小説の未来(11)

でも、小説は、まったくと言っていいほど、実用性は期待されていません。この小説を読めば、こういうことに役立つというような実用性は、まったくと言っていいほど小説にはないのです。むしろ、ゲームの方が、はるかに実用性があります。たとえば、ゲームが利用された数学や英語の学習教材です。

 

小説は、あくまでも言語で構築された架空の世界を読者に提供するにすぎません。そして、読者は、小説によって刺激を受けた言語中枢で独自の観念世界を自分勝手に作ればそれでいいのです。

関数的言語ゲーム

 

 そこで、小説はゲームと言えるかどうかですが、わたしは、科学も芸術もスポーツもゲームと認識しています。小説は主に心理の世界を描くわけですから、ゲームとは無縁のように思われますが、私は、言語で構成されている作品を関数的言語ゲームと呼んでいます。皆さんが何度も学校で経験された試験も典型的な関数的言語ゲームです。

 

 多くの方は何らかのゲームを楽しんだことがあると思いますが、それでは、どういうものをゲームと呼んでいるのでしょうか?

 

 簡単に言えば、ゲームとは、“一定のルールに従った遊び”と言っていいのではないでしょうか。小説や試験にもルールがあるのか、ということになりますが、もちろん関数的ルールがあるのです。

一般的には、視聴覚を使った映像ゲームが主流なので、小説や試験のように言語から構成される作品は、ゲームではないように思われます。でも、それらは、れっきとした関数的言語ゲームなのです。

 

 小説は観念世界を作り上げる言語集合体と述べましたが、観念の言語集合体においても関数的ルールが存在し、それらのルールに従って小説も構成されているのです。試験やクイズでは、問題と正解との一対一の関係があり、まさに関数的言語ゲームの典型と言えるのです。

 

 言い方を変えれば、脳機能には、関数的ルールがあり、脳機能によって生産された言語作品もイメージ作品もサウンド作品も関数的記号ゲームと呼べるのです。一般的に、明確なルールが設定された作品がゲームと呼ばれているのです。

ゲームをここまで拡大解釈すると、きっと、勝敗とか得点があるものじゃないとゲームと呼べないのではないか、と反論される方もいるでしょう。確かに、ほとんどのゲームは、勝敗が決まるゲームか得点を競うゲームです。

 

 試験は、得点が算出されるのでゲームと言っても違和感がありませんが、小説には、勝敗も得点もありません。それじゃ、小説は、ゲームと呼べないように思えますが、私が考える言語ゲームは、関数ゲームなのです。

 

 小説言語ゲームには、勝敗や得点がなくとも、関数的ルールが存在しているという意味でゲームなのです。試験言語ゲームであれば、問題に対し正解が対応するという関数ルールが設定されています。

春日信彦
作家:春日信彦
小説の未来(11)
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