天空の笑顔

6時50分ごろ、マンション東側にあるタイムズのパーキングに真っ赤なスイフトスポーツが入口を通過した。右手は満車だったが、ひろ子は、左手の出口から3番目の空きを確認すると出口近くまで前進した。シフトノブが1からRに素早くシフトされると17インチホイールが後回転し、車体は静かに後退した。後輪がストッパーで停止するとシフトノブはニュートラルに戻され、グイッとサイドブレーキが引き上げられた。

 

大きなため息をついたひろ子は、助手席に置いていたショルダーバックに手を伸ばし、中から取り出したコンパクトミラーを開くと、少し緊張した顔を見つめた。ニッコと笑顔を作ったひろ子は、アイラインを引き直し、目をパチクリさせるともう一度ニコッと笑顔を作った。自分の美貌にうなずいたひろ子は、シートを目いっぱい後ろにスライドさせ、ホワイトのスニーカーからワインレッドのショートブーツに履き替えた。

 

7時5分を過ぎた長針を確認したひろ子は、息を整え静かにドアを押し開け、両足を揃えて降りた。そして、15階建てのマンションの入口に向かった。入口の自動ドアが開き中に入ったひろ子は、ロビー右側にあるプッシュボタンを押して到着を知らせた。「ひろ子さん、いらっしゃい」とナオ子から返事が返ってくると内側の自動ドアが開いた。左手のエレベーターで5階まで上がり、ドアが開くと正面に向かって左方向に歩いた。505号のドアの前に立ち止まり、大きく深呼吸するとひろ子はゆっくりインターンホンを押した。

「ハ~~~イ」と中から明るいナオ子の声が響いてきた。ドタドタと駆け足の音が響くとゆっくりドアが開いた。ひろ子の目の前にナオ子の笑顔が現れた。顔を見合わせた二人は、一瞬言葉が出なかった。再開の喜びが込み上げてきたナオ子は、大きな口を目いっぱい開き、表通りまで聞こえるほどの大声を出した。「あなた~~、ひろ子さんよ。さあ、上がって」ひろ子は、なんとなく緊張して、ぎこちない足取りでキッチンに歩いて行った。

 

ひろ子がキッチンに現れると、門番のように直立不動で立っていた伊達と沢富が、ハーモニーを作り出すようにあいさつした。「ひろ子さん、いらっしゃ~~~い」満面の笑みを浮かべた伊達は、素早く前方に足を運び、ひろ子を手招きしながらテーブルまで案内した。「ひろ子さん。お待ちしていました。どうぞ、どうぞ。こちらの席に」ひろ子は、なんとなく気まずくなったが、苦笑いをしてテーブルの席までよそよそしく歩いて行った。「突然お邪魔して、申し訳ありません。これ、つまらないものですが、どうぞ」長崎で買きた松浦漬けとカステーラをナオ子に手渡した。

 

「あらまあ~、うれしいわ。長崎の実家に帰っていらしたのね。さあ、おかけになって」ひろ子は、腰かけると大きく深呼吸した。フレッジに駆けて行ったナオ子は、キンキンに冷えたビンビールを二本運んできた。4人のグラスにビールを注ぎ、ひろ子の左隣にストンと腰かけた。「あなた、乾杯して」マジな顔つきになった伊達は、グラスを持ち上げ乾杯の音頭を取った。「いや、まあ、ひろ子さんに再会できて、誠にめでたいことです。とにかく、カンパ~~~イ」

 

いい加減な乾杯の音頭だったが、なぜか、くつろいだ。「あなた、もうちょっと練習しなくっちゃね。仲人のスピーチ、ダイジョ~~ブかしら、不安になってきたわ」伊達は、ワハハと大声で笑い、ひろ子に声をかけた。「ひろ子さん、実家に帰られたんですか。ということは、お見合いですな。どうでしたか?もう、結納の日取りも、決まっていたりして」ひろ子は、お見合いの話を持ち出されて、顔を真っ赤にした。

 

沢富は、本当にお見合いが成立したのではないかと思い、グラスをグイッと握りしめ、ひろ子の顔をじっと見つめた。ひろ子がニコッと笑顔を作ると恥ずかしそうに話し始めた。「はずかしいわ。叔母が、口うるさいんです。お見合いしろ、お見合いしろって。バツイチに縁談が舞い込んでくるのも、ここ2、3年の間なんて言って。まあ、イヤイヤながら」伊達は、お見合いをしてきたことが分かり、これはヤバイことになったと興奮し始めた。

 

伊達は、どんな相手か、気が気ではなかった。イケメンで金持ちだったら、サワは、負け犬になると不安になった。「相手は、どんな方ですか?」ひろ子は、お見合いのことは黙っていようと思っていたが、ここまで話が進んでは、引っ込みがつかなくなった。「は~~、ホテルの方でした。口数は少ない方でしたが、優しそうな感じでした。また、お会いしたいと」沢富の腕の振るえがグラスに伝わり、グラスがガタガタと音をたて震えていた。

沢富とひろ子の結婚が、水の泡になってしまったのではないかと思った瞬間、ナオ子の心にいら立ちがドッと沸き起こった。ここで引き下がってしまっては、今までの努力が水の泡になってしまうと思ったナオ子は、土俵際につま先をひっかけた力士のように、粘りに粘る決意をした。そして、もう少し、相手のことを聞き出し、弱点を見つけることにした。「その方って、なんというホテルで、どんなことをなされているの?」

 

ひろ子は、言いにくそうだったが、小さな声で答えた。「は~~、お相手の方は、長崎国際ホテルのご子息で、副社長をなさってます」副社長と聞いて度肝を抜かれた伊達は、ひろ子に向けて一気にドバっとビールを吹き出した。ひろ子は、キャ~~と悲鳴を上げた。「あなた、なんてことを」ナオ子は、素早く立ち上がり、テーブルの左手に置いてあったキッチンペーパーを数枚引き抜きひろ子の胸元を素早く拭いた。

 

ナオ子も超一流のホテルの副社長と聞いて、地獄に突き落とされたような気持ちになった。サワちゃんでは、もはや、まったく太刀打ちできないように思えた。でも、どこかに弱点があるはずとナオ子は知恵を絞って食い下がることにした。「お相手の方は、何歳でいらっしゃるの?」ひろ子は、尋問されているようでだんだん憂鬱になってきたが、もうしばらく話に付き合うことにした。「38歳の方です。先方の方もバツイチで、小学校5年生のお嬢さんが一人、いらっしゃいました」

 

春日信彦
作家:春日信彦
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