終末少女ハイネ×アリス 第1話:2人はセプテム・ハンター

3:作戦会議


 漆黒の闇に包まれた荒野をそのハンヴィーは走っていく。空は晴れてこそいるが、旧時代から続く大気汚染の影響か星の明かりはほとんど見えず、月も今夜は新月とあって姿が見えない。頼りになるのは、ハロゲンランプのヘッドライトだけだ。

 やがてハンヴィーは、村から北へ10キロほどの場所にある旧時代の市街地にたどり着いた。

 20世紀の終わりから21世紀の始めごろまでこの街には、万単位の人間が住んでいたのだろう。しかし、人間の管理から離れて100年が経過した今、建物の大半が老朽化によって崩壊し、道路も瓦礫や崩落によって寸断され、栄えていた頃の面影は完全に失せていた。

 市街地に入ってからハンヴィーは、ずっと徐行運転をしている。何も無い荒野と違い、市街地は複雑に入り組んでいる上に障害物も多いため、あまり速いスピードでは走れないのだ。ましてや夜間ともなればなおさらだ。

 運転をアリスに任せ、ハイネはジードと話をしていた。

 最初に話したのは、ジードが村に軟禁されるまでの経緯だった。

 これまでジードは、村を襲う前に情報収集のため自ら村を下見していたのだ。今回も旅人を装って下見に訪れたが、キンバライトファミリーを恐れるあまり疑心暗鬼に陥っていた村人たちに捕まったのだ。

 次に話したのは、キンバライトファミリーについてだった。

「キンバライトファミリーはな、俺の親父が作った組織なんだ。最初は親父と兄弟、お袋だけだったが、どんどん勢力を拡大して今じゃ構成員が100人を越える大軍団になった」

「じゃあ、ボスは2代目で?」

「いや、3代目だ。親父が死んだ後、叔父貴が2代目になったんだが、組織の方針を巡って派閥争いがあったんだ」

「派閥争い?」

「ああ。セプテム・ギルドって知ってるか?」

「詳しくは知らないが、巨大な犯罪組織だろ?」

「ああ。そのギルドに加わるか加わらないかで揉めてな。叔父貴は反対派だった。他人の言いなりになるぐらいならファミリーを解散させるとか抜かしてよ。本当、バカな話だぜ。今時、ギルドに加わらない連中なんでいないのによ。それで俺は加入派のリーダーとなって叔父貴の反対派を潰して3代目になったってわけさ」

「セプテム・ギルドとはどんな関係を?」

「子分みたいなもんさ。ギルドにせっせと上納金なんかを納めてな。支払いが滞ると殺し屋をよこして脅しに来やがる。けど、ギルドが運営する市場を通じて物資や情報、商品の売買ができるし、仕事の斡旋もある」

