夢のネックレス

 香子は、銀次の正面に胡坐をかいて、銀次を睨みつけた。「違うったら。ヒフミンのことよ。最近変じゃない。将棋をまったく指さなくなったのよ。奨励会は、一生受験しない、っていうし。もう、将棋は飽きたとか何とか言って。あの将棋バカが、将棋を指さないってことは、きっと、何かあるのよ。おじいちゃんに心当たり無い?」銀次は、面倒くさい話を持ってきたとしかめっ面で答えた。「そのうち、気が向けば、指すさ。ほっとけばいい」

 

 でも、香子の気持ちは、治まらなかった。「おじいちゃん、本当にそう思う。あの将棋バカが、将棋を指さないのよ。おかしいでしょ。あいつったら、将棋盤と駒は、友達にやったとかなんとか言って、変でしょ。そう思わない?」銀次は、奨励会試験を受験しなかったことで、ヒフミンの気持ちを察していた。そこで、香子を諭すように返事した。「香子は、奨励会の難しさを知らないからだ。奨励会なんて、そんなに簡単に入れるものじゃない。そのことが、ようやく分かったんじゃないか」

 

 「おじいちゃんって、冷たいのね。何よ、最初から落ちると決めつけるなんて。確かにバカだけど、将棋の天才じゃない。どうして不合格になるって決めつけるのよ。やってみなきゃ、わかんないじゃない。一度や二度、落ちたっていいじゃない。とにかく、何度でも、チャレンジすべきじゃない」銀次は、これ以上ヒフミンのことは話したくなかったが、香子を納得させるために話を続けた。

 「まあ、小学生としては、天才かもしれん。だがな~、将棋ってものは、分からんものだ。奨励会に入っても、みんながプロになれるわけじゃない。ほんの一握りの天才が、プロになる。おじいちゃんは、受験をあきらめて、よかったと思っている。きっと、本人も納得してるはずだ」香子は、おじいちゃんを見損なった。頭からヒフミンの才能を踏みにじっているとしか思えなかった。

 

 これ以上話しても無駄なように思えた香子は、自分の決意を述べて立ち去った。「そうなの。おじいちゃんって、夢のない人ね。どんなに可能性が小さくっても、それにチャレンジさせるのが家族ってものじゃない。いいじゃない、プロになれなくっても。本人が、納得するまで、とことんやれば。それが人生ってものじゃない。分かったわ。もう頼まない。必ず、チャレンジさせてみせる」

 

 孫に嫌われてしまった銀次は、じっと耐え忍んだ。確かに、ヒフミンは将棋の天才と確信していた。だが、奨励会に合格しても、将棋を続けさせることができないほど家計は苦しかった。ヒフミンはそのことを察して、あえて受験を断念したと銀次は思った。悩みながらも受験を断念したヒフミンの気持ちを考えると、どうしてもチャレンジを勧めることができなかった。「すべては、俺が悪い。こんな体でなければ」香子に聞こえないようにつぶやいた。

 翌日、お友達には本音を話しているんじゃないかと思った香子は、亜紀の家に遊びに行った。ちょうど亜紀がテラスでピースと遊んでいたので、一緒に遊ぼうと公園に誘った。二人は、大きなクスノキの陰にあるブルーのベンチに腰かけた。目じりを下げた香子は、ピースを膝元に置いた亜紀に尋ねた。「亜紀ちゃん、ヒフミンのことだけど、最近、変でしょ。亜紀ちゃんと将棋指す?」亜紀も変だと思っていたので、一度、そのことを香子に話したいと思っていた。「やっぱ、変よね。ヒフミンは、一生、将棋は指さないって。まったく、わかんない」

 

 香子は、ヒフミンの決意を再確認した。「そう、やっぱ、そうか。それにしても、変よ。将棋バカが、将棋をやめられるはずがないのよ。どうしてそんなことを言ったのかしら?受験をあきらめるなんて、信じらんない。いったいどういうこと?」亜紀も同感だった。「そうよ、七転び八起き、っていうじゃない。何度でも、チャレンジすればいいのよ。ヒフミンだったら、きっと合格できると思う」

 

 香子は、合格した時のことを思った。奨励会は、大阪にある。ということは、大阪に住まなくてはならない。そんなことは、火の車の家庭ではできない。もしかしたら、そのために、受験を断念したのではないかとふと思った。「亜紀ちゃん、ありがとう。ヒフミンのことは、任せて。どうにかしてみせる。あの将棋バカから、将棋を取ってしまえば、何が残るというの。将棋バカは、バカでいいじゃない。とことん、バカを貫き通すのよ。よっしゃ、まかせとき、きっと、プロにしてみせる」

 亜紀は、すごいお姉ちゃんがいるものだと目をパチクリさせた。「ヒフミン、また、将棋指すかな~。気が変わるといいね。亜紀も、頑張るように応援する」香子は、是が非でも来年は、チャレンジさせる決意をした。来年から働けば、下宿代を稼げると思った。また、もし、合格したなら、弟子入りできるように頭を下げる気持ちにもなった。その時、おじいちゃんの気持ちが、心に響いた。そうなのか、おじいちゃんは、私に苦労させたくなくて、あんなことを。

 

 ガッツポーズで笑顔を見せた香子は、青空を見つめ立ち上がった。亜紀も笑顔を見せて立ち上がると二人は手をつないで家路に向かった。勉強部屋に戻った亜紀は、ピンクの丸椅子に腰かけヒフミンの気持ちを考えてみた。今までは、別にプロにならなくても、将棋を楽しめばいいじゃない、と思っていた。でも、遊びであっても、将棋を指せば、プロになりたいという気持ちがまた芽生えてくるに違いない。そうなのか、きっぱり、プロの夢をあきらめるために、一生将棋を指さないって言ったのか。

 

ヒフミンの気持ちがわかると、将棋を勧めることは、ヒフミンの気持ちを踏みにじるように思えた。だからと言って、このままヒフミンにプロをあきらめさせていいものだろうかと自分に問いかけてみた。もう一人の自分が、そっと答えた。“どんな理由があるにせよ、簡単に夢をあきらめちゃダメ。”おじいちゃんは、画家になる夢をあきらめ、武器商人になったと言ったが、きっと、後悔しているに違いないと思った。たとえ、人からどんなにバカと言われようとも、夢を追い続けてもいいんじゃないかと思った。

春日信彦
作家:春日信彦
夢のネックレス
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