てつんどの独り言 その1

2章 フラグメンタルな…( 6 / 21 )

久しぶりに夢中でTVを見た

 

 最近、集中してテレビをみることは少なくなったのだけど、昨夜(2008年)は一時間、夢中になってみて見てしまった。タモリが司会する、M.ステーションのサザン・オールース・スターズ30周年記念のライブだ。サザンはとにかく好きだし、懐かしい曲でいっぱいだ。

 

0.11 サザン.jpg

 

<サザン CD

 

 30年というと、僕の世界は、大体サザンとオーバーラップしている。

 

 みんなに愛されて、トップの座にこんなに長くいるグループも珍しい。ずっと僕は好きで、ブログの世界には、彼らの曲が陽水の曲と共に常にあった。

 

 僕の好きなのは、いとしのエリーとか、会いたいときに君はここにいない、なんかだけれど、サザンの曲はみんな好きだ。すばらしいエンタテェイナーだと思う。

 

 いとしのエリーというと忘れられない思い出がある。

 

 あれは僕たちのグループが、東伊豆に遊びに行った時のことだ。ホテルに門限があるとも知らず、朝の2~3時まで近くのスナックを貸しきり状態にして、みんなで、カラオケで歌ったり踊ったりして楽しんでいた。そのときにエリーの曲がかかっていた。みんなで一緒に歌って、みんなおおノリだった。

 

 その中に新入社員のHSさんがいた。僕にとっては、初めての技術系新卒の大卒女性社員の一人で、みんなで大切に育てていた。

 

 彼女が新人研修を終えて、僕のところに配属されてまもなく、僕に電話が掛かってきた。出ると、Oですといわれた。Oさんと言う人は、僕の友人にも近しい仲間にもいなかったので訝っていると、はっとひらめいた。僕の部門の属するグループのトップ、担当常務の名前だ。

 

 もしかして、常務のOさんですか?と聞き返した。Oさんは、僕が紹介したHSが、君のところでお世話になっていると聞いた。うまく育てて欲しいといわれた。僕は、一課長として、初めて話す偉い常務さんだった。とにかくびっくりして、わかりましたと答えた。大変な新入社員を配属されたもんだと、初めて知った。電話を切ったらわきの下に汗をかいていた。

 

 僕は、HSさんを特別扱いもせず、みんなにもそのことは話さず、普通にみんなと一緒に育てて行った。そのHSさんが、その頃僕に言ったことを、今でも鮮明に覚えている。

 

 幸運にも、私は大学までこの社会に育ててもらったのだから、一人前になって、最低3年間は社会に貢献したいと思っているって言った。T大学の数学科の出身だったから、その大学では立派なことを教えているんだなぁとそのとき僕は思った。素直ないい子で、少しゆっくり目だけど順調に育っていった。

 

 その後、折があって聞いてみると、それは大学の教えではなくて、HSさんの家の教育が言わせた言葉だった。すごいことを教え込んだもんだと改めてHSさんのうちのご両親の立派さを知った。

 

 そう、あの東伊豆の夜、門限で入り口が閉まっていたから、僕たち10人くらいは非常口からこっそりホテルの部屋に戻って眠った。翌朝、幹事はもとより監督責任のある僕も、ホテルの管理人さんからこっぴどく叱られたことを思い出す。当然だった。やっぱり若ったのだなぁと思う。

 

 そんなことも思い出しながら、サザンは僕にとって、大切な思い出を開く鍵でもあるのだと思った。

 

 桑田は、歌詞を間違えたり、声が嗄れていたりしたけど、サザンは間違いなく僕を楽しませてくれた。

 

 何時かのように、また再び僕たちの前に現れてくれることを願っているサザンだ。

 

P.S.