「商品というと、やっぱり麻薬とか?」

「色々だ。麻薬、奴隷、武器なんかはもちろん、食料、燃料、美術品、何でも商品になる」

 2人が組織について話し込んでいると、前方から眩いほどの強い光が差し込み、3人は思わず腕をかざして光を遮った。

 直後、いくつものけたたましい爆音が響き渡り、複数のバイクがエンジンをふかしながらハンヴィーの周りを走る。まるで獲物を取り囲むライオンのようだ。

「テメエら、誰だ!」「痛い目に遭いたくなかったら身包み全部置いていきな!」

 威嚇するバイクにハイネとアリスは緊張する。

 ジードが口を開く。「あいつらはキンバライトファミリー――俺の部下だ。ちょっと待ってろ」言ってドアを開け、車から降りる。

 ヘッドライトの光に照らされるジードの姿を見て部下たちは騒然とした。

「ボス!」「ボス、ご無事で!」「ボスが帰ってきたぞ!」

 部下の1人がジードに駆け寄る。「ボス、帰りが遅いものですから心配しました!」

「村の連中に捕まってな。それをこいつらに助けられた」

「この者たちですか?」言って部下はハンヴィーの車内を覗き込み、ハイネとアリスを見やると再びボスに顔を向けた。「小娘、ですか?」

「俺たちと同じ盗賊だ――と言ってもフリーだがな。俺の組織に入りたいと言ってな。手土産に村の情報も持ち帰ってくれた」

 村の情報、という言葉に部下は反応した。「では、村を襲うのですか?」

「ああ。これから作戦会議を開くぞ。準備しろ」


 キンバライトファミリーは、市街地の中にある小学校を根城にしていた。他の建造物同様、学校の校舎も老朽化が進み、辛うじて原型こそ留めているが、所々が崩れている。しかし、100人近い盗賊たちが生活するには充分すぎるほどの空間があり、またグラウンドはファミリーが所有するバイクやトラックの駐車スペースとして利用されていた。

 会議は教室で行われ、ジードを始め、ハイネ、アリス、そして数人の幹部たちが出席した。皆、教室内の椅子や机に腰掛けるなどして視線をジードに向けていた。

 まず最初にジードが口火を切った。「これから襲撃するあの村は、他の村のようには行かない。住人どもは俺たちの事を警戒している。それに今日、俺たちを助けるためにアリスが村で暴れたからなおの事、用心深くなっているはずだ。だが、村にも弱点はある。それをアリスに説明してもらう」

 ジードの言葉で全員の注意がアリスに向かう。アリスは喉払いすると、説明を始めた。

「今日、私は相方の救出と襲撃のため、村を下見した。その結果、いくつか分かった事がある。まず第1に住人たちはこちらを警戒しているが、それ以上に恐れている。下見していた時も何人かが村から逃げるのを見た。今日の襲撃でも右往左往するばかりで適切な対処ができていない。第2に武器はクロスボウなど手作りの物がほとんどで銃火器の類はかなり少ない。見た所、こちらは銃火器に恵まれているから火力で負けるという事も無いはずだ」

 アリスの説明に幹部の1人が口を挟む。「なら正面から突っ込んで皆殺しにすりゃ良い!」

 いかにも頭の悪そうな風貌をしている幹部の男を冷ややかな目で見ながらアリスは言葉を続けた。

「そういう訳にも行かない。実は1つ、問題がある。さっき銃火器の類は少ないといったが、まったく無いわけじゃない。村の連中、トラックを改造して作った装甲車を持っている。数は1台だけだが、あちこちに鉄板を張り巡らせて防弾能力を高めている。サブマシンガンどころか、アサルトライフルの弾丸だってはじき返しかねない代物だ。その上、重機関銃も積んでいる。下手にやりあったらかなりの損失を蒙るぞ」

 今度は別の幹部が口を挟む。「じゃあどうしろっていうんだよ!」

「この装甲車は私たちが破壊する。私たちのハンヴィーには50口径の重機関銃が積んである。こいつは射距離300メートルで20ミリの鉄板を撃ち抜く威力がある。あの装甲車がそこまで頑丈とは思えん」

 次にハイネが続く。「こいつを破壊さえすれば、脅威はなくなるし、村の連中も戦意を失う。破壊したら信号弾で合図を送る。そしたら全員を村に突入させてくれ」

 再びアリスが説明する。「攻撃は北側からとする。また、可能な限り殺しもするな」

 奇妙な注文に幹部が反発する。新入りでかつ女の分際で命令がましく説明している事に苛立ちを覚えていた。

「いったいなんだってんだ、さっきからよ! 新入りの分際で偉そうに指図しやがって! 俺たちの好きなようにやらせろ!」

 その言葉に他の幹部たちも「そうだ!」「何様のつもりだ!」と同調する。

 そんな幹部たちをジードは睨みつけた。殺意の宿った目つきにいきり立っていた幹部たちは萎縮し、言葉をにごらせながら黙りこくった。

 幹部たちが沈黙したのを確認してからアリスは説明を再開した。「東側には畑がある。村人の話によると、もうすぐ収穫になるらしい。食料は物資にもなるし、商品にもなる。それをトラックで踏み荒らすのももったいない。西側は休耕地で何も無いが、土壌が柔らかいので車両が進入すると足を取られる可能性がある」

