夢のネックレス

 夏休みが終わらないうちにどうにかして会いたいと思った亜紀は、さやかがやってくる8月11日、“山の日”の夕食のときアンナとさやかにお願いすることにした。さやかの身体検査は一通り終了していたが、5月初旬に極秘で急きょ入院した会長の看護のため帰宅することができなくなっていた。今夜は、最近なんとなく元気のない亜紀を喜ばすために家族全員でバーベキューをしようと特別に許可を得て帰宅したのだった。午後6時にバーベキューの準備が整い、テラスの前の庭に、アンナ、さやか、亜紀、拓実、ピース、スパイダー、たちは集まった。

 

 アンナは、みんなに声をかけた。「焼けてきたわよ、さあ、食べましょう」アンナは、拓実のために肉を小さく切って口に入れてあげた。亜紀は、よだれを垂らしお座りしているスパイダーの取り皿にお肉を一切れ置き、お肉を食べないピースには、キャットフードをお皿に注いだ。アンナは、腰に手を当て、胸を張って大声を張り上げた。「今日のお肉は、バリ高級佐賀牛よ。お腹が爆発するぐらい食べていいわよ」

 

 亜紀は、ワオ~~と歓喜の声をあげ、尋ねた。「マジ、どこで買ったの?」アンナは、即座に答えた。「前原のフードウェイ。ここのは、はずれがないわね」ペロリとたいらげたスパイダーは、前足でステップを踏んで亜紀におねだりをしていた。「ママ、スパイダーに、もっとあげてもいい?」アンナは、スパイダーのための肉も用意していた。「スパイダーには、これ。まったく、底なしにガッツクンだから」アンナは、スパイダー用の牛肉が盛られたお皿を亜紀に手渡した。

 

 亜紀は、アンナの顔色を窺っていた。お肉を食べて機嫌がよくなった頃合いを見て、おじいちゃんの話を切り出すことにした。「ママ、夏休み、どこか、旅行に行きたいな~、できれば南の島」アンナは、拓実が生まれてから旅行に行く気分になれなかった。さやかが一緒であれば、考えなくもなかったが、まだ、さやかは旅行に行ける様子ではなかった。「そうね~、拓実がもう少し大きくなったら、さやかも一緒にハワイにでも行こうかしら、ネ~さやか?」

 

さやかは、桂会長の入院さえなければ、この夏にでも行けるのにと思ったが、会長の入院については話すわけにはいかなかった。「旅行でしょ、そういえば、このところ行ってないな~。来年は、拓実ちゃんも3歳になることだし、来年の夏は、ハワイに行くとしようか」来年と聞いた亜紀は、がっかりした。どうしても、この夏におじいちゃんに会いたかった。「来年じゃダメ、この夏に行きたい。おじいちゃんがいる南の島に行きたい。いいでしょ、ママ。お願い」おじいちゃんと聞いたアンナは、目を丸くしてさやかを見つめた。

 

 さやかもおじいちゃんと聞いて、どぎまぎしてしまった。と言うのは、今年の8月15日、終戦記念日で77歳になる桂会長は、今年の5月初旬から前立腺癌で志摩総合病院に入院していたからだ。このことは、極秘事項でアンナにも知らせることができなかった。たとえ急死しても、即座には報道されないことになっていた。さやかは、なんと言って亜紀の気持ちを変えさせようかと思ったが、それかといって、会長がいつまで生きながらえるか心配されていた。

 この機会を逃したために会長に会えなくなれば、さやかの罪のようにも思えた。会長の入院をアンナに知らせ、二人に面会させるべきだとは思えたが、本当のことが言えない今、亜紀に何と言って話をごまかそうかと頭をひねった。「おじいちゃんね、世捨て人というか、ちょっと変人なのよ。孤独が好きみたいで誰とも会わない人なのよ。とにかく、お姉ちゃんに任せて。会えるように、掛け合ってみるから。亜紀ちゃん、いい」

 

亜紀の胸は、会いたい気持ちで、はちきれそうだった。一目でいいから、この夏に会いたかった。「どうしても会いたい。さやかお姉ちゃん、必ずよ。この夏に、必ずよ」さやかは、掛け合うと言ってみたもののドクターから承諾を得る自信はまったくなかった。会長の病状の事実は、肉親にだけは知らせてもいいのではないかと思ったさやかは、早速明日にでも、面会のことをドクターに電話で聞いてみることにした。

 

亜紀の横で話を聞いていたピースもおじいちゃんに会いたいと思った。「亜紀ちゃん、ピースも会いたいな~。南の島に、一緒に連れて行ってよ」ピースを抱きかかえるとピースを見つめうなずき、さやかに追い打ちをかけた。「会えるかどうか、いつわかるの?明日?明後日?」亜紀は、いてもたってもいられなくなった。スパイダーも話に割り込んできた。「ボクも、一緒に行きたい。留守番はイヤだ」亜紀は、是が非でも会う決意をした。「もし、ダメって言われたら、亜紀が直談判する。もう、会うって、決めたんだから」

話を聞いていたアンナは、とんでもないことになってしまったと慌てふためいた。できることなら、一生、あの老人には会いたくなかった。本当の父親かどうかわからない老人を亜紀のおじいちゃんと言って会せることは、罪になるような気持ちになった。それかといって、今ここで、おじいちゃんに会いたいという亜紀の気持ちをぶち壊したくなかった。アンナは、さやかの困惑した顔を見て戸惑ったが、すべてをさやかの判断に任せることにした。

 

「亜紀、さやかを困らせちゃダメ。さやかに任せなさい。待てば海路の日よりあり、っていうでしょ」アンナは、最近憶えた格言を言ってみた。亜紀は、このような気の利いた格言を口にしたアンナに一本取られてしまった。肩を落とした亜紀は、しぶしぶうなずき、返事した。「はい、さやかお姉ちゃん、よろしくお願いします」さやかは、亜紀の素直な態度にほっとしたが、会長の容体を思い浮かべたとき、不吉な予感が心をよぎった。

 

翌朝、電話でドクターに面会の件を相談したところ、アンナが望むなら面会は可能とのことだった。会長も死ぬ前にもう一度アンナに会いたい、とつぶやいたと言うことだった。早速、昼食後、アンナに会長の入院と病状について話すことにした。昼食後、リビングにアンナを呼ぶと怪訝な顔をしてさやかの前に腰かけた。「改まって、何よ。あ、おじいちゃんの件でしょ。無理しなくていいのよ。あんなわがまま、ほっとけばいいのよ」

春日信彦
作家:春日信彦
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