沢富は、彼女が殺害されたと仮定して、誰が、どんな理由で殺害したのかを考えてみた。推理の材料となるものは何一つなかったが、なぜか、彼女が女帝になれる家系にある事が、殺害事件の引き金になったのではないかと思えた。というのは、九州の学生たちは、女性を天皇とする“九州帝国”建立に向けた独立運動を各地で行っていたが、一方、王政復古運動を活発に行う九州の学生たちを煙たがっている政府は、テロ防止対策と称して、大学と高校に対し、学生運動禁止の指示を出し始めていたからだ。

大学側からの学生運動への弾圧が強まるにしたがって、九州学生連合共闘を立ち上げた九州各地の大学生たちは、軍国主義日本政府に対し、九州独立運動を一層活発化させていた。メル友であるＦ大学生中島が、九学連の書記長を務めていたことを考えれば、彼女が独立運動に賛同していたと考えてもおかしくはなかった。彼女が九学連にかかわっていたのであれば、独立運動弾圧のために殺害されたと考えても、あながち見当外れではないように思えた。

沢富はさらに憶測を続けてみた。かわいい彼女は、学生の間ではアイドル的存在だった。twitterでは、彼女のフォロワーは数十万に上っていた。そのことから、彼女が九学連にかかわっていたこと知りうる人物は、学生以外に多数いたと考えられる。おそらく、政治家、校長、教職員たちも知っていたに違いない。殺害動機を持つ人物となれば、学生運動を煙たがっている政府ということになるが、完全犯罪として彼女を殺害するには、バッテン真理教の神父でもある校長を実行犯として利用したと考えられた。

政府の指示に従った校長が殺し屋を雇って暗殺を実行したと考えると、つじつまがあってくる。当然、事件後、指示に従った校長を政府が保護することは容易に推測される。きっと、陣内署長は、校長を保護するように警察庁から何らかの指示を受けているに違いない。そう考えれば、署長の一言にも合点がいく。しかし、これは、単なる憶測でしかない。なんの証拠もない。もし、目撃者を探し出すために、生徒たちからの聞き込みを始めたならば、きっと、捜査から外されるに違いない。

おそらく、例のタレコミのＪＫは、マジの目撃者なのかもしれない。もし、目撃した彼女の素性が公開されれば、彼女も暗殺されてしまう可能性が出てくる。うかつに、聞き込みもできない。やはり、署長の言いなりになって、見ザル、聞かザル、言わザル、に徹するべきか？これじゃ、警察は、政府のイヌ同然の手下ということになる。これでいいのか？沢富は、ＪＫ暗殺説を誰かに打ち明けたい気持ちでいっぱいだった。だが、署長の耳打ちを思い出すと暗殺説を口にできなかった。

沢富は、伊達夫妻を前にして、数日間考え続けてきた自分の暗殺説を話すべきか悩んでいた。伊達は、ひとこともしゃべらない沢富に声をかけた。「おい、どうしたんだ。困ったことがあれば、話せばいい。水臭いぞ。おい、どうした？」ナオ子もこれほどに苦渋に満ちた表情の沢富を見たのは、初めてであった。「サワちゃん、一人で悩んでなくて、何でも言ってちょうだい。頼りない夫婦だけど、力になりたいのよ。そんなに苦しんでいるサワちゃんを見てたら、私たちも、やるせないのよ。サワちゃん、元気を出して。ひろ子さんと喧嘩でもしたの？」

しばらく沢富の沈黙は続いた。沢富の心は複雑に揺れ動いていた。万が一、暗殺説が当たっていたとすれば、彼女は不運な犠牲者ということになる。独立運動弾圧強化ために、何の罪もない少女が、見せしめとして殺されたことになる。きっと、彼女がジャンヌダルク的存在になるのを恐れた国家は、最も疑われることのないバッテン真理教の神父でもある校長を使って暗殺を実行したに違いないと思えた。

沢富の暗殺説は何の根拠もない妄想に過ぎなかったが、聞き込みいかんでは妄想でなく現実のものとなりうる可能性は十分残されていた。警察の自殺説に従って、疑うこともせず、何もしなければ、一人の女子高生がウツに陥って投身自殺したという小さな事件で終わってしまうが、刑事たるものが、殺害の可能性を無視して、何もせず、黙って傍観していていいものか？沢富は悩み続けた。

