謎の鉄拳女子

お菊さんの言っていることは、まったく現実を見つめた意見だった。しかし、それでも、コロンダ君の気持ちは変わらなかった。確かに、無関係な女子学生の傷害事件に国会議員が口をはさむなんて、非常識極まりない。でも、万が一、退学にでもなれば、もはや取り返しがつかなくなる。また、彼女が子供のころから見続けてきた夢も失われることになる。そう考えると、引き下がるわけにはいかなかった。「お菊さんの気持ちは、わかります。でも、今回ばかりは、引き下がるわけには、まいりません」

 

コロンダ君の決意に負けたお菊さんは、がっかりした声で助言をした。「分かりました。坊ちゃんの好きなようにやってください。でも、決して、ことを荒立てないように、失礼がないように、くれぐれもお願いします。学部長は良識のある立派な教育者です。坊ちゃんが、誠意をもって心から懇願なされれば、きっと彼女の行く末を案じてくれるはずです。私にもお役に立てることがあれば、なんなりとお申し付けください」

 

コロンダ君は、父親を介して学部長と会うことにした。9月11日、学生が少ない日曜日の午後3時に学部長室で面会する約束を取り付けることができた。受付を通すと学生たちの注意をひかないように、ちょっとうつむいて足早に学部長室に向かった。学部長室のドアをコンコンとノックすると、物静かな声の返事があった。「どうぞ」その返事を確認したコロンダ君は、ドアを静かに開けお辞儀をするとゆっくりと足を進めた。二人が重厚なブラウンのソファーに腰を落とすと早速学部長が話を切り出した。

「お父様から要件はお聞きしています。この件に関しては、公的な話ということではなく、ちょっとした雑談ということで、お話させていただいて、よろしいでしょうか」コロンダ君は、小さくうなずいたが、即座に、眉間に皺を作るとマジな顔つきでズバッと質問した。「まことに、ご無礼とは思いますが、単刀直入にお聞きいたします。彼女の処分のことですが、すでに決定がなされましたでしょうか?」

 

学部長は、この事件に関して、一切の他言を禁じられていた。また、この事件に関しては、マスコミにも厳重な口封じがなされていた。それにもかかわらず、この事件の情報が国会議員に漏れたことに、不覚を取ったと口惜しく思った。その反面、まったく赤の他人の救済の懇願のために、わざわざ学部長に面会に来るとは、お人よしというか、おせっかいというか、出しゃばりというか、今どき珍しい若者がいるものだとあきれ返った。

 

素直な回答ができない学部長は、当たり障りない程度に世間話のような話しぶりで返事することにした。小指の先で軽く頭をかきながら苦笑いをした彼は、少し前かがみになって話し始めた。「その件に関しては、まあ、大学としても、警察としても、彼女の正義感には感服しております。今どきの女子は、強くなりましたな~。彼女の正義感を無駄にするようなことが無きよう、重々配慮するつもりです」

 

なんとなくはっきりしない返事だったが、退学は免れたようでちょっとホッとした。「ということは、復学したということですね」学部長は、ニコッと笑顔を作り、またしても回りくどい返事をした。「今、申しましたように、彼女の夢は、育んでやりたいと思っております。彼女は、三島由紀夫以来の法学部の秀才です。でも、人生には、山あり谷ありです。若気の至りと言いますか、ちょっとした過ちで、レールから脱線することだってあります。それが人生です」

 

なんとなく不安になってきたコロンダ君は、学部長が本当に彼女を救済する気持ちがあるのかどうか、確かめたくなった。「確かに、人生は、七転び八起きです。若気の至りで、脱線することもあるでしょう。でも、若者から正義感を取ってしまったら、何を信じて生きて行けばいいでしょうか?大人であれば、お金や名誉で生きて行けるでしょう。でも、若者は、自分の正義を信じ、夢に向かって、生きているんじゃないでしょうか?そこのあたりを、配慮していただけないでしょうか?」

 

彼女のうわさは、大学生の間で沖縄の鉄拳女子として徐々に広まりつつあった。また、集団的自衛権と改憲案の問題において、政府と学生の間で対立するようになると、ますます、全国の大学では反政権運動デモが盛んに行なわれるようになっていた。こんな時、この傷害事件の当事者がT大学の女子学生であることが明るみになってしまえば、彼女を政権打倒のジャンヌダルクとして祭り上げ、ますます学生運動が活発化されると予測された。また、マスコミが取り上げてしまえば、昭和の安保闘争のような全国的な学生運動に発展しかねないと政府筋は懸念した。

総理は、今回の事件について悩んだ挙句、日本から追放する名案を思いついた。それは、アメリカのH大学と日本のT大学の学術交流を見据えて、彼女を国費でH大学に留学させることだった。そこで、総理は、彼女をアメリカのH大学に編入学させるように、との極秘の指示を総長に出していた。政府はもちろん、警察としても、T大学としても、米軍基地建設反対にかかわる今回の事件だけは、世間の噂になる前に一刻も早く消し去りたかった。そこで、彼女の処遇において、T大学総長推薦によるH大学への10月度編入学が決定されていた。

 

ほんの少し、しかめっ面を作った学部長は、テーブルの中央にある赤いシガーケースにゆっくりと右手をのばし、細長い葉巻を取り出した。コロンダ君は、召使のごとく素早くカルティエのライターをポーチから取り出し、頭を下げて火を差し上げた。分厚い唇からやわらかい紫煙をふっと吐き出した学部長は、目を細め、遠い昔を思い出すかのようなまなざしで、静かに話し始めた。

 

「若いということは、いいですな~。夢を追いかけ、がむしゃらに突っ走る。あの昭和の頃の学生たちも、社会の矛盾を感じ、狂ったように学生運動をやっておりましたな~。彼女には、あの頃の匂いがプンプンします。でも、今は、交際的人材を育成する平成です。老婆心ながら、彼女には、もっと、世界を見てほしい。T大学にこだわってほしくない。井の中の蛙じゃ~、いかん。きっと、今回のことで、大きく羽ばたいてくれると信じている」

春日信彦
作家:春日信彦
謎の鉄拳女子
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