やっぱり、陽水にも頑張ってもらわなくては…と思う僕です。

 

2章 フラグメンタルな…( 7 / 21 )

福島原発事故の真実

 

 3月11日の東日本大震災から、2か月以上がたちました。

 

 この間、福島原発を人間のコントロール下に置くという作業は、遅々と進んでいません。次から次へと問題が見つかります。問題はもともと存在していたのですが、気がつかなかった、もしくは考えなかっただけのようです。今のところは、工程表を出そうが、どうしようが、ほんとうの収束のめどは立っていないのが現状です。

 

0.15 1原発汚染.jpg

 

<福島第一原子力発電所からの汚染の状況>

 

 この間、国民は小出しにされる情報で、問題の重要性に対する感覚が鈍り、あたかもいい方向に収束しているかの思っているようです。

 

 メディアを通して、僕たちが知りえたことは、どうも嘘っぱちのような気がしてなりません。それは、次のような経緯から芽生えてきた疑問でした。

 

・メルトダウンの発表の遅さ

・あたかも制御できているかのような小出しの情報

・政府の中で推進サイドとチェック・アンド・バランスの原子力委員会の機能が働いていなかったこと

・経済産業省の原子力保安院の、怠慢、お役所仕事

・東京電力の、独占企業での企業利益の追求が安全確保に優先していた事実

・福島の歴代の知事たちは、こぞって、原子力の安全神話を県民に吹き込んできた

・地元の人たちも、安全神話と、国からの交付金につられて、首長を選んできた

・政府の原子力専門家は、原発ありきで発信し、リスクについては目をそらしてきた 

・メディアも、安全神話に対して同調し、乗っかるだけで、リスクの検証をしなかった

・原発に批判的な専門家の意見を全く吸い上げなかったし、報道の公正さを欠いた

・政府、東電に近い大学などの原子力専門家も、本当のリスクは口にしなかった

 

 などなど。

 

 こうした疑問を払しょくし、本当のことを知りたいと、ネットで検索をいっぱい、いっぱいかけました。その結果、政府、東電、メディア、御用学者たちが言っていることは、コインの一面を言っているにすぎないとわかりました。もう一つの面は、語られなかったリスクです。

 

 確かに、今回の福島の直接的な原因は、津波による、全ての非常用電源の喪失であることは間違いありません。

 

 しかし本当は、日本各地に、「地震国日本」に原発のリスクをよく考えないで、安全神話にのっかって、どんどん推進してきた政府、電力会社の大きな誤りがあります。

 

 津波の非常用電源もさることながら、原子炉という複雑かつデリケートで、壊れやすい存在そのものが、地震に耐えうるものではないようです。そういうことが、次々に分かってきています。原子炉、格納容器、その物自体は頑丈に作られていますが、それに付随する各種のパイプ、配管などは、地震に対して脆弱でした。

 

0.15島原発(被災前).jpg

 

<事故前の福島第一原子力発電所>

 

 逆に言えば、津波が来なくても、M8クラスの地震が起きれば、そこにある原子力発電所は、格納容器、原子炉本体、および冷却制御装置の破壊で、福島第一と同じ経緯をたどることになると知りました。

 

 まずネットの検索で見つかったのは、

 

 キーワードは「最悪のシナリオ」でした。真実を語る素晴らしい番組を発見したので、お知らせします。

 

 本当のことを知りたくないので、それをパスする傾向がある日本の国民性について語り、それと原発事故の関連性を踏み込んで、語っている番組です。

 

 YouTubeへ投稿されていました。「福島の事故の最悪のシナリオ」が2011年3月25日に放送されていました。

 

 旧聞の属すると思われるかもしれないですが、実は、その後の事故の展開を、事故の2週間後には、的確に予想していたのです。

 

 残念ながら、または当然ながら、ここで語られた最悪のシナリオは、今日にいたるまでの2か月間、その後に起きた事実、現実で確実に裏付けられてきています。現実に起きた事象が、予測が正しかったと証明し続けています。

 

 横並び、お上に弱い、大新聞の言うこと、メディアの言うことをうのみにする、民族性にも触れられています。今度の事故は、そうした国民性が背負いこんだものだという観点は的確です。

 

 福島原発の事態の進展は、京大の小出裕章助教の推測どおりでした。唖然としました。

 

 ちょっと長いですが、パート1だけでも見てみてください。

 

 あえて最悪のシナリオとその対処法を考える【Part1

 http://www.youtube.com/watch?v=7W3ZI6ENAl0

 

 あえて最悪のシナリオとその対処法を考える【Part2

 http://www.youtube.com/watch?v=lvrrSbbScMU&feature=fvwrel

 

 少し自分の頭を回す必要があると感じました。皆さんはどうでしょう?

