僕が精神病だった頃のこと

スマートスピーカー

今話題のスマートスピーカーを買った。以前は高くて手が出なかった物が半額で売っていたからだ。私は機械ものが大好きで、ふところ事情さえ許せば新製品が出るとたまには思い切って入手して遊ぶ。今回のスマートスピーカーと言うものも、買って少し使ってみたら、想像通り「遊べる」ものだった。地元の天気から最新のニュースや音楽やラジオ放送など、まあ便利である。簡単に言えば自分の声でコントロール出来るちょっとしたコンピュータだ。こちらが「〜して」と話しかけると、あちらも声で答えてくれる。「スマート」とは利口なとか頭の良いという意味らしい。それが数千円で手に入る。「○○ラジオを再生して」と言うと、インターネットから目的の放送局を選んで生放送のストリーミングが聴けるし、「日経平均株価を教えて」と言えばちゃんと教えてくれる。まあこうしたものには賛否両方の意見があるかもしれないが、いい時代だとつくづく思う。

年越し~精神病棟にて

はじめて精神病になったのが19歳の時だから、もう40年近くになる。幾度も入院して退院して苦しみながらも、いろいろな病気の人たちのそれぞれの人生模様を見てきた。総じて言えることは、精神病院というところは不幸の吹き溜まりのような場所だなという感慨である。私は未経験だが、生活保護を受けながら入院生活を送る人も多くいた。病苦にありながらお金の苦労もとは並大抵なことではないだろうと想像する。タバコ1本にも困っている人々がいる。そして家族からも親戚からもそして社会からも遠ざけられ、それぞれがどうしようもない孤独を背負っている。その「不幸の吹き溜まりのような場所」で私も、去年今年と続けて病院で正月を迎えることになりそうだ。病状が思わしくないからだ。つらい。正直言ってどうしようもなくつらいが、人は時にそのつらさに耐えなければならないということを、自然とあるいは否応なしに学んで来た。また切ない越年となりそうだ。

看護師さん

もう入院生活も、今回だけで2年になる。病棟の中でも私は古い部類になった。 「篠田さんお風呂入ったんだってえ?聞いたよぉ。やっぱりそのほうがかっこいいじゃない」夜勤の挨拶に病室を廻って来た看護師のAさんは、私の顔を見るなりそう言った。言われた私も満更でもない。笑顔で応えた。私は風呂が苦手で、看護師さんの間でも不名誉ながら有名なのだった。Aさんの持っているそういったユーモアが私たち患者の気持ちを心なしか軽くしてくれる。要するにたとえばAさんはそういうキャラクターだし、それは持って生まれた頭の回転の良さの裏付けがあってこそだ。 かと思うとベテラン看護師のTさんはと言えば、豊富な知識と経験で実に為になることを教えてくれる。この前も、血中酸素濃度とはどういうことか?との素人の私の質問に対してちゃんと答えてくれた。「篠田さん、ヘモグロビンって分かります?」「ええ、昔学校で習った、あの酸素とくっつくやつですよねえ?」「そう。だったら話が早いわ。要するに血中酸素濃度っていうのはねえ、血液中の酸素のうちヘモグロビンと正常に結合している酸素の割合のことよ。分かります?」などと、少々専門的なこともTさんは的確にそして素人の私にも分かりやすく教えてくれる。このようにさまざまな個性を持ったスタッフの方々との触れ合いも、療養には欠かせないことのひとつだ。 このように今日もまた病棟の1日も暮れてゆく。

気にしい

私は自他ともに認める神経質、小心、気にしいだ。子供のころからずっとだからもう半世紀(笑)以上か?ここのところ病気で入院中なので、「神経質、小心、気にしい~病院編」。たとえば、自分のベッドの頭の上にあるナースコールボタン。最近はだいぶ慣れてきたが、以前は「こんなことで緊急ボタンを押しては申し訳ないなあ」という気持ちで、呼ぶか呼ばないか?大雑把に言って数十回くらい迷っていた。同じく対ナースの話で、担当看護師さんが女性だった時に「篠田さん、ちゃんとお風呂入ってくださいね」と指導されて「〇〇さんがいっしょに入ってくれれば入りますよ」などとほんの冗談のつもりで言ったのだが、言ってしまってから少し経って別の看護師さんから、それはセクハラじゃないの?と注意され、次の次の日くらいまでずっと気にしていて、とうとうご本人に素直に謝罪したら「篠田さん、そんなこと気にしていたんですか」と笑われた。謀(はか)られたという奴だった。
篠田 将巳(しのだまさみ)
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