 新入りの説明に幹部たちは呻き、そして恐る恐る反論する。「けど、俺たちは百姓じゃねえ。収穫なんてやった事ねえぞ」

「それは奴隷にした村人たちにやらせる。収穫が終わった後、どこぞに売り飛ばすなり、殺すなりすれば良い」

 再びうめく幹部たち。アリスは続ける。「私とハイネは陽動を兼ねて南側から攻撃して装甲車を破壊する。その後、本隊は北から攻撃してくれ。前後から挟撃されれば、敵も戦意を喪失して抵抗できなくなるだろう」

 説明が終わり、幹部たちはざわめきながら互いの顔を見合った。今までキンバライトファミリーの面々は、火力と暴力に任せて欲望の赴くままに略奪を続けてきた。こんな軍事作戦みたいな襲撃など1度もやった事が無いし、議論した事も無かった。それは3代目とて同じだった。

 ジードは内心でほくそ笑んでいた。このアリスという女、美しいだけでなく参謀役をやってのけるだけの頭脳も持っている。

 そうだ、これこそ今のファミリーに欠けていた存在だ。はっきり言ってメンバーのほぼ全員が筋金入りの武闘派であり、この手の人材は無いに等しかった。

 ジードは嘗め回すようにアリスの身体を眺めた。肉体こそまだ幼さを残してはいるが、しかし女として理想的な身体つきをしている――肉体、頭脳の双方を見てもこの歴代史上最高のボスである自分の妻に相応しい女ではないか。

「良いだろう、アリスの作戦を採用する」

 ボスの言葉に幹部たちはどよめいた。確かに合理的な作戦である事は幹部たちも理解していたが、しかし今日入ったばかりの新入りの立てた作戦を全面的に採用するとは想像もしていなかった事だ。

「良いんですか、ボス? こんな青臭いガキの立てた作戦――」

 不安そうに意見具申する幹部の言葉を遮るようにジードは、ホルスターからリボルバー拳銃を抜き取り、その銃口を突きつけた。

 突然の事に一同は騒然とし、意見具申した幹部は硬直した。自分に向けられる銃口と、引き金に指をかけるボスの冷ややかな目つき――ファミリーの掟を破った裏切り者を処刑する時と同じ――に心臓が高鳴り、汗がどっと吹き出る。

「ボス、何を――」

「屑が。消えろ、目障りだ」

 指に力が入り、撃鉄がシリンダー内の銃弾を叩く。瞬間、銃口から44口径(約11ミリ)のマグナム弾が爆音と共に撃ち出される。

 20グラムの弾丸は、音速を上回るスピードで幹部の額に撃ち込まれる。衝撃で頭蓋が粉砕され、あまり使われなかった脳の一部が鮮血と共に飛び散り、辺りにぶちまけられる。

 幹部は、驚愕の表情を浮かべながら後ろに倒れた。数え切れないほどの凄惨な死体を量産してきた他の幹部たちも、変わり果てた仲間の姿に戦慄した。

「空席ができたな」銃をしまうと、ジードはアリスを見やった。「アリス、今日からお前をファミリーの幹部に抜擢する。働き次第では俺の右腕になってもらうぞ」

 言われ、困惑するアリス。「しかし、私は新参で――」

「俺が良いと言ってるんだ」遮るように言い、ついで他の幹部たちを見回す。

 ボスの視線に幹部たちは、蛇に睨まれたカエルのようになった。

「お前ら、こいつの死体をどこかに捨てて来い。あと前祝だ。アリスとハイネの歓迎会も兼ねたな」

 命令に幹部たちは「ははッ!」と規律正しい軍人のような返事をし、素早く行動した。普段、粗末で貧相な食事をしている構成員たちは、宴会ともなれば無条件で歓喜の声を上げるのだが、今回ばかりはボスの不興を買ってはならないと感情を押し殺していた。