 

 

 その後、5月21日に、「福島原発巨大事故 今何が必要か」の放送がありました。

 http://www.videonews.com/

 

 この日も原発の持つ途轍もない危険と、解決不可能な将来を勉強しました。問題の収束方法すらわからないということです。

 

 約1時間40分。ちょっと長いですが、時間を作って観てみてください。

 

 題名:「福島原発巨大事故 今何が必要か」

 発言者は、科学者の広瀬隆氏。

 国会議員の勉強会での発言です。

 データを持って、警鐘を鳴らしました。

 

・日本のエネルギーは、原子力に頼る必要は全くない。全体の5%以下の貢献です

・LPGベースのコンバインド火力で、安全に、安く電気は賄える

・日本の54基の原発の全てで、地震のために福島と全く同じ大事故が100%起こる

・今まで作り出してきた原子のごみを、どう片づけるかは、技術的に確立していない

・青森県の六ヶ所村は、再利用技術はなくて、増え続ける貯蔵所に過ぎなく満杯に近い

・今動いているすべての原発を即刻、廃炉にしていかないと、本当に日本は沈没する

 

 いい加減な、政府、東電、御用学者、馬鹿メディアの言っていることは全く嘘っぱちであると、痛切に思いました。

 

 1時間40分を惜しいとは思いません。どうぞ、皆さんもご覧ください。

 

 勉強しましょう!精確な情報を知りましょう!

 

 

 

<事故以前の福島原発は、「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」が出典> 

ライセンスは、出典を明記することが自由使用の条件です

2章 フラグメンタルな…( 8 / 21 )

入院、そしてオペ

 今日も気温30℃、湿度70%超えだったけど、南北の窓を開け放つと、マンションを風が通り抜けていく。たそがれ時に、窓でベルモットを飲んでいると涼しく感じる。これはいい。ここにいると、朝凪と、夕凪がはっきりわかる。風の方向が全く逆になるのだ。その間、凪ぐ。

 

 電車の音が聞こえる。僕は小さいころ、谷中墓地から続く日暮里駅の小さな陸橋で、おそらくおばあちゃんと一緒に聞いて慣れ親しんだ電車の音は、懐かしい感じがする。どこかイン・プリントされているようだ。別に電車が好きなわけではないが、コロロン、コロロンという、線路に残す電車の音が好きだ。それを、ベルモットを片手に楽しんでいる。

 

0.17横須賀共済.jpg

 

<横須賀共済病院>

 

 またまた、5年前と同じく、カテーテル・アブレーション手術を受けることになった。

 

 この前のアブレーションでは、先生に、「神様しか、手が届かないところがあった」と言われたけれど、半年は薬なしで発作も出なかった。でも、その後、発作が再発して、アンカロンという劇薬(抗不整脈剤ではこれ以上強い薬はないと言われている)で、対症療法を続けてきた。

 

 心房細動という不整脈発作が時々起きて、苦しくなり、薬を飲み続けると、運良くおさまったりしていた。

 

 しかし、今年、いろいろのストレスのためか、2月末に発作が起きて、それが4か月も止まらない。しかも、心房細動より、ワン・ランク高い(悪い方に)心房頻拍だという。脈泊数が数分の間に、60~120bpsの間で動き回る。全く気持ちが悪くて、落ち着かない。そして、胸が苦しい。

 

 肥大型心筋症の根治・治療とわれているカテーテル・アブレーションをもう一度受けてはどうでしょうと、主治医に勧められた。技術は、毎年進んでいますという言葉に乗って、今月末から心房頻拍を絶つオペのために入院することになった。

 

 日本で二番目に、この手術の実績がある病院だから、まさかの事は起きないだろうとは思っている。でも、万が一ということもある。準備を始めた。

 

 まずは、遺言書の書き直しだ。時間が経過して、状況が変わってくると、いろいろ書くべき新しいことも出てくる。それに、前回は明記しなかった遺言書の執行者の指名を加えた。

 

 二日かけてワードで編集し、やっと良いだろうと汚い字で自筆遺言書を書く。しかし間違える。二回ほど書き直してやっと出来上がった。

 

 少し気が楽になる。まだ、この遺言書に役立ってほしくはないのだが、心臓の病気だから、逝くときは逝く。そんなわけで、こんな今日的な書き込みになった。

 

2章 フラグメンタルな…( 9 / 21 )

入院の日々

 

