僕が精神病だった頃のこと

外泊日記

ここで言う「外泊」とは、入院中の病院から自宅へ泊りに来ることである。

昨夜は病院で寝た。午前1時にトイレに起きてヒルナミン5mgを飲んだ。どうせ眠れまいと思ったがそれから数時間眠った。今朝の寝起きは肩からずっしりの疲労感が酷くて外泊の予定も無理かと思ったが、それもこれも自律神経失調だと自分を鼓舞(こぶ)してタクシーで何とか自宅までたどり着いた。もちろんいつものことだが、精神的にも緊張感と言うか恐怖感も充分にあった。適当に食事を済ませて、家族とも雑談をしたり、あるいは自室でパソコンをいじったりしたが、何時間もしないうちに早くももう病院へ帰りたくなってきた。やれやれ。

とりあえず薬でも飲もうと思いなおして、夕食後の薬を早めに飲んだ。パソコンのラヂコでtokyo-fmを聞く。そうこうしているともう夕方から夜に近くなる。あ、そうだ。途中まで読んだノーベル賞作家の小説の続きでも読むか。テレビは嫌いだ。こういう時は読書に限る。数十ページ読んでひと休み。そうこうしていると外泊1日目も暮れてゆく。



スマートスピーカー

今話題のスマートスピーカーを買った。以前は高くて手が出なかった物が半額で売っていたからだ。私は機械ものが大好きで、ふところ事情さえ許せば新製品が出るとたまには思い切って入手して遊ぶ。今回のスマートスピーカーと言うものも、買って少し使ってみたら、想像通り「遊べる」ものだった。地元の天気から最新のニュースや音楽やラジオ放送など、まあ便利である。簡単に言えば自分の声でコントロール出来るちょっとしたコンピュータだ。こちらが「〜して」と話しかけると、あちらも声で答えてくれる。「スマート」とは利口なとか頭の良いという意味らしい。それが数千円で手に入る。「○○ラジオを再生して」と言うと、インターネットから目的の放送局を選んで生放送のストリーミングが聴けるし、「日経平均株価を教えて」と言えばちゃんと教えてくれる。まあこうしたものには賛否両方の意見があるかもしれないが、いい時代だとつくづく思う。

年越し~精神病棟にて

はじめて精神病になったのが19歳の時だから、もう40年近くになる。幾度も入院して退院して苦しみながらも、いろいろな病気の人たちのそれぞれの人生模様を見てきた。総じて言えることは、精神病院というところは不幸の吹き溜まりのような場所だなという感慨である。私は未経験だが、生活保護を受けながら入院生活を送る人も多くいた。病苦にありながらお金の苦労もとは並大抵なことではないだろうと想像する。タバコ1本にも困っている人々がいる。そして家族からも親戚からもそして社会からも遠ざけられ、それぞれがどうしようもない孤独を背負っている。その「不幸の吹き溜まりのような場所」で私も、去年今年と続けて病院で正月を迎えることになりそうだ。病状が思わしくないからだ。つらい。正直言ってどうしようもなくつらいが、人は時にそのつらさに耐えなければならないということを、自然とあるいは否応なしに学んで来た。また切ない越年となりそうだ。

看護師さん

もう入院生活も、今回だけで2年になる。病棟の中でも私は古い部類になった。 「篠田さんお風呂入ったんだってえ?聞いたよぉ。やっぱりそのほうがかっこいいじゃない」夜勤の挨拶に病室を廻って来た看護師のAさんは、私の顔を見るなりそう言った。言われた私も満更でもない。笑顔で応えた。私は風呂が苦手で、看護師さんの間でも不名誉ながら有名なのだった。Aさんの持っているそういったユーモアが私たち患者の気持ちを心なしか軽くしてくれる。要するにたとえばAさんはそういうキャラクターだし、それは持って生まれた頭の回転の良さの裏付けがあってこそだ。 かと思うとベテラン看護師のTさんはと言えば、豊富な知識と経験で実に為になることを教えてくれる。この前も、血中酸素濃度とはどういうことか?との素人の私の質問に対してちゃんと答えてくれた。「篠田さん、ヘモグロビンって分かります?」「ええ、昔学校で習った、あの酸素とくっつくやつですよねえ?」「そう。だったら話が早いわ。要するに血中酸素濃度っていうのはねえ、血液中の酸素のうちヘモグロビンと正常に結合している酸素の割合のことよ。分かります?」などと、少々専門的なこともTさんは的確にそして素人の私にも分かりやすく教えてくれる。このようにさまざまな個性を持ったスタッフの方々との触れ合いも、療養には欠かせないことのひとつだ。 このように今日もまた病棟の1日も暮れてゆく。
篠田 将巳(しのだまさみ)
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