そして、消えた

地球暦2015年秋
 シニアレジデンス 夢の里 施設長 迂会常蔵は、笑顔を絶やさずやわらかに話すことを常に心がけていた。老人ホームでの勤務が長くなるにつれ、心がけて実行していたことは、習慣化し、意識しなくてもできるようになった。入居者遺族を前に、この習慣がでないよう、顔の筋肉が緩まないよう、表情を作っていると思われないよう、死亡の責任が施設側にないことを伝える作業に必死だった。幸いなことに、亡くなった入居者は、いずれも多数の人が倒れた時に見ており、救急車で搬送されて、病院で死亡が確認されたことだ。居室での単独死では、なかった。医師の診断も「老衰による多臓器不全」であり、入居年数が短かったので、返戻金も高額なこともあり、遺族からのクレームは出ていない。それにしてもと、迂会は、立て続けに6人も亡くなったことを 偶然 と思ってよいのだろうか?と口には出せない疑問に逡巡する。「夢の里」は、入居時「自立」(要介護や要支援でないこと)が要件のひとつで、入居前健康診断書も提出してもらい、入居してからも、 定期健診を受けてもらっていた。亡くなった6人にも問題はなかった。健康寿命が尽きるとともに生物寿命も尽きたわけで、平たく言えば「ある日ポックリ死んだ」のは、本人たちにとっては望むところだったと思う。長生きはしたいが、寝たきりや、ボケ(施設長 迂会は伯父、伯母に「認知症」と言うように、そのたび注意していたが。)にならずに、元気でポックリ死にたいという声は、入居者や高齢の伯父、伯母から、年中聞かされていた。
 九月から十月にかけて、バーサン・ファイブ・シスターズ全員 高名な占い師森田氏の母親、6名とも平均寿命以上を全うしての逝去であった。厚生労働省は 平均寿命に健康寿命を追いつかせたいと健康維持政策に力をいれてゆく方針と敬老の日間近にニュースがあったが、6名はそれを実践したお手本のような死に方であったと思う。
 バーサン・ファイブ・シスターズは、「夢の里」趣味の合唱サークルメンバーの中から、八十七歳から九十二歳の5名で作ったアカペラグループだった。当初は施設内や他の老人ホームのイベントで舞台に立っていただけだったが、張りのあるつややかな声とアルトからソプラノまで音域の広いハーモニーに 目を瞑って聞けば、アラフォー女性グループを思わせるほど、瑞々しいのだった。敬老の日関係のイベントにあわせ、テレビにラジオにと出演が続き、全国の老人ホームからもオファーが殺到して、沖縄まで遠征公演に出かけ、舞台が終了して楽屋に引き上げるときに、次々に倒れたのだった。2名は、那覇市内の病院でその日のうちになくなり、残る3名は家族の希望で応急処置をほどこし、容態安定したところで、東京の病院に移送したが、1週間と経ずして、亡くなった。個々にみれば、年齢から考えて、亡くなってもまったく不思議ではないが、同じグループ全員がほとんど同時期、死に至ったため、マスコミ報道もあり、かなりの騒動となった。迂会は、施設長の立場上、警察とも医師とも話し、わかりやすく言えば、エネルギー切れ、オーバーヒート状態、老衰が突然襲った稀有な死亡との認識で一致した。年齢から考えれば、いつ死んでもおかしくない。むしろ、年齢の割りには、アクティブ過ぎて、その「つけ」が突然やってきた。アクティブさが稀有なので、死亡がめずらしいのではない。 
 島田すえ、占い師森田由紀の母親のほうも、80過ぎからの趣味となった俳句が入居後から急激な上達をみせ、朝比奈新聞投稿欄にも掲載され、句集を自主出版したばかりだった。旅行好きの すえ は、由紀から 米寿のお祝いに 豪華客船 飛鳥 の 日本一周クルーズをプレゼントされ、船が横浜港に戻った日、「夢の里」で夕食に降りてきたときに倒れ、緊急入院して帰らぬ人となった。十月のことである。

 