 6月末から7月初めにかけて、34日の予定で心臓の頻脈性不整脈を根治(=対症療法の薬物療法ではなく原因から物理的に処置して治す)の為のカテーテル・アブレーション手術を日本で一、二の実績を持つ病院で受けた。

 

0.18病室.jpg

 

<病室>

 

 *注:

 手術については添付の「不整脈の根治を目指すカテーテル・アブレーション」(京都大学附属病院 循環器内科)のホームページをごらんください。

 http://kyoto-u-cardio.jp/shinryo/chiryo/00604/

 

 ご心配をおかけしたと思いますので、入院の日々について報告をしておきたいと思います。いつもの雑駁な文にしますが、ゴメンなさいです。

 

 今回の入院は、緊急入院ではなく、予定されていた入院だったから、準備を前もってやっておくことができた。

 

 いつもは旅行の時に使う、必要品のリストのアップデートを始めた。担当の先生から言われていた最短34日を、同じ期間の旅行と同じと考えて、旅行リストに入院に特別に必要なものを書き加えてく。

 

 たとえば、寝たまま液体を飲める吸い飲みとか、T字帯(越中ふんどし)とか、睡眠を確保するための耳栓、アイマスクだとか、スリッパ、入院関係の書類、医療保険の書類、電気カミソリと充電器、電動歯ブラシと充電器などを書き加える。

 

 もちろん、その中には服用する薬もある。先生が34日と言ったから、まあ1週間分あればいいだろうと、5種類の薬を小袋に入れて1週間分準備する。

 

 これらの品々をボストンバックに詰めると、結構な大きさになった。この猛暑の中を、自分で運ぶのは嫌だからクロネコヤマトを使うことにした。宛先を聞こうと病院に電話したら、病院では受け取れませんときた。しょうがないから、クロネコヤマトの横須賀のセンター留にして、入院の朝、行きがけに受け取ることに。

 

 入院の日は、翌日の手術の予備検査のみ。脳こうそくの原因となる、血液の中に血の塊(血栓)がないかのエコー検査。あとは取り立てやることはない。

 

 5人収容の大部屋で、カーテンを仕切って左右に二人。通路をはさんで二人。5人の共同生活が始まる。結果として、入院中、延べ7人の人と共に暮らした。

 

 中には、一度も口を利かなかった人も一人いた。でもこの人は例外。同じ部屋だから、自分の病気だとか手術の事だとか、いくつかの共通の事で口をきくようになる。著名な担当医の話も出る。

 

 僕が、左隣の人と親しくなったのは、単純な理由だった。

 

 実は、ちょっと気にはしていたのだけれど、いつも現金を持ち歩かない僕には、小銭が全くなかった。しかし、病院では飲む水は売店か、自販機で買うしかなかったのだ。

1万円札を握って、売店まで降りたときにはもう閉店。自販機はとみると、千円札からの小銭しか受け付けない機械ばかり。困った。

 

 仕方なく、挨拶したばかりの左隣りのKさんに千円の借金を申し込んだ。快く千円を貸してもらった千円を握って、やっとペットの水を手に入れたのは、消灯の1時間前だった。僕の名刺にIOU\1000と書いて渡した。借用書だ。あなたに千円借りていますってことだ。

 

 おなじ手術を受ける人でも、その動機の違いには驚かされた。

 

 ある人は、危険を伴った手術をワルファリンという血液をサラサラにする薬を飲みたくないという理由で手術を受ける人もいた。その人は心房細動の嫌な自覚症状はないけれど、ワルファリンを飲みたくない、つまり、納豆が食べたいとの一心で手術を受けるって人だった。手術前に奥様が、思い込んだら仕方がないとこぼしていらした。そうしたら、1000件に1つくらいの確率で起きる手術の失敗。この手術が効かなかった。本人はがっくり。奥さまは、もう二度とこの手術はやらないでしょうと言いながら、3泊4日で退院された。彼は、納豆はやはり今後も食べられないわけだ。

 

 中には、この病院の常連(?)もいた。いろんな部位の病気で、過去数回の入院。看護師さんたちをからかっている。今回は、ペースメーカーを埋め込む手術を受けたトビの人。仕事柄、高い所で発作が起きては危険だから、仕方なくペースメーカーを胸に34日で退院。

 

