(七)
「それではこのような方向で、徐々に原稿を書いていただく、ということにいたしましょうか。一年に一冊で、これまで五十冊として、一冊あたりを四、五ページにまとめていただく。本の内容などの説明と一部訳出部分をとりまぜて、また作者の活動や近況、新聞記事などで読者の興味を引く、という作戦です。そこに花村先生のポイント解釈でもっと作者の存在意義を掘り下げ、読者に訴える、しかも情的にアプローチしていただくときっと効果的だと思います」
植村は気持ちの良い声音で、すらすらと喋り、少し首をかしげて私をみた。
私は彼の瞳を覗き込み、しっかりとその視線を受け止めた。しっかりと人間を縛っている社会の前提を少しゆめるための他の可能性を示すのだ、と私たちの意思は合致していた。秘密の約束であるかのように、秘密結社であるかのように。
私の中で、素早く策略としてのページの様子がめくられていった。ふむふむ、と自然に喉から声がでた。
これまで宛てもなく、ただ興味と好奇心に引かれて、手に入る限りのユリアン本を読んできた私の時間が日の目をみるのだ。意識せずに、何か目的を持っていたかのようだった。
ユリアンの父は獣医であった。母はかなりのスポーツウーマンであったらしい。一九三十七年生まれ。弟と妹がいる。十五歳でウイーンに出て写真家の訓練生の道に進んだ。しかし間も無く大学進学試験をへて、大学で西洋史を専攻することとし、博士号を取るに至る。十年余り法制史の教師をしていた。
まあ、そんなことを注をつけて紹介部分としよう。
初めての詩集「島の言葉に」で一九九七年、三十代後半のときにオーストリア文学奨励賞をうけて有名になった。それから珍しい小粋な存在としてウイーン子に可愛がられた、のだろう、気の利いた新種のペットとしてその言動と姿が妙に魅力的だったのだろう。
しかし彼はまもなくユリアンと名を変え、言わばカミングアウトした。もっと謎めき、刺激的になった。さて、このころの新聞記事が手に入るだろうか。ウィーンにあるオーストリア文学資料館にも無かったと思う。
数年後の本「旅立ちの朝」は、登場人物があり、やや教養小説的な、いわゆる小説の体をなした内容で、自伝的な要素もみてとれるものである。爽やかな不思議な文体を少し訳してみよう。
***「なんと弁解しようか、苦心する」
宿題を残念にも書くことができなかったのは、ちょうど書き始めた途端虻がわたしの手にとまり夜までそのままだったから(だって鉛筆を尖がすとき指を何本も切り落としてしまったんだもの)。
授業に出なかったのは、わたしがまずは車から溶接外しされなきゃいけなくて、そしてあ、そうか、前の座席には両親がいたんだってやっと確認できたせいです、長いことあれこれしたあとになって で初めて。
詩の暗誦ができなかったのは、隣の部屋から母の痛いという叫びが聞こえて集中できなかったからです。
答えは本当にわかっています、でも家でアンギーナとベッドにいるので提出できません。などなど
***「どちらが怖い」
新しいコートで湿った石塀によりかからないでね、大きな公園の塀が背中のところで突然倒れて急に無くなってお前はうしろ向きに池に落ちたりしたら、どんなに怖いと思う!
そしたらこんなことになるかもよ、公園の池の鏡の面をのぞいたら下から覗き返すのが誰の顔だと思う!
