小説の未来(8)

マネキンを目の前にした真美雄は、感動すると同時に全身に震えが起きた。天から美の女神が舞い降りたのだった。絵美先生は、紅潮した顔の真美雄の手を取るとマネキンの頬に手を押し当て、指先で頭のてっぺんから足の指先までをじっくり味わうように指示した。震える指先は、精巧に作られた女体の肌をゆっくり這いまわり続けた。そして、真美雄のイメージ脳に妖艶な絵美先生の裸体曲線が鮮明に彫り込まれていった。

 

 絵が描けなくなってしまった真美雄のことが心配になっていた母親裕子は、父親輝雄について事実を話す決心をした。父輝雄は失踪したのではなく、本当は、今住んでいるこの部屋で自殺したと真美雄に伝えた。画学生だった輝雄は、画才のない自分に絶望し、自殺したのだった。事実を知らされた真美雄は、時々夢に現れる黄色い髪の青年が、父親であることに気づいた。

 

 そして、二度と絵筆を握らないと決意していたが、画学生だった父親と絵美先生の情熱に報いるために、絵を描き続ける決意をした。その夜、夢に現れた黄色い髪の青年は、あたかもルノワールが描いたかのような絵美先生の裸体画を真美雄に手渡すと、笑顔を残して暗闇の中に消え去った。翌朝、母裕子は、いつか手渡す時が来ると隠し持っていた黄色い絵の具がついた輝雄の絵筆をそっと真美雄に手渡した。

 部活と学業が両立できないとか、努力しても成績が伸びないとか、友達ができないとか、いじめられるとか、障がいがあるから軽蔑されるとか、両親に虐待されるとか、両親がいつも夫婦げんかしているとか、両親が離婚したとか、様々な理由で自分の居場所を見つけられず、将来に絶望し、うつ病や引きこもりになる若者が増加しています。さらに、自暴自棄になり、苦しみから逃れるために自殺を図る若者も増加しています。

 

目先の受験勉強に追われて育った若者たちには、生きることについて考える余裕はないと思われます。でも、生きる上で大切なことは、学歴や才能にこだわるのではなく、今ある自分をしっかり見つめ、与えられた生命を大切にし、自分の“個性”を尊重することではないでしょうか?私の場合も勉強はあまりできませんでしたが、幸運にも小説を書くという“心の支え”がありました。この作品では、今の成果にこだわるより、未来の自分のために“継続すること”の大切さを訴えてみました。

 B.「幻の恋」では、現実逃避のために新興宗教にのめり込んだ学生佳織(かおり)と教師拓也(たくや)との淡い恋を描きました。主人公は、新興宗教にのめり込んだ女子大生佳織。教祖を中心に集団生活をしていた佳織は、無事保護され、両親のもとに帰ることができた。しかし、無事保護されたにもかかわらず、神から引き離されたことによる絶望から、すでに数人の女子学生が自殺していた。その二の舞を踏んでは大学の名誉にかかわると案じた理事長は、自殺防止のために佳織を安部精神病院に入院させた。

 

 新興宗教に一度のめり込んだ少女の精神的回復を図ることは、ドクターでも困難を極めていた。そこで、ドクターは、モルモットの拓也を使ってどの程度の効用があるか実験してみることにした。そして、依然として心を閉ざしていた佳織に拓也を引き合わせた。幸運にも、拓也と佳織は意気投合し、拓也は、高校生の娘、佳恵(よしえ)に会わせることを思い付いた。というのは、天真爛漫な佳恵の影響を受けて、佳織が現実の素晴らしさを再確認し、未来を見つめてくれるような気がしたからだった。そして、早速、京都に住んでいる一人娘佳恵に会わせる段取りをとった。

 

 出会った佳織と佳恵は、それぞれの思いを語り、佳織は次第に未来を見つめるようになった。テニスをやっている佳恵が、スポーツジャーナリストを目指しオーストラリアへの留学を語ると、語学が得意な佳織は美術評論家を目指しイタリアへの留学を語った。二人は、各自の夢を語り、将来、再会することを約束した。そのことを知った拓也は、今回の旅行の成果と佳織の成長をドクターに報告した。

 

 現在の精神病の治療においては、投薬が中心になっている。しかし、ほとんどの場合精神安定の効果はあっても、精神の回復はなされていない。それどころか、薬が麻薬の働きをしてしまい、薬依存症に陥ってしまっている。そこで、ドクターが新しい治療方法として考えていたのが、精神病の治療にモルモットの人間を使うことだった。モルモット拓也を使ったことによって、宗教に洗脳された佳織の精神回復が図られたことは、ドクターにとって大きな成果であった。

 

 人は、精神的苦痛を和らげるために、また、現実の苦悩から逃避するために“精神的麻薬”である宗教にのめり込む。この現象は、古代から続いているように見受けられる。私の小説は、宗教、権力、名誉、恋愛など精神的麻薬をいろんな角度からとらえ、考察していくものです。作家は、人間の未来を考える上で、精神的麻薬を客観的に解析し、それに伴う禁断症状と自ら格闘する必要があるのではなかろうか?

春日信彦
作家:春日信彦
小説の未来(8)
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