 病院の食事は本当にまずい。栄養士さんが、毎日の献立を考えているそうだけれど、全くおいしくない。味がしない。カロリーは、大盛りのごはんが中心。とても耐えられなくて、売店で何十年ぶりかで買う海苔のつくだ煮、柴漬けなんかを自己判断で補って食べる。決定的な問題は、野菜の不足と乳製品が牛乳のみということ。特に僕の場合は痔主で、毎日の便通はとても大切。しかし、牛乳は下痢になるので飲めない。

 

 またまた、売店に行って、ヨーグルトとチーズと野菜100%ジュースのお世話になる。

 

0.18.0野菜ジュース.jpg

 

<野菜ジュース>

 

 千円を借りた左隣のKさんとは、それがきっかけでよく話すようになった。素晴らしいバリトンで、遠くからもその声はよく聞こえる。穏やかなひとで、彼は心房細動で、鎌倉の個人病院から紹介を受けて緊急入院していた。心臓病棟の大部分の患者がそうであるように、24時間無線のモニターが付いていて、時々、ナースステーションから看護師さんが飛んでくる。

 

 Kさんの場合、瞬間的に190BPM(一分間の心拍数=正常値は60~90)まで跳ね上がるから、モニターに反応して看護師さんがふっとんでくるのだ。決まって、点滴。本人も気持ちが悪くて寝たきりになる。

 

 彼が立ち上がって僕と話したり、トイレへ行ったりすると、BPMが上がるらしい。彼は、飛び込みだから「何か月待ち」のアブレーションの待ち行列には、いつ入れるかわからない。いつ何をするということが決まっていない患者ほど不安なものはない。

 

 次の日に、僕のオペの日が来た。朝9時からのオペで、準備は8:30から。僕は、僕の心臓が遺伝的に異形だと知っていたし、前回のアブレーションで焼き切れなかったという主治医に言葉を聞いていたから、深追いはしないでくださいと先生に釘を刺して手術台に上がった。

 

 自分の狂った心拍のリズム、鼓動の早さがモニターで聞こえる。一定のインターバルで、胸の一部が熱くなって高周波電流で胸の内側の筋肉が焼かれていく。それが実感できる。60度くらいの温度で、心臓の内部が焼かれるわけだ。

 

 先生は頑張った。予定の4時間を大幅に超えて、6時間半頑張った。僕には、先生ががんばっているのがよくわかる。不整脈の発生源の領域が想定以上に存在するのだ。先生以外の他のスタッフは、疲れ果てて、気持ちが乗っていないのがよくわかる。

 

 固い手術台に縛られて、6時間半。部屋に帰って絶対安静で6時間。合計12時間以上、身動きできなくて、もう僕は腰の痛みとしびれに悲鳴を上げた。これで、よくなってくれなくてはと期待する。

 

 睡眠導入剤をもらって、その夜はよく眠った。オペの翌日、僕の脈は正常な洞調律に戻っていた。やった~!と思った。1000人に一人くらいの確率で起きる失敗ではなかったのだ。一番恐れていた、医療事故も、合併症もなかった。感謝、感謝!

 

 しかし、翌日、僕のモニターは心房頻拍を示していた。手術前は、60~110BPMを数分間で動き回っていたが、今度は90~110BPMで高止まりだ。早歩をやっていると同じ感じで、心臓がバクバクしている。体が熱い。がっかりする僕。悔しがる先生。

 

 先生は点滴を指示されたが、その薬はぼくには全くきかない薬だった。

 

 最短の34日の入院の願いは吹き飛んだ。僕の喜びはほんの一日だけだったのだ。

 

 今は、脈拍を下げる新しい薬で、90BPMで高止まり。悪い固定化で、67日で退院。

 

 Kさんには、どこかでまたお会いしましょうとは言えなくて、入院中の彼と別れを告げた。彼の手術の日は、僕の退院の翌日に決まっていた。それは本当に良かった。

 

 次の僕のチェックポイントは8月の初旬。どういう方向になるのか、分からない。

もう一度、アブレーションをやるのか、何かほかの手立てを考えるのか…。全て、主治医の頭の中。

 

 可能性があるのなら、僕はもう一度そのチャンスにかけてもいいと思ってはいる。

しかし、…。

 

 

<写真素材「足成」から、「あけぼの」さんの「病室」をお借りしました>

徳山てつんど
作家:徳山てつんど
てつんどの独り言 その1
0
  • 0円
  • ダウンロード

34 / 50