天空の笑顔

 ひろ子は、即座に返事した。「はい、タクシー会社は替わったのですが、今も、運転手をやっています。ぶしつけなんですが、ちょっと相談がありまして、今夜、お邪魔してもよろしいですか?」ナオ子もぜひ会って縁談の件を話したかった。「いいですとも、主人は、サワちゃんと釣りに行ってるのよ。5時過ぎには、帰ってくると思うから、一緒に食事いたしましょう。何時ごろいらっしゃる?」

 

 ひろ子は、夕飯時にお邪魔するのは、気が引けたが、久しぶりに会食を楽しみたかった。「お言葉に甘えて、7時ごろ、お邪魔してもよろしいですか?」ナオ子は、歓喜の声で返事した。「いいですとも、ぜひいらして。今日は、主人たちが釣ってきた魚で鍋をしようと思ってたのよ。ちょうどよかったわ。みんなで飲んでワイワイ騒ぎましょう。ひろ子さんの愉快なお話が楽しみだわ。それじゃ、7時ね、待ってま~~す」

 

 電話を切ったナオ子は、早速、伊達に電話した。伊達と沢富は、西区の海釣り公園で釣りを楽しんでいた。電話を受けた伊達は、ひろ子さんが今夜やってくると聞くと、左横にいた沢富に大声で伝えた。「ひろ子さんが、今夜、来るそうだ。よかったな、サワ」もう二度と会えないのではないかと思っていた沢富は、唾を飛ばしながら大声で返事した。「ヤッタ~~、ひろ子さんが、ひろ子さんが、会いに来てくれるんですか?やっぱ、神様はいたんだ」

二人は、突然の朗報に釣りはどうでもよくなってしまった。アジゴが数匹釣れたが、お祝いの魚にはならないと思い、釣りは、午後2時ちょっと前に切り上げ、ブルーのカワイ~ハスラーにクーラーボックスを乗せると海釣り公園を出立した。ひろ子さんの歓迎会のためにタイ、ヒラメ、エビ、を“おさかな天国”で買って帰ることにした。5時半ごろ帰宅した二人は、ドアを開くや否や、伊達は大声で叫んだ。「帰ったぞ~~。今日は、大漁だ、タイに、ヒラメだ、豪勢な鍋ができるぞ。おい、ナオ子、いるのか?」

 

あまりの大声に、ナオ子はあきれ返って返事した。「聞こえてますとも。なにが、大漁よ。7時には、ナオ子さんが来るのよ、二人とも、着替えをして、ちゃんと挨拶してちょうだい。特に、サワちゃんは、いいところを見せないと、ひろ子さんに逃げられちゃうわよ。今日は、お見合いと思って、気合を入れてちょうだい。今度、逃げられたら、二度とチャンスは来ないわよ。分かった、サワちゃん」二人は、いたずらをして叱られた子供のようにしょげてしまった。

 

6時半を過ぎると沢富は、落ち着きをなくし、クマのようにリビングをうろうろ歩き始めた。「おい、サワ、そう緊張するな。久しぶりの再会だ。ひろ子さんのお見合いの話でも聞いてあげようじゃないか」沢富は、お見合いと聞いて、悲鳴を上げた。「え~~、お見合い。ひろ子さんは、お見合いするために実家に帰っていたんですか?そんな話、寝耳に水ですよ。先輩、今まで黙っているなんて、水臭いじゃないですか」

テーブルに突進して行った沢富は、伊達の正面に腰かけ、とぼけた顔を鬼の形相で睨み付けた。伊達は、大声でワハハ~と笑い声をあげ、からかい続けた。「オ~~、そんなにひろ子さんのことが心配か?きっと、大金持ちのボンボンとの縁談が決まったんじゃないか?そいで、俺たちに報告に来るのかも?サワ、ショックで、気絶するんじゃないぞ。腹をくくっとけ。人生なんて、そう思うようにいかんものさ。俺なんか、ナオ子と結婚するのに、どれだけ苦労したことか」

 

沢富は、マジになって伊達の話に耳を傾けていた。顔面蒼白になった沢富は、開き直って反撃した。「そうですか。いいですよ。ふられたときは、その時です。僕も男です。ひろ子さんの幸せを恨んだりはしません。大いに祝福します。でも、ひろ子さんも意地が悪いな~。お見合いするんだったら、するとひとこと言ってほしかった。別に隠さなくっても、いいと思うんだがな~~。結局、僕なんか、眼中になかったということですかね」沢富は、今にも泣きだしそうなしょぼい顔をして、ガクッとうつむいた。

 

あまりにも落ち込んだ沢富がかわいそうになり、ちょっと反省した伊達は、今のお見合い話は、作り話であることを白状した。「おい。そう、落ち込むな。今の話は、冗談だ。ちょっと、からかっただけだ。でも、本当にお見合いしてるかも?まあ、その時は、あっさり諦めるんだな」沢富は、冗談だと言われても、本当にお見合いをしているような心持になっていた。一般的に、女性が姿をくらませる場合は、実家で密かにお見合いをしている場合が多いと聞いていたからだった。

6時50分ごろ、マンション東側にあるタイムズのパーキングに真っ赤なスイフトスポーツが入口を通過した。右手は満車だったが、ひろ子は、左手の出口から3番目の空きを確認すると出口近くまで前進した。シフトノブが1からRに素早くシフトされると17インチホイールが後回転し、車体は静かに後退した。後輪がストッパーで停止するとシフトノブはニュートラルに戻され、グイッとサイドブレーキが引き上げられた。

 

大きなため息をついたひろ子は、助手席に置いていたショルダーバックに手を伸ばし、中から取り出したコンパクトミラーを開くと、少し緊張した顔を見つめた。ニッコと笑顔を作ったひろ子は、アイラインを引き直し、目をパチクリさせるともう一度ニコッと笑顔を作った。自分の美貌にうなずいたひろ子は、シートを目いっぱい後ろにスライドさせ、ホワイトのスニーカーからワインレッドのショートブーツに履き替えた。

 

7時5分を過ぎた長針を確認したひろ子は、息を整え静かにドアを押し開け、両足を揃えて降りた。そして、15階建てのマンションの入口に向かった。入口の自動ドアが開き中に入ったひろ子は、ロビー右側にあるプッシュボタンを押して到着を知らせた。「ひろ子さん、いらっしゃい」とナオ子から返事が返ってくると内側の自動ドアが開いた。左手のエレベーターで5階まで上がり、ドアが開くと正面に向かって左方向に歩いた。505号のドアの前に立ち止まり、大きく深呼吸するとひろ子はゆっくりインターンホンを押した。

春日信彦
作家:春日信彦
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