 ある者は宴の準備のため脱兎の如く部屋を飛び出し、ある者は死体を片付けようと素早く動き回る。そんな中、ハイネはボスに話しかけた。

「前祝? もう勝った気でいるのか」

「アリスのおかげでな」言ってジードは参謀の肩に手をかける。

 僅かにアリスは不快感を見せ、ハイネもピクリと眉を動かす。

「随分とアリスを買ってるようだな?」

 どこか敵意を感じさせる鋭い目つきをするハイネ。そんな参謀の相方をジードは面白そうに笑った。

「なんだ、嫉妬か? 自分を差し置いて相方だけ出世したのが気に入らないのか?」

 言われ、視線を逸らせるハイネ。「別に、そんなんじゃ」

「安心しろ。お前も働き次第では幹部に抜擢してやるぞ」

 ジードの言葉にしかしハイネは、なおも機嫌の悪さを呈していた。

 見かねたアリスが話題を逸らすように話しかける。「それよりボス、早い所、夕食に行こう。朝から何も食べていないんだ」

「そうか、何も食べていないのか?」

「フリーだと食料も満足に調達できなくてな」

「よし、良いだろう。今夜はたらふく食え。ハイネ、お前も食って英気を養え」

 言ってジードは、アリスの背中の腕を当て連れて行くように部屋を後にした。

 ジードの背中を見送り、1人部屋に残ったハイネは、怒り半分、不快感半分の表情を浮かべた。

「ケッ、何が幹部に抜擢してやるだ、クソ野郎が」


4:宴の華


 宴会は、駐車スペースとしても使われているグラウンドで行われた。構成員たちは、焚き火を囲んで食欲の赴くままに暴飲暴食に奔走し、あちこちから頭の悪そうな笑い声や叫び声を響かせた。

 ジードはアリスを――まるで自分の右腕だと言わんばかりに――隣に座らせて上機嫌に酒をあおり、肉を貪る。それとは対照的にアリスは、酒には手を出さず、皿の料理を黙々と食べていた。

「どうだ、アリス。入ってすぐ幹部に抜擢された気分は?」

 聞かれ、口に含んでいるパンを喉に通す。「身に余る光栄、といった所だな」

「そうか。お前には期待しているぞ」言って酒瓶を上げ、一口分を口内に流し込む。「ふう――ところでアリス、盗賊を始めて何年になる?」

「2年ほどだな」

「ハイネとはいつから?」

「盗賊を始めてすぐ」

「きっかけは?」

 その問いかけにアリスは数秒ほど黙考した。「――1人じゃできない大きな仕事があって、たまたま一緒に組んだ。それからずっとだ」

「いつも2人で仕事を?」

「私は頭脳労働担当であいつは肉体労働担当だ。言うなればブルジョワとプロレタリア。ホワイトカラーとブルーカラーだな」

 分かりやすく、そして面白い説明にジードは「なるほどな」と笑う。

 そこへ不機嫌そうな表情を浮かべるハイネがアリスに近づいた。

「誰がプロレタリアだ、まったく」

「お前以外に誰がいる?」

「本当、いちいち嫌な奴だな」ぼやきつつ、アリスの隣に腰を降ろす。「しかしまあ、ファミリーにも入れて、取りあえずは順調だな」

「取りあえずはな」応え、グラスの中の水を飲み干す。「ここからが正念場だ」

 2人の会話にジードが割って入る。「そう、ここからだ。キンバライトファミリーの一員になったからには、精力的に働いてもらうぞ」

 応えたのはハイネだった。「心配すんなって。明日にでもあっと驚くほどの仕事をしてやるよ」

「頼もしいな。口先だけじゃない事を期待しているぞ」

 任せとけ、と言いたげに手を軽く振るハイネ。

 その時、1人の構成員――やはり育ちが悪そうなオーラを放っている――がハイネに近づいた。ほろ酔い気味なのか、顔は赤みを帯びており、足取りもどこか頼りなく、今にも手にした酒瓶を落としそうだった。

