僕が精神病だった頃のこと

死の恐怖

それまで幻覚やら妄想やら不安障害やらウツ状態やら睡眠障害やらでごちゃごちゃだった私の病気は、「ええい、面倒だ」と言うわけでもないと思うが、まとめて統合失調症とされて来た。しかし私の場合、1年半ほどの入院加療の結果、気づいたら不安障害だけが残った。その不安障害にしたって、ただ蚤の心臓だというだけで、誰もがそうであるように、ただ死ぬの怖い怖い病だ。私の「死ぬの怖い怖い病」はもちろん、そういう病名があるわけではない。誰もがそうであるように言わば「自我の病」であろうと思う。もちろん個人差は大きいしその人の性分や哲学にもよるので、人によっては死ぬことは特に怖くないとうそぶく人もいるだろうが。あるいは私が馬鹿正直なだけであるのかもしれない。しかし、恐怖にもさまざまあるとはいえ、究極の恐怖はやはり「死」ではあるまいか?まあ、がんのような病気だろうと、あるいは事故や災害であろうと、恐怖を感じる間もなく死に至る場合もあることもあるだろうが。そして精神病について言うなら、病状が悪化するごとの死ぬほどの苦しみには、家族や周囲(もちろん医療関係者を含む)は責任を持って戴きたいと思う。そして「社会病」でもある精神病を、社会全体の責任において克服していきたいと思う。

外泊日記

ここで言う「外泊」とは、入院中の病院から自宅へ泊りに来ることである。

昨夜は病院で寝た。午前1時にトイレに起きてヒルナミン5mgを飲んだ。どうせ眠れまいと思ったがそれから数時間眠った。今朝の寝起きは肩からずっしりの疲労感が酷くて外泊の予定も無理かと思ったが、それもこれも自律神経失調だと自分を鼓舞(こぶ)してタクシーで何とか自宅までたどり着いた。もちろんいつものことだが、精神的にも緊張感と言うか恐怖感も充分にあった。適当に食事を済ませて、家族とも雑談をしたり、あるいは自室でパソコンをいじったりしたが、何時間もしないうちに早くももう病院へ帰りたくなってきた。やれやれ。

とりあえず薬でも飲もうと思いなおして、夕食後の薬を早めに飲んだ。パソコンのラヂコでtokyo-fmを聞く。そうこうしているともう夕方から夜に近くなる。あ、そうだ。途中まで読んだノーベル賞作家の小説の続きでも読むか。テレビは嫌いだ。こういう時は読書に限る。数十ページ読んでひと休み。そうこうしていると外泊1日目も暮れてゆく。



スマートスピーカー

今話題のスマートスピーカーを買った。以前は高くて手が出なかった物が半額で売っていたからだ。私は機械ものが大好きで、ふところ事情さえ許せば新製品が出るとたまには思い切って入手して遊ぶ。今回のスマートスピーカーと言うものも、買って少し使ってみたら、想像通り「遊べる」ものだった。地元の天気から最新のニュースや音楽やラジオ放送など、まあ便利である。簡単に言えば自分の声でコントロール出来るちょっとしたコンピュータだ。こちらが「〜して」と話しかけると、あちらも声で答えてくれる。「スマート」とは利口なとか頭の良いという意味らしい。それが数千円で手に入る。「○○ラジオを再生して」と言うと、インターネットから目的の放送局を選んで生放送のストリーミングが聴けるし、「日経平均株価を教えて」と言えばちゃんと教えてくれる。まあこうしたものには賛否両方の意見があるかもしれないが、いい時代だとつくづく思う。

年越し~精神病棟にて

はじめて精神病になったのが19歳の時だから、もう40年近くになる。幾度も入院して退院して苦しみながらも、いろいろな病気の人たちのそれぞれの人生模様を見てきた。総じて言えることは、精神病院というところは不幸の吹き溜まりのような場所だなという感慨である。私は未経験だが、生活保護を受けながら入院生活を送る人も多くいた。病苦にありながらお金の苦労もとは並大抵なことではないだろうと想像する。タバコ1本にも困っている人々がいる。そして家族からも親戚からもそして社会からも遠ざけられ、それぞれがどうしようもない孤独を背負っている。その「不幸の吹き溜まりのような場所」で私も、去年今年と続けて病院で正月を迎えることになりそうだ。病状が思わしくないからだ。つらい。正直言ってどうしようもなくつらいが、人は時にそのつらさに耐えなければならないということを、自然とあるいは否応なしに学んで来た。また切ない越年となりそうだ。
篠田 将巳(しのだまさみ)
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