謎の鉄拳女子

総理は、今回の事件について悩んだ挙句、日本から追放する名案を思いついた。それは、アメリカのH大学と日本のT大学の学術交流を見据えて、彼女を国費でH大学に留学させることだった。そこで、総理は、彼女をアメリカのH大学に編入学させるように、との極秘の指示を総長に出していた。政府はもちろん、警察としても、T大学としても、米軍基地建設反対にかかわる今回の事件だけは、世間の噂になる前に一刻も早く消し去りたかった。そこで、彼女の処遇において、T大学総長推薦によるH大学への10月度編入学が決定されていた。

 

ほんの少し、しかめっ面を作った学部長は、テーブルの中央にある赤いシガーケースにゆっくりと右手をのばし、細長い葉巻を取り出した。コロンダ君は、召使のごとく素早くカルティエのライターをポーチから取り出し、頭を下げて火を差し上げた。分厚い唇からやわらかい紫煙をふっと吐き出した学部長は、目を細め、遠い昔を思い出すかのようなまなざしで、静かに話し始めた。

 

「若いということは、いいですな~。夢を追いかけ、がむしゃらに突っ走る。あの昭和の頃の学生たちも、社会の矛盾を感じ、狂ったように学生運動をやっておりましたな~。彼女には、あの頃の匂いがプンプンします。でも、今は、交際的人材を育成する平成です。老婆心ながら、彼女には、もっと、世界を見てほしい。T大学にこだわってほしくない。井の中の蛙じゃ~、いかん。きっと、今回のことで、大きく羽ばたいてくれると信じている」

コロンダ君の不安は、払しょくできなかったが、学部長の優しい心遣いは、心の底まで伝わってきた。この学部長であれば、きっと、彼女を夢に向かって導いてくれると思えた。この際、機嫌を取るために、思い切って、父親から参議院議員当選祝いにもらった大切なライターをプレゼントしようかと一瞬思ったが、わいろと受け取られてはまずいと思い、思いとどまった。

 

これ以上学部長に質問することは、失礼にあたると思ったコロンダ君は、感謝の意を表し退出することにした。「このたびは、貴重なお時間をさいていただき、わたくしのような若輩者にご面会いただき、誠にありがとうございました。学生への優しいお気持ちを伺い、心が洗われたような心持になりました。それでは、失礼いたします」赤門から通りに出るとコロンダ君は、緊張した体をほぐすように大きく深呼吸し、彼女の無事を祈り、天を仰いだ。

 

その夜、書斎でぼんやりと学部長の言葉を思い出していると暗号のようなお菊さんのノックの音が響いた。「どうぞ」コロンダ君は、即座に返事した。ドアを開いたお菊さんは、ブルマンの香りを漂わせた二つのコーヒーカップを載せたトレイを左手に持っていた。コロンダ君は、素早くお菊さんに駆け寄りトレイを受け取ると丸テーブルに静かに置いた。「坊ちゃん、ありがとう」と声をかけ静かに椅子を引き腰かけた。コロンダ君も腰かけるとお菊さんの前にコーヒーカップをそっと置いた。

少し不安げな表情をしたお菊さんは、コーヒーを一口すすり、コロンダ君をじっと睨み付けた。コロンダ君は、いたずらをして叱られている生徒のような心持になって、目を伏せて固まってしまった。お菊さんの尋問が始まると思うと、目の前が真っ暗になった。お菊さんは、うつむいて黙っているコロンダ君を問い詰めるかのように口火を切った。「どうでした?学部長とのお話は?」

 

はっきりとした回答を得られないまま話が終わってしまったことで、なんと言って返事していいか戸惑ったが、コロンダ君は学部長の優しさを伝えることにした。「まあ、なんといいますか。お菊さんが言ったように、勇み足だったようです。学部長は、若者の将来を考えてくれる心優し立派な教育者でした。彼女のことは、心配ないみたいです。きっと、今回の事件にめげず、立ち直ってくれると信じています」

 

お菊さんは、子供っぽい坊ちゃんをちらっと覗き見てほんの少し笑顔を作り諭すように話し始めた。「まあ、坊ちゃんの優しいお気持ちは、子供のころからお変わりありませんね。そんなやさしさは、坊ちゃんの素晴らしいところだと思います。でも、坊ちゃんも、もう少し大人になってもらわないといけませんね。大人の世界は、一歩間違えば、命とりになります。今回の件は、お父様が、穏便にお計らいなされたようですが、今後は、いつでも、ピストルの銃口が背中に押し当てられているぐらいのお気持ちで、いらしてください。おそらく、学部長は、心の中で笑っておられたことでしょう」

落ち込んでしまったコロンダ君であったが、自分がやったことが間違っていたとは思いたくなかった。たとえ、子供じみた愚かな行為だったとしても、自分の言動が彼女の将来にひと役かったのではないかと思うと、ほんの少し満足感がわいていた。そうは思っても、やはり大人げなかったことは否めないと思えて、しょんぼりしてしまった。中学生のころ、宿題もせず、夜明けまでスーパーマリオをやっていたのをお菊さんに見つかり、大声で叱られ、目から火花が飛び散るぐらいの拳骨を食らい、朝飯抜きで学校に行かされた時のことが思い出された。

 

今にも泣きだしそうな顔でコーヒーをすする姿を目の当たりにしたお菊さんの心に、コロンダ君の子供のころの面影がふんわりと浮かび上がった。この時、ちょっと叱り過ぎたのではないかと気丈な心が揺らいだ。お菊さんは、涙目をしてしょげてしまったコロンダ君の機嫌を取るかのようにニコッと笑顔を作り、声をかけた。「坊ちゃん、例の鉄拳女子、ド田舎の糸島だったわね。そうだ、連休を使って、二泊三日の糸島観光はどうです。もしかしたら、彼女と会えるかも、どう、坊ちゃん」

 

揺らぐ正義

 

 横山は、郷里の糸島で渡米の準備をしていた。8歳の時に京都から糸島に引っ越してきた横山にとって、糸島は第二の故郷だった。渡米すれば、子供のころよく遊びに来ていた平原(ひらばる)歴史公園ともしばしの別れになると思い、9月18日(日)、横山は、南風台(みなかぜだい)からママチャリに乗って思い出の公園にやってきた。ベンチに腰掛け青空を見上げた時、小学生のころ、友達と一緒にやってきて夕暮れまで無邪気に遊びふけったあの頃が思い出された。約十年の月日が経ったにもかかわらず目の前の風景は、鮮明に思い出されるあの頃の公園の風景とほとんど変わっていなかった。

 

春日信彦
作家:春日信彦
謎の鉄拳女子
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