警察というものは、ほんの少しでも疑う余地があれば、徹底的に捜査すべきではないか？権力者を護衛する従順なイヌであっていいのか？自分の保身のことばかりを考えているのではないか？権力者の飼いイヌであっていいのか？死の真実を解明せずに知らぬふりをしていいのか？署長を恐れているのではないのか？刑事をクビになるのを恐れているのではないのか？左遷されるのを恐れているのではないのか？沢富は、自分の心に何度も問いかけていた。

告白

沢富の頭がふいに持ち上がった。そして、口がひとりでに動き始めた。「先輩、僕の話を聞いてくれますか？」伊達は、即座に返事した。「なんだ。早くいってみろ。話せば、スッキリする。さあ」ナオ子も、身を乗り出して言葉を添えた。「サワちゃん、どんな悩みでも言ってちょうだい。できる限りのことはするから。勇気を出して」沢富は、しばらく黙っていたが、夢遊病者がしゃべるかのようにゆっくり口を動かした。

「もし、僕の話を聞いたならば、ご夫妻は死を覚悟しなければなりません。それでもいいですか？」夫妻は、沢富の言っている意味がつかめず、見つめ合って、首をかしげた。伊達が、恐る恐る問い返した。「いったいどういうことだ。死を覚悟しなければならないって？」沢富は、話すのをやめようと思ったが、もはや口はひとりでに動き始めていた。「とにかく、死を覚悟できるとおっしゃっていただければ、話をします。でも、イヤだと言われれば、僕一人で死にます」

自殺の決意だと思った夫妻は、顔面蒼白になって見つめ合った。夫妻の手は、震えだしていた。伊達は、どうにかして自殺を止めさせねばと勇気づける言葉を探した。だが、頭は真っ白になり、脚まで震えだしていた。突然、伊達の口から甲高い声が飛び出した。「チョチョチョッと待て。自殺はいかん。お前は警察官だ。人の命を救うのが使命だ。分かっているだろ。とにかく、話を聞く。自殺はいかん」

沢富は、亡霊のような暗い表情でニコッと笑顔を作り、問いかけた。「それじゃ、一緒に死んでくれるんですね。そこまで僕のことを思っていてくださるとは、マジ幸せです。それでは、話します」ナオ子が突然跳びあがった。「死にたくないわよ。サワちゃん、頭がおかしくなったの。気は確か？いやよ、死にたくないわ。もう、こんな話はやめて。サワちゃん、自殺してどうなるというの。あなたも男でしょ。どんなに苦しくても、生きるのよ。とにかく、できる限り、協力するから、死ぬなんて言わないで」

血の気の引いた沢富の顔は、ほんの少しゆがんだ。死神に取りつかれたような沢富は、つぶやき始めた。「奥さん、自殺はしません。闘って、死ぬのです。僕は殺される運命にあるのです。もう、この話はよしましょう。ご夫妻とは、関係ない話です。僕は、一人で闘って、黙って殺されます。それでいいのです。変な話をして、申し訳ありませんでした」夫妻の頭は、ますます混乱し始めていた。

闘って殺される、と聞いたからには、ますます、相棒としてこのまま沢富を返すわけにはいかなくなった。誰かと決闘でもするのかと思ったが、ちょっとこれはないと思えた。「殺されるって、誰かの恨みでも買ったのか？相手は、ヤクザか？」伊達は、ナオ子に振り向くと首をかしげた。ナオ子も殺されると聞いて、ますます心配になった。沢富が殺されては、夫の出世はなくなると思ったナオ子は、夫とともに殉死する覚悟を決めた。

ナオ子は、大きく深呼吸し、沢富の死んだ魚のような眼を見つめて話し始めた。「分かったわ。サワちゃんだけを死なすわけにはいかないわ。死ぬときは、3人一緒よ。ねえ、あなた」伊達は、ナオ子も思い切ったことをいうものだと驚嘆したが、さすが刑事の妻だと誇りに思った。沢富が誰と闘うのか皆目見当がつかなかったが、伊達も沢富とともに闘う決意を固めた。