 由紀は 母の死 に仰天した。「例の古書」の鍵を回した以上、てっきり母より先に自分があの世へ旅立つと思い込んでいた。年老いた母がひとり残されることを予想して、有料老人ホームに入居させ、母宛に「鍵付き古書の秘密」を明かした遺書を作成して、貸し金庫に預けた。そう、由紀は、海辺のカフェのオーナーに 何も言わず、古書を持ち出していた。だまって借りた。盗んだといわれても、言い訳できない。だが、由紀の手元に古書があった期間は限られていた。その間に、母の目に触れたことは、なかったはずだ。古書は、母が老人ホームに入居して、すぐ、海辺のカフェ に そっと戻しておいたのだから。たぶんオーナーは、古書が持ち出されたことに気づいていないはずだ。
21世紀地球暦 2014年晩秋
 ドリームカンパニー、何の会社なのか? いかにも胡散臭い。とアルバイト募集チラシを眺めながら、河野晴夫は思った。「日給、日払い、交通費支給、面接後即日勤務可、週3日勤務」、大学は無事卒業できたものの、いまだ就職先を探している身には、週3日勤務で日払い給与はありがたい。就活中は、面接に行くのが日課だからだ。アルバイトは、いつでも辞められる。親からの仕送りが遅れている今日日、背に腹は変えられない。
 アルバイトで入ったドリームカンパニーだが、居心地の良さに、まじめに勤務して、正社員にしてもらった。正社員といっても、社長のツクル氏、秘書兼家政婦?兼総務全般担当の山内さん、社員 河野晴夫 の極小所帯。ツクル氏は、おだやかな人物で、声を荒げるのを聞いたことがない。が、目は、底知れなく深く、ブラックホールを見つめるとこんな感じがするのではないかというのが 河野の正直な感想だ。事務所の掃除、お茶いれ、出勤管理、給与計算と社長と河野社員のこなす仕事以外の社の仕事は、すべて山内さんが処理していた。一番の新米で平社員であれば、いくら世間しらずの河野でも、掃除、お茶入れは、自分がやりますと山内さんに申し入れたところ、山内さんは、あっさりと「それでは、わたしが不在のときに、お願いします。」と言い、分担がはっきりした。パソコン操作も早く、よどみなく、いったいどれだけの外国語をしゃべれるのか、驚異的能力があるのに、なんで、こんな会社で、だまって雑用をこなしているのかと河野は思う。日々観察するうちに、この「だまって」が行き過ぎ?のせいで、他の会社でやってゆけなかったのかとも推測する。いわゆる雑談に応じるのは 社長ツクル氏だけで、山内さんは、おしゃべりもしなければ、表情も乏しい。いつも、いつもロボットみない なのだ。必要があって「話す」ときも、話し方に抑揚が少なく、冷静すぎる。
 河野のみるところ、ドリームカンパニーは、一種のコンサルタント業務兼便利屋なのだと思う。どういう「つて」で、会社の存在を知ったのか、そこそこ名の知れた商社まで、クライアントなのには、驚いた。社員とは言っても 河野の仕事は、運び屋である。海外まで出張がある のは、魅力だ。それに、少々遅刻しても何も言われない。出張のときも、経費も豊富で、用が済めば、有給休暇扱いにしてくれた。電送できないというか、なんとしても漏洩を防止したいデータを運ぶのが仕事なのだ。データ自体も暗号化され、ファイルにも当然ロックがかけられた状態で、電磁波遮断ケースに入れられる。そのケースはさらに腕時計に収められた。腕時計ごとそっくりクライアントに渡すのである。口頭契約成立時に 読み取り専用機 が クライアントに事前に貸与されている。はじめての出張のとき、社長は、河野に注意事項を言い聞かせた。曰く「自分の安全を最優先すること。脅しがかかって聞かれたときは、知っていることは、なんでも言ってかまわないこと。盗まれたときは、会社にすぐ連絡すること。余計なことはしないこと。」ドリームカンパニーの業務はデータの運搬で、データ収集自体は他の会社の業務であり、むろん中味は知りえないという認識を河野社員には与えてあるので、河野社員の知りえた範囲で、なにをしゃべろうとドリームカンパニーの隠くされた本来業務に支障はないのである。
 
 河野社員がどんなに朝早く出勤しても、社長と山内さんは居た。海外出張中に、うっかり時差を確認せずに報告の電話を入れても、待たされることは、なかった。あの二人は、いつ家に帰るのだろう? もっともどこに住んでいるのか聞いたこともないが。

21世紀地球暦 2015年初冬
 外はまだ暗い。夜も開けやらぬこんな朝早くから起きて、まして出勤するなんて、われながら驚くべきことだ。新入社員の河野は、なんとしても山内先輩より早く出勤したかった。採用になってから、さして気にもとめず、机上清掃やお茶汲みも山内さんが「わたしが不在のときにお願いします。」と言うのを間に受け、出勤時間ぎりぎりか 遅刻さえしていた。気まぐれに早めに出勤したときも、出張帰りで帰社が遅れても、いつも山内さんが居た。仕事に張りが出きたせいもあり、たまには山内さんより早く出社したいと思うようになった。こんなに早く起きたのは、人生初、今日こそ自分が会社に一番乗り。ドリームカンパニーに着くころには、明るくなりつつあった。
 出勤は久しぶりだ。海外出張の余禄でなく、本物の休暇をもらって、実家に帰っていた。まぶしいような思いで、古びた事務所のエントランスを眺めた。河野の就職先に不安を抱いていた両親も、海外出張先のお土産を受け取り、話を聞き、何より、息子のはつらつとした元気な様子に、安心したようだった。 
 事務所は、がらーんとしていた。社長も山内さんも居なかった。今日こそ山内さんに勝ったと気持ちが高ぶった。営業開始10時を過ぎても誰も来なかった。めずらしいこともあるものだと思いつつ、自分でコーヒーを入れた。湯沸しポットの電源は入ったままだった。何度も時計をみる。時間が経つのが、とても遅い。もともと事務所内は、書類が山済みということは一切なく、机上には、電話だけ、あとはパソコン、湯沸しポット、コーヒーカップ等がはいったチェスト、小さな本箱、新聞ホルダーと数えるほどの備品しかなかったのだが。


 早朝出勤した河野だが、とうとう終日 社長も山内さんも来なかった。連絡もなかった。 河野晴夫社員は、連日ドリームカンパニーに出勤し、待つ ことだけを仕事にして、毎日むなしく 帰宅した。新聞は配達され続けていたので、新聞に目を通すことが日課になりつつあた。自分でも 年寄り臭い日課だと思う。読むとゆうより、なんとなくページをめくり、眺めているのに近かったが、「行方不明」の見出しには、思わず声が出て、自分で自分の声に驚いた。記事には、最近人気の高かった占い師 森田由紀 が 行方不明とあり、捜索願は、シニアレジデンス 夢の里 施設長 迂会氏。迂会氏は、森田由紀の母親の逝去に伴い、森田氏に来訪してもらったが、その後の連絡をとろうとしたが、連絡が付かず、警察に届け出たとのこと。母親の死に相当のショックを受けていたようだったので、心配になったと掲載されていた。
 新聞を手にしながら、わが身の置かれた状況にどうすればよいのか考えをめぐらせる。警察に届けたほうがよいのだろうか?が、仕事内容の秘密保持の観点からは、届けることはできないのではないか? 行方不明を届出れば、当然業務内容を問われることになる。河野社員独りのドリームカンパニーには、電話もかかってこなかった。手にしたままの新聞をもう一度読み直す。記事の中のシニアレジデンス「夢の里」は、先日他界した大叔母の「こと」が入居していたところではなかったろうか? 
 河野社員は、事務所内を徹底して調べることにした。もう1週間になるのになんの連絡もないのだから、勝手に調べたことを咎められても言い訳はできる。まず自分のPC内のフォルダーや毎日チェックしていたが、メールを再度調べ、次に山内先輩のパソコンを開いてみた。ログインIDはなんだろう? 最新の認証方法としては、指紋認証とかもあるが、この事務所は、少し前のセキュリティ対策で、アナログな雰囲気も感じられるほどなので、開示できるかもしれないと思いつつ、いろいろ試してみる。

十五夜
作家:K
そして、消えた
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