オーディション

ヒフミンは、少し遠回りになっても歩道のある道路を選んで歩いた。時々休憩はしたが、12時間15分に伊都文化会館に到着した。受付時間は、1220分からだったが、間違いであれば、少しでも早めに分かった方がいいと思い、即座に、亜紀は、館内にかけて行った。受付テーブルには、係員はいなかったが、テーブルの横には少女たちの列ができていた。テーブルの横でスタッフらしきお兄ちゃんとお姉ちゃんが立ち話をしていたので声をかけた。「オーディションに来ました。セキタクミですが、間違いありませんか?」イケメンのスタッフは、腕時計をチラッと見て、まだ3分ほど早かったが、頷いて、返事した。「ちょっと早いけど、もう始めるか。順番に、受付するから、列にならんで」

 

受付テーブルの椅子に腰かけたスタッフは、列を作っていた応募者からはがき受け取るとエントリーナンバーと応募者名を読み上げ始めた。受付は名簿にチェックを入れるだけでスピーディーに行われた。亜紀の番がやってくると震える手でエントリーナンバーが記載されたはがきを差し出した。スタッフはテーブルに置かれた名簿を見つめ応募者名を確認した。「セキタクミちゃんね、エントリーナンバー19。向こうに、控室があるから、あそこで待っていて。スタッフが、審査の説明に行くから、いい」

 

亜紀は、エントリーが間違いでなかったことにホッとしたが、どうして3歳なのにエントリーできたのか不思議だった。「ちょっと、いいですか?」スタッフは、笑顔で返事した。「はい、なんでしょう」亜紀は、小さな声で尋ねた。「タクミは、3歳なんですが、それでも、いいんですか?」スタッフは、ちょっとひきつった顔で、返事した。「え、3歳?13歳じゃないの?名簿には、13歳と記載してあるよ。歌は、高橋真梨子の桃色吐息。本当に、3歳なの?」亜紀は、やっぱりと思った。3歳でオーディションに出られるはずがないと思っていた。でも、いまさら、拓実に出られないとは言えなかった。会場まで連れてきて、歌えないと言えば、大声で泣き叫ぶと思った。

 

スタッフも困った顔つきになっていた。スタッフの顔色が青く変わっていた。「マジ、3歳。ちょっと待ってね」スタッフは、駆け足で奥のスタッフの控室に飛び込んでいった。しばらくするとスタッフが、笑顔で戻ってきた。「年齢は、15歳までとしか書いてなかったから、3歳でも、OKだとさ。よかったね。審査員は、目を丸くして、びっくりしてたよ。3歳の桃色吐息をぜひ聞いてみたいとさ。頑張って」

 

 亜紀は、OKと聞いてジャンプして甲高い声をあげた。「ヤッター、ありがとう、お兄ちゃん。タクミ、きっと喜ぶ。ありがとう」亜紀は、会館前の広場で待っているヒフミンと拓実にそのことを伝えようと全速力でかけて行った。「タクミ、受付、OKよ。さあ、控室に行こう」間違いじゃなかったと分かったヒフミンは笑顔で拓実の肩をポンと叩いた。「よかったね。タクミ、ガンバ」ヒフミンは、オーディションが終わるまで、広場で待つことにした。

 

 亜紀は、拓実の右手を引いて、控室に向かった。控室には、すでにたくさんの中学生と小学生が椅子に腰かけていた。彼らは、妹を連れてオーディションにやってきたと思っているに違いないと思い、目立たないように後ろの方の席に腰かけた。亜紀は、拓実を膝の上に載せ、しっかりと抱きしめていた。歌が、かぶっていないか心配になったのか、隣の中学生と思われる女子が亜紀に声をかけてきた。「何歌うの?」ちょっとためらったが、亜紀は、引きつった顔で返事した。「桃色吐息です」

その女子は、ホッとした顔で返事した。「私は、赤いスイートピー。アイドルと言っても、マスクはほどほどでいいんだって。整形って手があるから。頑張ろうね」亜紀は、ブスと言われたようでとムカついたが、“そういうあんたも特にかわいくないじゃない、フン、バ~~カ”と心でつぶやいた。前の方を見ていると応募したと言っていた明菜のうつむいた姿があった。亜紀は、明菜にばれないようにうつむいていることにした。

 

しばらく待っていると、受付をやっていたイケメンのお兄ちゃんが、勢いよくドアを開け、笑顔で部屋に入ってきた。「皆さん、お待たせしました。今回は、35名の方が、エントリーされました。一次審査の結果は、一週間後に郵送で通知いたします。審査会場へは、案内スタッフが順次お呼びしますので、指示に従って、審査室に入ってください」しばらくするとかわいい案内スタッフがやってきた。「今から、順に案内いたします。エントリーナンバー1、サクラダジュンコさん」

 

 亜紀は、不安になってきた。どうか、拓実が、無事歌えますようにと心で祈った。次から次に呼び出しがなされていった。審査は、かなり速いペースで終わっているようだった。「エントリーナンバー18 ミナミサオリさん」次は拓実の番と思った亜紀は、脚が震えだした。「エントリーナンバー19 セキタクミさん」ついに来たと緊張してしまった亜紀は、拓実を抱きかかえたままジャンプして返事した。「はい!」顔を真っ赤にした亜紀は、拓実をそっと床に下ろし、拓実の手を引いて、ドアに向かった。幸運ことに、エントリーナンバー7の明菜は、すでに終えて、顔を合わさずに済んだ。亜紀の右手は、緊張のあまり汗でびっしょりだった。だが、拓実は、全く動じていなかった。

審査室に入ると、長テーブルに三人の審査員が腰かけていた。部屋の中央には、ステージがセットされていた。向かって左手に白髪のおじさん、真ん中に眼鏡のおばちゃん、右手に受付をしていたイケメンのお兄ちゃんが、マジな顔つきで二人に目を据えていた。二人がステージに立つと、亜紀は、案内スタッフからマイクを手渡された。だが、すぐに、拓実に手渡した。笑顔を作り拓実に視線を向けた眼鏡のおばちゃんが、優しく声をかけた。「ももいろといき、ね。アカペラで、ハイどうぞ」亜紀は、アカペラの意味が拓実はわからないと思い、拓実にとにかく歌うように促した。「タクミ、カラオケなしで歌うの。歌える?」拓実は、頷き、歌い始めた。「さかせて さかせて ももいろといき あなたに だかれて こぼれるはなになる ・・」

 

 エントリーのミスは、3歳を13歳と勘違いしたスタッフにある事が分かり、審査員たちは、とにかく聞いてあげることにしていた。しばらくすると、じっと聞き入っていた審査員の顔が紅潮してきた。3歳にしては、信じられない透き通った歌声と歌唱力に感嘆してしまった。本来ならば、1週間後に郵送で結果を知らせることになっていたが、三人の審査員の話し合いの結果、この場で褒めてあげようということになり、感想と審査結果を伝えることになった。

 

白髪のおじさんが話し始めた。「信じられない。3歳で、こんな大人の歌を歌えるとは。声と言い、歌唱力と言い、素晴らしい」中央の眼鏡のおばちゃんも笑顔で話し始めた。「まったく、信じられない、こんなに歌唱力のある子供は、初めて。とってもかわいいし、きっと、このまま頑張れば、アイドルになれるわ。小学生になったら、もう一度チャレンジしてね。すごくよかったわよ」

 

春日信彦
作家:春日信彦
オーディション
0
  • 0円
  • ダウンロード

20 / 29

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント