ライバル

アンナは、ドクターの指示とはいえ、突然消えたさやかともう二度と会えないんじゃないかと不安でたまらなかった。涙を拭いたアンナは、車を運転して戻ってきたさやかに驚嘆の声を発した。「さやか、いつから、運転できるようになったの。さやかったら、こっそり運転免許なんか取ったりして、意地悪なんだから。どんなことでも、隠し事はしない約束だったでしょ。さやかの、バカ」アンナは、さやかの変化に驚きつつも、さやかが一歩自分に近づいてきたようでうれしかった。

 

さやかは、スピードに対する強度の恐怖感から車の運転を拒否していたが、ドクターの勧めでチャレンジすることにした。3ヶ月間も教習所に通い、やっとの思いで、普通自動車の免許証を手に入れた。ドクターにとっては、さやかの自動車運転は、心理実験の一つであった。さやかの一年以上に及ぶ検査は、単に、身体的、頭脳的な検査だけでなく、一般人には見られない超能力と異常心理の検査も含まれていた。

 

さやかは、スキップで玄関まで行くと、ワンワンとスパイダーが出迎え、その後ろには、ニャ~ニャ~とピースが歓迎の挨拶をした。さやかは、真ん丸い黒目で見つめるスパイダーの頭をナデナデし、擦り寄ってきたピースをヒョイと抱きかかえて、キッチンに向かった。さやかが、あたりをキョロキョロと目配せして、キッチンテーブルのイエローの椅子に腰掛けると、アンナはさやかの大好きなアップルパイを運んできた。「このアップルパイ、手によりをかけて作ったんだから。バリうまいんだから。ハイどうぞ」

次に、アンナは、深川製磁のブルーを基調としたティーカップとティーポットをトレイに載せ手運んできた。ティーポットをそっと手にするとティーカップにジャスミンティーをゆっくり注いぎ、お客に差し出すようによそよそしく差し出した。一年ぶりのさやかは、どことなく大きくなったように見えた。小柄な体形が突然大きくなったというのではなく、言葉では言い表せない神々しいオーラを漂わせ、さやかを大きく見せていた。アンナは、さやかとドクターが二人でどんなことをやっているのだろうかと興味がわいた。

 

「さやか、一年以上も、いったいどんな検査をやってるのさ。元気そうな顔を見たから、心配はしてないんだけど、さっさと帰ってきなよ。アンナは、一人ぼっち、寂しいんだから。聞いてるの?」さやかは、ピースの笑顔に応えて、ニコッと笑顔を作っては、ピースの顎の下を指先でコチョコチョとくすぐっていた。さやかは、アンナの話が耳に入らなかったかのように話を替えた。「そう、拓実ちゃんは?」

 

アンナは、拓実と聞いて、胸の奥に押し込んでいた積もり積もった悩みが、堰を切ったように一気にあふれ出してきた。「拓実は、自分の部屋で、カラオケ。毎日、歌ってるのよ。亜紀ったら、拓実を歌手にすると言って、拓実のマネージャー気取りなんだから。手に負えないわ」さやかは、まだ2歳の拓実がカラオケで歌っているのが信じられなかった。「え、拓実は、まだ、2歳じゃない。もう、カラオケで歌えるの?本当に、歌手になれるかもね」

 

アンナは、口をゆがめて答えた。「最近、反抗的なのよ、亜紀ったら。とにかく、口ごたえが多くて、困ってるのよ。さやかから、何とか言ってくれない。それに、拓実にあまりかまわないように言ってよ。学校から帰ってくると、宿題もせずに、拓実にべったりくっついて、カラオケよ。お手伝いもしないのよ。さやかがいないと、この家族は、崩壊よ。さやかのせいよ」

 

帰ってくる前からアンナのノイローゼを心配していたが、アンナの苛立ちが尋常ではないことに気づき、どうにかしてあげないと、このままだと亜紀と拓実に八つ当たりするんじゃないかと不安になってきた。アンナは、いったんキレルと、歯止めきかなるところがあった。アンナは、子供っぽいところがあり、感情のセルフコントロールが苦手だった。アンナの口調から、すでにヤバイ状態になっていると感じ取られた。

 

「アンナ、イライラするのは、よくわかったわ。亜紀も、悪気はないのよ。きっと、拓実がかわいくて、ベタベタしてるんだわ。アンナが、拓実がかわいいように、亜紀にとっても、拓実がとてもかわいいのよ。そう、亜紀は、反抗期に入ったのよ。子供は、必ず、反抗期が来るの。アンナが嫌いってわけじゃなく、とにかく、周りの人とうまくやっていけないときがあるのよ。アンナにも、そういうときがあるじゃない。それなの」

さやかは、アンナの苛立ちの原因をうすうす感じ取っていた。それは、実子である拓実にベタベタする養子の亜紀に対する嫉妬ではないかと思った。そのことは、アンナには、言えなかった。もし、そのことを口にすれば、アンナの感情をますます混乱させるように思えた。女の嫉妬は、理性ではどうすることもできないものであることを理解していたさやかは、じっくりとアンナの気持を聞くことにした。そして、少しでも、気分を楽にしてあげようと思った。

 

血走った目つきのアンナは、口を尖らせて話し始めた。「でも、亜紀は、とにかく、異常よ。二人っきりで部屋にこもって、拓実とカラオケよ。私が入っていくと、拓実はレッスン中、ママは邪魔って言うのよ。頭がおかしいんじゃない。拓実は歌手になんかならなくていいのよ。そう、口癖のように拓実は女子よりかわいいから、きっと、アイドルになれるって言うのよ」

 

アンナの話を聞いていると、確かに亜紀は拓実に対する偏執的な行為を示しているように感じられたが、アンナにも、母親としての心の余裕がないように思われた。亜紀には、言葉では言い表せない、自責の念があると思われた。それは、不可抗力ではあったが、亜紀が5歳のときに2歳の実弟を餓死させたことだった。きっと、そのことが亜紀の拓実への偏執的な愛を生み出しているのではないかと思われた。

春日信彦
作家:春日信彦
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