別に驚かないよ、わたし慣れてるから、ママが髪をとかしているとき、鏡の中でも髪をとかしているでしょ、ママと同じに左の手で。
しかし、いわゆる小説を書いて何になろう? これはユリアン自身の問いかけの言葉でもある。
そんなものは無数に存在するし、書きたい作家も同じく無数に手を上げる。読者を興奮させ涙させ、知らない世界を見せ、あるいは秘している房事や感覚を仔細に描き出してくれる何にも代えがたい媒体として。
大方は、現にある社会の仕組みの中で起こる人間関係をテーマとする。あるいはペンは自由であるから、全く異なる社会を想像し、創造して見せることも可能だ。いずれにしろ、そこに影絵のように生きさせられる人物像の背後にはある決まった哲学、人間の理解の仕方がある。それはおおよそ読者のものと一致するか、あるいは少なくとも一部の読者の共感を得る。
私のユリアンへの興味を構成するのは断じて性的なものではない。ワイフもそうだと思う。誰をどう愛しようがそれは人間という複雑な存在の自由であり、喜びの権利であるが、私の中に彼という性的な存在を熱望する部分がない、ということにすぎない。
そんなことではなく、彼のような存在感覚をもった人物がどんな生活をし、意見を持ちどう対処していくのか、を知りたい。それは私から言わせれば飽くことなく人間への好奇心である。人間って何だという思春期の問いがまだ解けていない、大勢と異なるあり方も含めるとすれば。
ユリアンには幸いにも、それを見せてくれるにたる知性も筆力も覚悟も手法もある。違う扉を開け、我々に示してくれる素質がこれほどに揃っている、それは確かにまれなことだ。
(八)
暑い夏だったこともあり、私がゆるゆると書き進めている間、植村は初期の新聞をそろえてみたいと言って、ヨーロッパに出張していた。
すぐにメールがあり、それも手に入ったのでお楽しみに、と書かれてあった。送るそうだ。
「それから、どうしてもという感じがしまして彼に会えるかどうか試してみようと思います。今年また賞をもらったということですので、取材慣れしているかもしれません。余り人前に出ず、マリアさんという女性と暮らしているようですが」などとある。
「花村先生、思ったより簡単にアポをとることができました。あさってケルンテンへ参ります。私どもから特別な出版を企画している旨伝えました」
「花村先生、私は当地でホテルをとりました。すっかりユリアンと気が合いましたので(英語で話して)、しばらく滞在して情報をお伝えします」
え、息子というよりか、孫のような年齢差だが、まあ美形の植村のことだからさっそく好意を抱かせたのだろう、と私はフラウに言った。
ユリアンの本のなかで、お気に入りは「猫日和」である。イタリアの友人に頼まれ猫シッターをすることになった時の記録だ。好き嫌いの感情はさておいて、出会った生き物の生態を的確に記そうとする。しかしただの文章ではない。関係文章が後ろから後ろから重なってきて、日本語にするのは無理なのだ。カッコ内に意見が述べられているのは奇異ではあるが、訳するのはむしろ問題が少ない。なかなか丸がこないジグザグの長文の和訳において、私は長詩を思い描いた、うしろからかかってくる説明文をそのままの順番で訳出した。できるだけつながりをつけながら。ブルーとビオラ、二匹の猫。
***「猫びより」
でも夜は何と快適か、外は真冬の寒さしきりなのに
暖房はもう宵のうちに切られている時
たくさんの駈け布団の下に争って入る
私の右と左に湯たんぽとは誠に有り難い
彼らのゴロゴロも暖めてくれる!
十一月のあさまだき
彼らも寝坊したりする、私と同じにいつまでも
身動きもしない
夜のうちに重さは増している
ひたと寄り添って眠りの抱擁、どこが頭かどこが尻尾か
薄暗がりじゃ、尖った耳で見当つけるしかない。
何しろ眠りこけながらなので、私も賢くならなくて何度も体験した、夜の重さのみが残されるってこと、体の上とか横、一緒に彼らが朝まで寝てるのを感じる、好きな寝相で私にくっついているのを。しかし彼らは全然存在いない、忍び出て行く彼らの体の圧力感を、その暖かさごと私の腰に、そしてしなる感じを私の背骨に、残している、なのに仲良くまだ少し、共にまどろんだままだって思わされるなんて--幻覚だ、周囲の眠り込んでいる布団のせいで強くなった幻覚だ。
私にとって、感動だったかもしれないこと、あるいは事実感動だったのかナ
外はもう明けているのにこちらが全然動こうとしなかったせいで
彼らがその冷たく長い前脚で私の手を取ったこと
その手で撫でて貰おうとして
(人間の間であるような友情からだ
たとえそれがなお程遠いものであるとしても
だからこそ時にはまさにそんな友情が生じる
そこら辺りに偶然いた動物との
この場合に限れば--誰だって喜んで手伝いや動物研究のためにそこに呼ばれていくだろうからね!--元々はイタリア産の猫との
その子孫達との友情が生じるのさ、短い期間でもネ
犬好きの私にはそれまで猫は本当に異質な物だったし
また結局今でもそのままなんだが)
もう一箇所、猫好きの私にはたまらない描写を紹介しよう。
台所で。ちょっと見てごらん!
