対馬の闇Ⅰ

 沢富は、警察をやめれば、と聞いて一瞬ぐらついた。警察をやめれば、結婚できるのならば、警察をやめていいと思ったが、今度は両親が反対するのではないかという不安が起きた。「そうですね。いざとなれば、警察をやめます。僕も男です。万が一、警察をやめて結婚することに両親が反対すれば、駆け落ちします」ひろ子は、大変のことになってしまったと顔を引きつらせて話し始めた。「サワちゃん、そう悲観的にならなくていいんじゃない。とにかく、二人で説得しましょう。警察という職業に恨みを持つほうがおかしいのよ。間違っているのは、父なのよ。サワちゃん、とにかく、対馬に一緒に行って」巌流島の宮本武蔵を思い浮かべた沢富は、胸を張って大きくうなずいた。

 

 伊達は、大きな声で檄を飛ばした。「とにかく、二人でお父さんを説得することだ。な、ナオ子」ナオ子も沢富の熱意にかかっていると思えた。「男なら、当たって砕けろよ。いざとなれば、仲人の私たちも土下座してお願いしてあげるから。勇気を出して、突撃しなさい。飛行機で行けば、福岡空港から対馬空港まで1時間もかからないんじゃい。ね、ひろ子さん」ひろ子は、不安げな顔でうなずいた。「まあ、対馬空港でレンタカーを借りて走れば、空港から1時間ぐらいで着きます」ナオ子に笑顔が浮かんだ。「すぐそこじゃない。早速行ってらっしゃい。善は急げ、って言うじゃない」伊達もポンと手を鳴らし沢富に声をかけた。「手土産は、ちょっと気張ったほうがいいな」

 

 

 


             対馬の実家

 

 早速、ひろ子は、父親に彼氏を紹介したいと連絡をとった。最近、体調がよくなってきた父親は、快く承諾した。また、姉の陽子は漁協で働いていたが、有休をとって空港まで迎えに来てくれることになった。10日(土)二人は福岡空港午前1015分発の便に乗っり、1055分に対馬やまねこ空港に到着した。待ち合わせ場所にしていた空港前の駐車場には白いアルファードが待機していた。ひろ子を素早く確認した姉の陽子は、車から飛び降り植木の隙間から大きく手を振って合図を送った。合図に気づいた二人も両手を振って笑顔を返した。姉に駆け寄ったひろ子は沢富を紹介した。「おねえちゃん、ありがとう。こちら、沢富さん」女優のような美人の姉に面食らった沢富は、顔をこわばらせて挨拶した。「沢富と申します。よろしくお願いします」二人が乗り込むと陽子はアクセルを踏み込んだ。

 

 二人を乗せた白のアルファードは国道382号線を北上した。陽子は大きな声で後部座席の二人に声をかけた。「まずは、そば道場、で食事ね。沢富さん、こんなド田舎、初めてでしょ。何にもないところだけど、景色と空気はいいから。ひろ子は、田舎者で不作法だけど、よろしくお願いします」流れる山並みの景色をぼんやり眺めていた沢富は、小さな声で返事した。「いや、ひろ子さんには、いろいろと助けてもらっているんです。あ、言い遅れましたが、僕は、警察官なんです。でも、普通の男です。お聞きになられたいことがあれば、ざっくばらんに、何でも質問してください」ひろ子は顔を引きつらして弁解する沢富を覗き見て、笑いが込み上げてきた。

 

 ひろ子は、沢富の緊張をほぐそうと声をかけた。「サワちゃん、心配しないで。家族には、刑事だということは、伝えているから。ね、おねえちゃん」陽子は、明るい声で返事した。「沢富さん、心配しないでください。家族全員、カトリックなんですが、父だけが、意固地で、昔を引きずっているんです。でも、根は、やさしんです。気を悪くなさらないでください。沢富さんは、とてもやさしい方だと伺っています。母も私も、結婚には大賛成です。父もきっと賛成すると思います」沢富は、すでに自分の素性が知られていることに少し安心した。「ご家族は、カトリックでいらっしゃるんですね。でも、政府のやったキリシタンへの弾圧は、許されるものではありません。お父様の気持ちは、ごもっともだと思います。すみませんでした」沢富は、後部座席から頭を下げた。

 

 


 それをルームミラーで覗き見た陽子は、甲高い声で話し始めた。「沢富さんが謝ることではありません。沢富さんが悪いんじゃありませんから。悪いのは、政府です。とにかく、昔のことは、忘れましょう。憎しみからは、幸せは生まれませんから。愛すること。許すこと。感謝すること。神のお言葉です」沢富は、大きくうなずいた。「その通りです。憎しみからは、幸せは生まれませんね。刑事をやっていると、ついつい、憎しみばかりになってしまいます。よくないことです。反省しています。ところで、お姉さんも、歌がお上手なんでしょうね」ひろ子は、話を変えるグッドタイミングと即座に返事した。「姉も上手よ。二人とも、カラオケハウスで子供のころから歌ってたの」

