天空の笑顔

ひろ子は、別にお願いをする気はなかったが、とにかく、自殺の件を話して、刑事の意見を聞きたかった。「どのように話していいか、まとまっていないのですが、この前お客さんと話しているうちに、安請け合いをしてしまって、そこで、敏腕刑事さんの御意見をお聞かせ願えないかと」待ってましたとばかりに、伊達は、身を乗り出しドヤ顔で返事した。「いいですとも。どのような?」

 

ひろ子は、ちょっと考えて、要点を話すことにした。「刑事さんもご存知ですよね。昨年のDカンパニーの新入社員の投身自殺。亡くなられた方の親友と言われる方が、先日乗車されまして、彼女がおっしゃるには、亡くなられた方は、単なる過重労働による自殺じゃなくて、自ら責任を取るために、自殺したのではないかと。というのも、自殺する数日前、会社での責任問題について、彼氏に愚痴をこぼされていたようなのです。刑事さん、どう思われます?」

 

腕組みをしてうなずきながら聞き入っていた伊達は、ドラマの主人公デカのようなドヤ顔で返事した。「まあ、そういうことがあったかもしれんが、警視庁が、自殺と判断した限り、刑事事件にはなりません。仕事上の悩みで、若者の自殺が増えていることは、痛ましいことだと思うが、刑事の出る幕じゃない。だが、T大学も出て、自殺するとは、もったいない。しかも、かなりの美人だったしな~」沢富も同意するかのようにコクンコクンとうなずいたが、首をかしげて考え込んだ。

 

ひろ子は、デカの思いやりのない返答にがっかりした。警察というところは、他殺事件じゃないと真剣に動かないということがはっきりと分かった。「そうですよね。自殺じゃ、本人の問題ですから。余計な話をしまして、申し訳ありません」沢富は、この事件について自殺の動機に疑問を持っていた。同じT大学卒ということもあったが、果たして、長時間残業だけの理由で、自殺するだろうかと疑っていた。

 

「ひろ子さん、私は、自殺の動機が、どうも気にかかるのです。確かに、ツイッターからすると、連日の長時間残業が自殺の大きな動機だと思われますが、それ以外にも、何か、自殺しなければならないような、誰も気づいていない動機があるようにも思えるのです。親友の言われる会社の責任というのが、本当にあるのなら、そのことが最も大きな自殺の動機かもしれません。でも、会社内部のことは、事件性がない限り、刑事でも調べることができません。残念ですが」沢富は、眉間に皺をよせ悲しそうな表情を見せた。

 

ひろ子は、少しでも同情してくれたことがうれしかった。ひろ子は、沢富のそういうところが好きだった。「自殺してしまった今、会社で起きたことは、まったくわかりません。おそらく、自殺してくれたことで、喜んでいる人たちがいるような気がします。でも、私たちがどうあがいても、自殺したトモミは、生き返ることはありません。お母様は、あんなブラック企業に就職させたことを悔やんでおられることでしょう。ただ、あのブラック企業に、一泡吹かせたいのです。どうにかなりませんか?」

伊達は、苦虫をつぶしたような顔で返事した。「ひろ子さん、気持ちはわかります。でも、それは、逆恨みというものです。大企業、中小企業問わず、ほとんどの企業は、ブラックですよ。パワハラや長時間残業で苦しんでいる労働者は、たくさんいます。我々がやらなければならないことは、ブラック企業を恨むことではなく、貧富の格差を拡大する超資本主義政治を変革し、労働者を大切にする企業を増やしていくことです。ひろ子さん、前向きに考えてみてください」

 

経済学部卒の伊達は、政治経済に関しては、至極、まっとうな考えを持っていた。現在、パワハラ、セクハラを受け、ウツになり、自主退職する若者が増加している。また、若者の自殺者の増加は、日本社会の崩壊につながる。だからこそ、公務員も、一般労働者も、手と手をつなぎ、福祉の充実した社会に向けて、政治を変えていくべきだ。この点については、沢富も同感であった。ただ、投身自殺の動機は過重労働、ということだけで片づけてしまうことにどうも納得がいかず、今でもスッキリしなかった。

 

「ひろ子さん、先輩がおっしゃるように、力を合わせて、政治を変えていきましょう。このままでは、若者の未来がありません。トモミさんの自殺は、本当に気の毒だと思います。気になることは、今の日本の政治も企業も、得体のしれない何者かによって操作されているように思えるのです。T大卒のエリートが、いじめを受けるということは、今まで考えられなかったことです。今後、このようなケースは、頻繁に起きるような気がしてなりません。とっても、心配です」

 

常識的な理屈を自慢げに話す二人には、女性の気持ちは伝わらないとつくづく思った。遺影を胸に抱えた悔しそうな表情の母親の顔が脳裏に浮かぶとドッと涙があふれてきた。ハンカチで目頭を押さえると顔を左右に振り、一度うなずくとハンカチを握りしめ報復の決意をした。「親身に相談に乗ってくださって、本当に感謝します。親友の彼女には、お二人のご意見を伝えておきます」ひろ子は、リップサービスとしてお礼を言った。

 

ひろ子の涙が、自分たちへの感謝と勘違いした二人は、満足げな笑顔を作った。ナオ子は、ひろ子の悔し涙を察知し、これ以上、ひろ子を悲しませないように話題を変えた。「ひろ子さん、お見合いが成功するように、今夜は、ドンチャン騒ぎしましょう」ジャンプするように席を立ったナオ子は、IHクッキングヒーターに置いていた鍋を運んでくるとひろ子に声をかけた。「さあ、おなかが爆発するぐらい、バンバン食べて」ひろ子も、こうなったら、とことん飲んで、はだか踊りでもやってやるか、とやけくそになった。

 

天空のトモミ

 

翌日、17日(月)は、二日酔いで頭がガンガンしたが、運良く、非番だったため、ゆり子さんの報復の気持ちを確かめようと、会って話をすることにした。ゆり子さんに電話すると、午後3時には、講義が終わるということで3時半にF大学キャンパス西側にある正門入口でゆり子を拾う約束をした。6月まで中洲のマンションに住んでいたひろ子だったが、7月に城南区七隈(じょうなんくななくま)のマンションに引っ越した。七隈のマンションからは、同じ七隈にあるF大学までは、5分もあれば到着した。

春日信彦
作家:春日信彦
天空の笑顔
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