謎の鉄拳女子

「お父様から要件はお聞きしています。この件に関しては、公的な話ということではなく、ちょっとした雑談ということで、お話させていただいて、よろしいでしょうか」コロンダ君は、小さくうなずいたが、即座に、眉間に皺を作るとマジな顔つきでズバッと質問した。「まことに、ご無礼とは思いますが、単刀直入にお聞きいたします。彼女の処分のことですが、すでに決定がなされましたでしょうか?」

 

学部長は、この事件に関して、一切の他言を禁じられていた。また、この事件に関しては、マスコミにも厳重な口封じがなされていた。それにもかかわらず、この事件の情報が国会議員に漏れたことに、不覚を取ったと口惜しく思った。その反面、まったく赤の他人の救済の懇願のために、わざわざ学部長に面会に来るとは、お人よしというか、おせっかいというか、出しゃばりというか、今どき珍しい若者がいるものだとあきれ返った。

 

素直な回答ができない学部長は、当たり障りない程度に世間話のような話しぶりで返事することにした。小指の先で軽く頭をかきながら苦笑いをした彼は、少し前かがみになって話し始めた。「その件に関しては、まあ、大学としても、警察としても、彼女の正義感には感服しております。今どきの女子は、強くなりましたな~。彼女の正義感を無駄にするようなことが無きよう、重々配慮するつもりです」

 

なんとなくはっきりしない返事だったが、退学は免れたようでちょっとホッとした。「ということは、復学したということですね」学部長は、ニコッと笑顔を作り、またしても回りくどい返事をした。「今、申しましたように、彼女の夢は、育んでやりたいと思っております。彼女は、三島由紀夫以来の法学部の秀才です。でも、人生には、山あり谷ありです。若気の至りと言いますか、ちょっとした過ちで、レールから脱線することだってあります。それが人生です」

 

なんとなく不安になってきたコロンダ君は、学部長が本当に彼女を救済する気持ちがあるのかどうか、確かめたくなった。「確かに、人生は、七転び八起きです。若気の至りで、脱線することもあるでしょう。でも、若者から正義感を取ってしまったら、何を信じて生きて行けばいいでしょうか?大人であれば、お金や名誉で生きて行けるでしょう。でも、若者は、自分の正義を信じ、夢に向かって、生きているんじゃないでしょうか?そこのあたりを、配慮していただけないでしょうか?」

 

彼女のうわさは、大学生の間で沖縄の鉄拳女子として徐々に広まりつつあった。また、集団的自衛権と改憲案の問題において、政府と学生の間で対立するようになると、ますます、全国の大学では反政権運動デモが盛んに行なわれるようになっていた。こんな時、この傷害事件の当事者がT大学の女子学生であることが明るみになってしまえば、彼女を政権打倒のジャンヌダルクとして祭り上げ、ますます学生運動が活発化されると予測された。また、マスコミが取り上げてしまえば、昭和の安保闘争のような全国的な学生運動に発展しかねないと政府筋は懸念した。

総理は、今回の事件について悩んだ挙句、日本から追放する名案を思いついた。それは、アメリカのH大学と日本のT大学の学術交流を見据えて、彼女を国費でH大学に留学させることだった。そこで、総理は、彼女をアメリカのH大学に編入学させるように、との極秘の指示を総長に出していた。政府はもちろん、警察としても、T大学としても、米軍基地建設反対にかかわる今回の事件だけは、世間の噂になる前に一刻も早く消し去りたかった。そこで、彼女の処遇において、T大学総長推薦によるH大学への10月度編入学が決定されていた。

 

ほんの少し、しかめっ面を作った学部長は、テーブルの中央にある赤いシガーケースにゆっくりと右手をのばし、細長い葉巻を取り出した。コロンダ君は、召使のごとく素早くカルティエのライターをポーチから取り出し、頭を下げて火を差し上げた。分厚い唇からやわらかい紫煙をふっと吐き出した学部長は、目を細め、遠い昔を思い出すかのようなまなざしで、静かに話し始めた。

 

「若いということは、いいですな~。夢を追いかけ、がむしゃらに突っ走る。あの昭和の頃の学生たちも、社会の矛盾を感じ、狂ったように学生運動をやっておりましたな~。彼女には、あの頃の匂いがプンプンします。でも、今は、交際的人材を育成する平成です。老婆心ながら、彼女には、もっと、世界を見てほしい。T大学にこだわってほしくない。井の中の蛙じゃ~、いかん。きっと、今回のことで、大きく羽ばたいてくれると信じている」

コロンダ君の不安は、払しょくできなかったが、学部長の優しい心遣いは、心の底まで伝わってきた。この学部長であれば、きっと、彼女を夢に向かって導いてくれると思えた。この際、機嫌を取るために、思い切って、父親から参議院議員当選祝いにもらった大切なライターをプレゼントしようかと一瞬思ったが、わいろと受け取られてはまずいと思い、思いとどまった。

 

これ以上学部長に質問することは、失礼にあたると思ったコロンダ君は、感謝の意を表し退出することにした。「このたびは、貴重なお時間をさいていただき、わたくしのような若輩者にご面会いただき、誠にありがとうございました。学生への優しいお気持ちを伺い、心が洗われたような心持になりました。それでは、失礼いたします」赤門から通りに出るとコロンダ君は、緊張した体をほぐすように大きく深呼吸し、彼女の無事を祈り、天を仰いだ。

 

その夜、書斎でぼんやりと学部長の言葉を思い出していると暗号のようなお菊さんのノックの音が響いた。「どうぞ」コロンダ君は、即座に返事した。ドアを開いたお菊さんは、ブルマンの香りを漂わせた二つのコーヒーカップを載せたトレイを左手に持っていた。コロンダ君は、素早くお菊さんに駆け寄りトレイを受け取ると丸テーブルに静かに置いた。「坊ちゃん、ありがとう」と声をかけ静かに椅子を引き腰かけた。コロンダ君も腰かけるとお菊さんの前にコーヒーカップをそっと置いた。

春日信彦
作家:春日信彦
謎の鉄拳女子
0
  • 0円
  • ダウンロード

9 / 35

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント