天空の笑顔

沢富とひろ子の結婚が、水の泡になってしまったのではないかと思った瞬間、ナオ子の心にいら立ちがドッと沸き起こった。ここで引き下がってしまっては、今までの努力が水の泡になってしまうと思ったナオ子は、土俵際につま先をひっかけた力士のように、粘りに粘る決意をした。そして、もう少し、相手のことを聞き出し、弱点を見つけることにした。「その方って、なんというホテルで、どんなことをなされているの?」

 

ひろ子は、言いにくそうだったが、小さな声で答えた。「は~~、お相手の方は、長崎国際ホテルのご子息で、副社長をなさってます」副社長と聞いて度肝を抜かれた伊達は、ひろ子に向けて一気にドバっとビールを吹き出した。ひろ子は、キャ~~と悲鳴を上げた。「あなた、なんてことを」ナオ子は、素早く立ち上がり、テーブルの左手に置いてあったキッチンペーパーを数枚引き抜きひろ子の胸元を素早く拭いた。

 

ナオ子も超一流のホテルの副社長と聞いて、地獄に突き落とされたような気持ちになった。サワちゃんでは、もはや、まったく太刀打ちできないように思えた。でも、どこかに弱点があるはずとナオ子は知恵を絞って食い下がることにした。「お相手の方は、何歳でいらっしゃるの?」ひろ子は、尋問されているようでだんだん憂鬱になってきたが、もうしばらく話に付き合うことにした。「38歳の方です。先方の方もバツイチで、小学校5年生のお嬢さんが一人、いらっしゃいました」

 

沢富は、バツイチで子持ちと分かり、少し優勢に立てたように思えた。ナオ子も子持ちと聞いて、この点から攻撃していくことにした。「そうでいらっしゃいますか。お嬢さんが。それじゃ、子育てが大変ですね。義理の母親というのは、難しい立場ですから。親子の断絶とやらをよく聞きますからね。ひろ子さんも、十分考えられて、お決めになられた方がよろしいですよ」

 

貴族のオーナーと奴隷の運転手が結婚するようで、ひろ子もこの縁談には、乗り気ではなかった。シンデレラのような結婚は、歌うことしかとりえのない自分には当てはまらないように思えた。また、ママハハになることを考えると結婚生活に自信が持てなかった。「はい、お嬢様には、とっても気にいっていただいたのですが、母とも相談し、しっかり考えたうえで、ご返事したいと思っています」三人は、申し合わせていたように笑顔でうなずいた。

 

女の意地

 

ひろ子は、一呼吸おいて、刑事に相談したかった自殺の件を思い切って話すことにした。「ところで、ちょっと、話は変わるのですが、聞いていただけますか?」三人は、神妙な顔つきになったひろ子の顔をマジマジと見つめた。伊達が、ゴホンと一つ咳払いをして、話を促した。「なんでも、どうぞ。ひろ子さんのためなら、火の中水の中、どんなお願いでも聞きます。さあ、どうぞ」

ひろ子は、別にお願いをする気はなかったが、とにかく、自殺の件を話して、刑事の意見を聞きたかった。「どのように話していいか、まとまっていないのですが、この前お客さんと話しているうちに、安請け合いをしてしまって、そこで、敏腕刑事さんの御意見をお聞かせ願えないかと」待ってましたとばかりに、伊達は、身を乗り出しドヤ顔で返事した。「いいですとも。どのような?」

 

ひろ子は、ちょっと考えて、要点を話すことにした。「刑事さんもご存知ですよね。昨年のDカンパニーの新入社員の投身自殺。亡くなられた方の親友と言われる方が、先日乗車されまして、彼女がおっしゃるには、亡くなられた方は、単なる過重労働による自殺じゃなくて、自ら責任を取るために、自殺したのではないかと。というのも、自殺する数日前、会社での責任問題について、彼氏に愚痴をこぼされていたようなのです。刑事さん、どう思われます?」

 

腕組みをしてうなずきながら聞き入っていた伊達は、ドラマの主人公デカのようなドヤ顔で返事した。「まあ、そういうことがあったかもしれんが、警視庁が、自殺と判断した限り、刑事事件にはなりません。仕事上の悩みで、若者の自殺が増えていることは、痛ましいことだと思うが、刑事の出る幕じゃない。だが、T大学も出て、自殺するとは、もったいない。しかも、かなりの美人だったしな~」沢富も同意するかのようにコクンコクンとうなずいたが、首をかしげて考え込んだ。

 

ひろ子は、デカの思いやりのない返答にがっかりした。警察というところは、他殺事件じゃないと真剣に動かないということがはっきりと分かった。「そうですよね。自殺じゃ、本人の問題ですから。余計な話をしまして、申し訳ありません」沢富は、この事件について自殺の動機に疑問を持っていた。同じT大学卒ということもあったが、果たして、長時間残業だけの理由で、自殺するだろうかと疑っていた。

 

「ひろ子さん、私は、自殺の動機が、どうも気にかかるのです。確かに、ツイッターからすると、連日の長時間残業が自殺の大きな動機だと思われますが、それ以外にも、何か、自殺しなければならないような、誰も気づいていない動機があるようにも思えるのです。親友の言われる会社の責任というのが、本当にあるのなら、そのことが最も大きな自殺の動機かもしれません。でも、会社内部のことは、事件性がない限り、刑事でも調べることができません。残念ですが」沢富は、眉間に皺をよせ悲しそうな表情を見せた。

 

ひろ子は、少しでも同情してくれたことがうれしかった。ひろ子は、沢富のそういうところが好きだった。「自殺してしまった今、会社で起きたことは、まったくわかりません。おそらく、自殺してくれたことで、喜んでいる人たちがいるような気がします。でも、私たちがどうあがいても、自殺したトモミは、生き返ることはありません。お母様は、あんなブラック企業に就職させたことを悔やんでおられることでしょう。ただ、あのブラック企業に、一泡吹かせたいのです。どうにかなりませんか?」

春日信彦
作家:春日信彦
天空の笑顔
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