天の川

若干28歳のスティーブは、スタンフォード大学の比較文学博士課程を修了すると、日本文学の研究のため、昨年の11月にサンフランシスコから福岡にやってきた。イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、日本等における比較文学研究を言語学と宗教学の両面からアプローチしていたが、特に、キリスト教の影響を受けた欧米の文学と異なり、仏教の影響を受けた日本文学に関心を持った彼は、“仏教の美徳が生み出した日本文学”という斬新な論文を学生時代に発表し、マスメディアでも脚光を浴びていた。

 

スティーブは、日系アメリカ人で祖父は福岡県出身の日本人であった。原子物理学を研究していた祖父は、戦前に渡米し、カリフォルニア大学バークレー校で原子爆弾の研究開発に携わっていた。父親は、サンフランシスコで歯科医院を開業していたが、三男の彼は、祖父の影響を受けて日本文化に幼少のころから興味を持っていた。祖父から日本語を学ぶにつれて、さらに日本語に興味を抱いた彼は、ジュニアハイスクールのときから外語学院で日本語を学ぶようになった。

 

日本の大学の講師になった目的は、第一は、日本文化を体感すること第二は、方言と呼ばれる多様な日本語を学び、近代日本文学をより深く研究することだった。彼の日本語能力は、日本人と比較しても同等、それ以上で、英語と日本語両面における冗談を交えた講義は、学生たちに人気があった。飽きの来ない講義にしようとアメリカで起きている事件、アメリカの芸能界、アメリカの軍隊などについての話を講義に交え、ますます、彼の講義は人気を増し、今では、他校の聴講生も増えていた。

学習意欲をなくしてしまったゆう子であったが、スティーブ先生に会えることだけを楽しみにどうにか大学に通っていた。入学当初は、演劇部に入部する予定だったが、なぜか、部活に対する意欲もなくなり、帰宅部になっていた。バイトも土曜の家庭教師だけだった。でも、火曜と金曜のスティーブ先生のゼミには、必ず出席していた。ゼミでは、日本語で学生に話しかけ、学生生活についての話題も取り入れてくれた。

 

ゼミでは、テーマが与えられ、グループごとに分かれ、英語でのディスカッション形式で進められていた。7月のテーマは、将来の夢、やりたいこと、だった。各自約500文字程度にまとめ、発表するのであったが、ゆう子の頭には夢らしき将来の自分の姿は現れなかった。英語教師の夢も女優の夢も、書きかけのデッサンのようで、必死になって心のキャンパスに色鮮やかな夢を描こうと筆を動かしても、筆の跡には色は現れなかった。

 

デートに誘われない日は、図書館で時間をつぶし帰宅していた。静かな図書館の片隅で物思いにふけるひと時が、世間体の仮面を取り外せる唯一の時間となっていた。なぜか、その時だけは、宇宙遊泳をしているようで、心が癒され、あらゆるしがらみから解き放たれたような気持ちになれた。自分の未来を宇宙のキャンパスに描き始めると、スティーブ先生とそっくりな声の天使が、どこからともなく話しかけてきた。そして、天使との会話を楽しむようになった。

What’s your dream? What you wanna do in the future? 天使は、いつもの質問を始めた。「将来、何をしたいの?」と聞かれても、わかんない。でも、せっかく、英語を勉強してるんだから、英語を役立てたいとは、思っているんだけど、それも、なんだか、今一つ、ピンと来ないのよ。優柔不断な怠け者というか、やる気がないダメな奴というか、教師になりたいという夢は、ママを喜ばすためのリップサービスだったようで、マジじゃなかったのかもしんない。

 

What kind of personality do you think you have?  え、突然そんなこと言われても、困るわよ。自分でもわかないし、考えたこともないし。まあ、優柔不断で楽天的なのは、確かだから、I’m basically optimistic and cheerful, I think. ってところじゃない。いつから、こんなダメ女子になったのか、いやになっちゃう。中学の頃は、オリンピックを夢見る少女だったんだから。もう一度、あの頃に戻れるといいんだけど、また、バカなことを言ってる。ほんと、いやになっちゃう。

 

大好きだった野球バカも勝手に死んじまったし。ほんと、ヤローって、勝手よ。ブサイクヤローもなんというか、人はいいとは思うんだけど、今一つ、ピンとこないし。ボーイフレンドは、ちやほやしてくれるけど、恋愛って感じじゃないし。毎日が、からっぽで、いやになっちゃう。なんだか、自分一人が、取り残されて、周りの女子たちは、どんどん幸せになっていくみたい。ゆう子って、不運の星に生まれたっていうの?

あ~~、いやだ、いやだ。こんな愚痴ばかり毒づいて、夢に向かって、第一歩も踏み出せない。恋愛も怖気づいて逃げてばかり、美緒のように青春を謳歌できないなんて、なんて臆病者か。青春は、恋愛を楽しまなくっちゃ、なんて美緒は言うけど、片思いもできなくて、いったいどうすればいいのよ。美緒のような冒険がどうしてできないんだろう。なんだか、二度と男子が好きになれないような気がする。いったい、ゆう子は、どうしたのよ。天子さん、何とか言いなさいよ。

 

I think most Japanese girls are a little timid. わかってるわよ、そんなこと。日本の女子は、欧米の女子とは違うんだから。積極的じゃないし、自分の意見もはっきり言えないし、男子にコクれないし、恋愛下手だし、日本の女子は、控えめなのが美徳ってされてるんだから。天子には、女子の気持なんかわかんないのよ。フ~~ンだ。忌々しい野球バカ、勝手に死んじまいあがって、クソ~。

 

ゆう子さん、好きだった人を憎んではいけません。神は、あなたを見守っているのですよ。ゆう子さんの心の傷のことは、よ~く分かっています。生きる上で大切なことは、憎むことであなく、愛することです。きっと、あなたを幸せにしてくれる男子が必ず現れます。憎むことを止めたとき、きっとあなたの王子さまはやってきます。本当は、ブサイクな男子のことが気になっているんじゃないですか?自分の気持ちに素直になれば、きっと、夢に色が現れると思いますよ。

 

春日信彦
作家:春日信彦
天の川
0
  • 0円
  • ダウンロード

4 / 31

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント