知らぬが仏

秀樹を気に入ったアンナは、少女のような軽やかな声で返事した。「そうね、水泳にテニス、なんと言っても、モータースポーツね。車もバイクも乗りまわすわよ。サーキットでも走るんだから」サーキットと聞いた秀樹は、おとなしい亜紀とまったく違う母親に、目を丸くした。「へ~、すごいんですね。どんな車に乗られているんですか?」待ってましたとばかり、アンナは、ドヤ顔で返事した。「サーキットでは、ホンダ・S2000。買い物は、BMW。ゴルフに行くときは、ベンツ。ツーリングは、ヤマハ・FJR1300。若いころからモータースポーツが趣味なの」

 

何台もの車とバイクを持っていることを聞かされて、仰天してしまった。「そんなにたくさん、車とバイクをお持ちなんですか。スタイル抜群のお母様は、パワフルウーマンなんですね」アンナは、秀樹がますます気に入り、自分の子供のように思えてきた。「いつか、オートポリスに連れて行ってあげるわね。きっと、感動するから。楽しみにしてるといいわ」秀樹は、母親に気に入られて、亜紀にますます急接近できたように思えた。

 

謎のおじいちゃん

 

 秀樹は、亜紀の家庭が不思議に思えてきた。母親は、お団子屋をやっているに過ぎないはずなのに、BMWとベンツの高級な車を持っていた。お団子屋って、そんなに儲かるのだろうかと思った。どう考えても、お団子屋ぐらいで高級車が買えるとは到底考えられなかった。ふと頭に浮かんだのが、生命保険金だった。父親の死亡保険金で高級車を買ったのではないだろうかと一瞬思ってみたが、やはり、それは違うように思えた。

そんなことを考えていると、なんとなく、モヤモヤが膨らんで、イライラし始めた。秀樹は、母親に気に入られたことだし、この程度のお金の質問をしても嫌がられないように思えた。食事を終えて、アンナが食洗機に食器を並べ始めたのを見届け、小さな声で質問した。「亜紀ちゃん、お団子屋って、儲かるんだね。お母さん、高級車を持ってるし」その質問に、亜紀はなんと言って答えていいか戸惑ってしまった。お団子屋は、赤字がでない程度で、まったく儲かっていなかったからだ。

 

 「え、お団子屋。お団子屋は、ママの趣味なの。まったく儲かってないみたい。ママの高級車は、おじいちゃんからのプレゼントなのよ。おじいちゃんは、ビルゲイツより金持ちなんだって。まだ、会ったことはないんだけど」亜紀は、おじいちゃんのことをつい口に出してしまった。ビルゲイツより金持ちと聞いた秀樹は、飛び上がってしまった。目を大きく見開いた秀樹は、泡を吹きながら尋ねた。「おじいちゃんって、誰なのさ。ビルゲイツより金持ちって」

 

 ビルゲイツより金持ちと言ったのは、さやかだった。だから、おじいちゃんが、誰なのかはまったく分からなかった。「そういわれても、会ったこともないし、さやかお姉ちゃんが、そう言ってた、だけだから・・・」返事に困った亜紀は、アンナに聞いてみることにした。大声でアンナを呼んだ。「ママ、ちょっと、こっちに来て」トイレにいたアンナは、亜紀の大きな声に目を丸くして、すばやく手を洗うと笑顔でテーブルにかけてきた。

アンナは、亜紀の右横に腰掛け、亜紀に眼をやった。「はい、ロケットのごとく、飛んできましたよ。何でしょうか?」亜紀は、早速質問した。「ね~、おじいちゃんって、大金持ちなんでしょ。どんな人?さやかお姉ちゃんが、ビルゲイツより金持ちって言ってたけど。あのBMWとベンツは、おじいちゃんのプレゼントよね。時々、高級車でやってくる燕尾服のおじさんは、おじいちゃんの召使でしょ」

 

ビルゲイツより金持ち、と聞いて、アンナは噴出すように笑った。笑いをこらえながら、アンナは返事した。「ビルゲイツより金持ちって、さやかが言ったの。まったく、冗談が過ぎるんだから。パパは、確かに金持ちだと思うけど、単なる、おせっかい焼きの老人って感じね。高級車は、要らないって言ったのに、もってくるんだもの。困ったものだわ」

 

秀樹は、ビルゲイツより金持ちというぐらいだから、もしかしたら、有名な金持ちじゃないかと思った。「どんな方なんですか?有名な方ですか?」アンナは、ちょっと返事に戸惑った。IT企業の会長とだけは、さやかから知らされていたが、それ以上のことは分からなかった。「どんな方っていわれてもね~、何と言っていいのかしら。大企業の会長とでも、言えばいいのかしら」

秀樹は、ちょっと首をかしげて、思い当たる人物を考えてみた。ビルゲイツよりも大金持ちで、有名な人といえば、・・「もしかして、そのかたは、陰で世界を動かしているとうわさの、桂小五郎じゃないですか」その質問に、一瞬息が詰まった。確かに、さやかが桂って言っていたようでもあったが、はっきりしなかったからだ。また、アンナは、そのことを確かめたわけでなく、どうでもいいことだと思っていた。それかといって、自分の父親のことを知らないというのも変なように思えて、話をあわせておくことにした。

 

「そうね、桂会長と言ってたかしら」秀樹は、その言葉を聞いて悲鳴を上げた。「ヒェ~~、ほんとですか。あの、あの、カツラ」秀樹は、あまりの驚きに声が脳天から飛び出した。アンナは、桂会長が世界的に有名な人だとは知らなかった。アンナは、適当に話を作った。「あら、そんなにびっくりするほどの人だとは思わないんだけど。単なる、人のいい老人よ。めったに会わないし、あまり、人と会うのは好きじゃないみたいだわ」

 

秀樹は、桂会長の奇妙なうわさを父親から聞かされていた。桂会長は、誰も過去の素性を知らない陰の権力者で、まったくといっていいほど人と面会しない謎の人物であることを。「いったいどうして?大金持ちのご息女が、こんなド田舎の糸島に?信じらんない」アンナは、父親の話が事件のようになるとは、面食らってしまった。確かに、大金持ちの子供だったら、こんなド田舎で暮らさないと思えた。

春日信彦
作家:春日信彦
知らぬが仏
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