人間のテーブルの人間の皿からこっそりと
もしそれを自分の食器の中に見つけたら
むっとしてその場を去る前に鼻にしわを寄せるであろうものを
彼女がつまみ食いするのを。
かなりしばしばビオラは台所のざるからほうれん草やサラダ菜の葉を取る
救ったのかさらってきたのか
その子と共にサッと暗いすみに隠れる
ブルーも、心配そうに二人を見ながら、さっぱり分かりはしないのだ
彼女が未だ生まれぬ
まだまだ彼女の腹に存在しない子供達のために
肥ったネズミを一匹捕まえたのか
或いは人形で子供の世話をする練習をしているのか
ーー彼女の片や子供の腹の、片やその狭い脳の
なんと言う本能と想像の果たす技か!
遊びに彼を誘っているのではない
彼女が幾たび葉っぱの上に身を伏せるとしても
おもちゃをかばうのとは違う
それは卵を抱く雌鶏のようだ
ーー不安そうな目つきだ、震えとおののきが守ろうと構えた体の上を走る
だめよ、これは私だけの物よ!
それをしっかりと体にかき寄せた、暖めようとして、その上に身を寄せる。
カレはそれでも跳びかかる、本当はこわごわなのだが
彼女はカレに襲いかかる、やった! カレの方が退く
誰がそんなことを彼女がすると思ったろう
いつも弱い方としてカレに従うのが常なのだから!
予想外だったのは、争いの種が雑巾のベッドの中に寝かされることとなっても
両者に異論のなかったことだ
それは雑巾の中にくるみ込まれ
雑巾はすっかり落ち着くまで押さえつけられる。
水飲み時にも口から離そうとしないせいで
それが水の容器に落ちでもすると、彼女は溺れるそれを救い上げようとする
嘆きの声と水を怖れる前脚
ホラお前の緑の子供だよ!
緑の垂れ髭を作って彼女は得意そうに
ツッツッと歩き去っていく
ーーカレは彼女を見送り、それからオマエの方に困ったような顔を向ける
その通りあの娘は変だね!
次は、難しすぎて難渋すること請け合いの「読者を困らす」から引用してみよう。
と、私が難儀していると植村からメールが入った。
「しばらくご無沙汰しておりました」
まだ帰国してなかったのか、と意外に思った。
「いずれ明らかになることではありますし、また今後どうしたらいいものかもわからないままではありますが、ともかくお知らせすることを決心いたしました。私はユリアンと多くの時間を過ごすようになり、どうしたことか離れがたくなってしまいました」
何だって、おそらく私の目がかっと見開かれたことだろう。そんなことが許されるのか、いや、誰が許すわけでもないが、どう解釈すれば? 二人の性器が思い浮かんだ。想像に過ぎないが。どうするんだ。その想像を逞しくしていかにあれこれ組み合わせてみても、事実に辿りつけるわけではない。私はワイフにも話し、なお協議してみたが想像を超えることに挑戦することを二人とも諦めた。長年のパートナーだというマリアはどうなったのか。
「マリアは変わらず一緒です。それから先生もご存知なかったようですが、二人にはすでに養女がいるのです。もう成人して家を出、大学に通っていますのであまり問題ではないのです。私は二人の息子といっていいような年齢ですので、まあ一家の老後の助っ人といった立場でいるのかな、と予想してます。
先生ご夫妻にはおそらく不愉快なことかもしれませんでしたが、私も仕事はありほとんどは離れて暮らしますし、愛情関係の形は自由に考えていくつもりです。ただ、この心がぴったりと綴じ合わさったような感覚には自分でも驚くほどなので、離れられるとは決して思われないのです」
植村の人間離れした美貌を思うと、どんな地上の愛にも惜しいような気がしていたが、こんなことになろうとは。と思う反面この桁違いの結びつきがふさわしいとも感じる。