 

 大きくうなずいた沢富は、国道沿いに流れる民家を眺めては、いつまでも続く山並みを見つめた。「やはり、おじょうずですか。ところで、山林の中に国道があるって感じですね。島の約9割は山林と聞いてますが、やはり、農業よりも漁業をされてある方が多いんでしょうか?」ひろ子が返事した。「この島は、何にもないところなのよ。漁業と林業って感じ。全くパ~~としない、とっても静かな町。おねえちゃん、会社はどう?うまくいってる?」姉は、明るい声で答えた。「大丈夫よ。危機は乗り越えたみたい。まあ、イカで持ってるってとこね。ここで生まれて、ここで育ったんだもの、くよくよしてもしょうがないじゃない。今年、新しい船を買ったみたいよ」ひろ子は、少し安心した。父親の機嫌がいいように思えたからだ。

 

 沢富は何を話していいかわからず、ただただ、代わり映えのしない山並みをぼんやり眺めていた。ひろ子に質問した。「人口は何人ぐらいですか?」ひろ子は、はっきりとは知らなかったが、思い出しながら答えた。「おそらく、3万人ぐらいじゃなかったかな~~」うなずいた沢富は、糸島市と比較した。「へ~~、約3万人ですか。糸島市の3分の1ってとこか。そうだ、対馬といえば、ツシマヤマネコですよね。是非、見て帰りたいな~~」即座に、ひろ子が返事した。「ヤマネコセンターに行けば見れるわよ。食事の後に行って見よう。ねえ、いい、おねえちゃん」陽子は、ルームミラーを覗きながら返事した。「いいわよ。沢富さん、行ってみたいところがあったら、遠慮なく言ってください。小さな島だから、すぐに行けますよ」

 

 

 


 空港を出発して40分は過ぎていたが、依然として山林の中を走っていた。「かなり遠いんですね。ご自宅まで」ひろ子は、気まずそうに弁解した。「サワちゃん、ごめんね、あの時は、1時間ぐらいって言ったけど、1時間半ぐらいかかるの。この道って、曲がりくねってるし、細いし、飛ばせないのよ」沢富は、のんびりと道中を楽しむことにした。猫が好きな沢富は、ツシマヤマネコについて考えていた。約10万年前に、当時陸続きだった大陸からわたってきたらしい。おそらく、朝鮮半島をてくてくと歩いてきたのだろう。一時期は、数百頭はいたんだろうが、今では100頭もいないらしい。家猫はどんどん繁殖するのに、ツシマヤマネコは一向に繁殖しない。どうしてだろう。人間とは相性が良くないのだろうか?何度か、ツシマヤマネコの写真を見たことがあったが、なんとなく、悲しそうな顔をしていた。

 

 陽子は、ルームミラーを覗き込みながら二人に声をかけた。「思ったより、早く着くわよ。あと15分もすれば、対州(たいしゅう)そばが、食べられるわよ。沢富さん、対州そばは、初めてでしょ」対州そばという言葉を初めて聞いた沢富は、質問した。「対州そば、って初めて聞きました。普通のそばと違うんですか?」ひろ子が、即座に返事した。「そうね~~、味というより、香りかな。いい香りがするのよ。きっと、気に入るから。対州そばは、対馬でしか食べられないはず。きっと自慢できる体験になるから。あ~~、おなかすいちゃった~~。早くえび天そば、食べたいよ~~」朝抜きの沢富もお腹がグ~~となり始めた。「対馬といえばツシマヤマネコぐらいしか知らなかったけど、そのほかにも珍しいものがあるんですね」

 

 ひろ子が、ちょっとしかめっ面で話し始めた。「まあ、珍しいものはあるけど、つまんないとこよ。まったく変わり映えしないし、世間知らずの田舎者の集まりって感じ。観光客といえば、下品な韓国人ばかり。私は、こんなとこ、好きじゃない。福岡に出て、せいせいした。おねえちゃんは、ド田舎が好きみたいだけど」陽子が即座に返事した。「もちろん大好きよ。いいじゃない。田舎者で。きれいな海に囲まれて、澄んだ空気を思いっきり吸って、毎日、元気に暮らせれば、それで十分じゃない。最高の贅沢だと思うけどね」姉妹の会話を聞いていると、二人とも美人だが、性格は違うように思えた。東京育ちの沢富は、福岡の田舎にびっくりしたが、対馬は田舎というよりジャングルにしか思えなかった。 

 

 

 


春日信彦
作家:春日信彦
対馬の闇Ⅰ
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