ひろ子もそう願ってはいたが、父親の頑固さを考えると気持ちが萎(な)えてしまった。伊達も自分ではどうすることもできないと思い、沢富を励ました。「俺たちには、荷が重すぎる。父親の心を動かせるのは、ひろ子さんへの気持ちじゃないか。男の心意気を見せてやれ。もし、頭を下げても、ウンと言わなければ、警察をやめるといえばいい。なあ、サワ」


 沢富は、警察をやめれば、と聞いて一瞬ぐらついた。警察をやめれば、結婚できるのならば、警察をやめていいと思ったが、今度は両親が反対するのではないかという不安が起きた。「そうですね。いざとなれば、警察をやめます。僕も男です。万が一、警察をやめて結婚することに両親が反対すれば、駆け落ちします」ひろ子は、大変のことになってしまったと顔を引きつらせて話し始めた。「サワちゃん、そう悲観的にならなくていいんじゃない。とにかく、二人で説得しましょう。警察という職業に恨みを持つほうがおかしいのよ。間違っているのは、父なのよ。サワちゃん、とにかく、対馬に一緒に行って」巌流島の宮本武蔵を思い浮かべた沢富は、胸を張って大きくうなずいた。

 

 伊達は、大きな声で檄を飛ばした。「とにかく、二人でお父さんを説得することだ。な、ナオ子」ナオ子も沢富の熱意にかかっていると思えた。「男なら、当たって砕けろよ。いざとなれば、仲人の私たちも土下座してお願いしてあげるから。勇気を出して、突撃しなさい。飛行機で行けば、福岡空港から対馬空港まで1時間もかからないんじゃい。ね、ひろ子さん」ひろ子は、不安げな顔でうなずいた。「まあ、対馬空港でレンタカーを借りて走れば、空港から1時間ぐらいで着きます」ナオ子に笑顔が浮かんだ。「すぐそこじゃない。早速行ってらっしゃい。善は急げ、って言うじゃない」伊達もポンと手を鳴らし沢富に声をかけた。「手土産は、ちょっと気張ったほうがいいな」

 

 

 


春日信彦
作家:春日信彦
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