「おおい、新入りぃ。酌だ、酌をしろぉ」

 男の言葉――否、先輩の命令に対しハイネは一瞬だけ顔を向けたが、無視しようとすぐにそっぽ向いた。

 そんな後輩――今日入ったばかりの新入りの小娘の生意気な態度に男は、不快感を露にして声を荒げた。

「テメエ、それが先輩に対する態度かぁ? 調子に乗ってんじゃねぇぞお?」

 明らかに指先よりも気が短そうな男の威嚇にアリスは、心配そうに声をかけた。

「ハイネ、酌をしてやれ。ここまで来て面倒ごとはご免だぞ」

 言われ、ハイネは仏頂面を浮かべる。「分かったよ、やりゃ良いんだろ、やりゃよ」文句を垂れつつ立ち上がり、男の方を向いて酒瓶を受け取る。「で、グラスは?」

「はあ? グラスだあ?」顔面を近づけ、唾を飛ばす。

 酒と口臭の混じった酷い悪臭にハイネは思わず眉をひそめながらも言い返す。「酌して欲しいんだろ、だからグラスだ」

「テメエの口がグラスだよ」言って男は下卑た笑みを浮かべる。

「はあ!? 私の口だって!?」思わず素っ頓狂な声を上げるハイネ。

 明らかに嫌悪と拒絶でいっぱいの口調に対し、男は意図や空気も読まず一方的に話を続ける。

「どうだ、嬉しいだろ? ファミリーで最強を誇る俺様からの指名だぞ」

 調子の良い男の言にハイネは、無理やり作った笑みを浮かべながら手を震わせる。無意識の内に力が入り、酒瓶が僅かに悲鳴を上げる。

「ああ、嬉しいね――嬉しすぎて興奮してきたよ」

 いったい何に起因する興奮なのか――少なくとも男は、自分とキスできる事に対する興奮だと勝手に解釈した。根拠はもちろん、ファミリー最強の戦士からの指名という事実だ。

「だろ? ほら、遠慮せずにさっさとやれよ」言って男は、唇を尖らせてハイネの口移しを待った。

「そうか、なら遠慮無くやらせてもらうぜ」おもむろにハイネは男に近づいた。

 そして左手で後頭部を抑えると、右手に持った酒瓶の飲み口を男の口に突っ込んだ。ビンの飲み口は、男の前歯の一部を砕き、そのままの勢いで喉の奥に押し当てられた。

 突然の事に男は混乱し、突っ込まれた瓶を引き抜こうともがく。だが、少女とは思えぬ腕力で押さえつけられ、そのまま強引に顔を空に向けられ、酒を呑まされる。いや、呑まされるというよりも、喉元に直接流し込まれているという表現が正しい。口からは呑みきれなかった分がこれでもかといわんばかりにあふれ出ている。

 その光景にジードは面白そうな笑みを浮かべ、アリスは唖然としていた。

 酒瓶の中身を全部流し込むと、ようやくハイネは瓶を引き抜いて男を解放した。

 当の男は、激しく咳き込み、思わずその場にうずくまってしまった。そんな男を楽しそうに見下ろしながらハイネは言った。

「どうだ、私の酒の味は? 美味すぎて窒息しそうになっただろ?」

 ハイネの言葉に男は呼吸を整えつつ、見上げる。「テメエ、何しやがる!」

「酌をしてやっただけだろ? その様子だと気に入ってもらえたようだな」

「ふざけるな、このクソガキ!」怒鳴り、立ち上がると同時にハイネに殴りかかる。「ヒイヒイ泣かせてやらあ!」

 顔面に向けて突き出すストレートをハイネは難なく避ける。

 男は立て続けにフックやアッパーを繰り出すが、ハイネは余裕の表情を見せながら軽やかに避け、掠りもしない。

「遅い、動作がいちいち大振りだ。それとも派手な動きで役者でも目指してるのか?」

 挑発に男は激昂する。「なんだと、この!」

 力任せに右ストレートを繰り出すが、空気を切り裂くだけで無駄に体力を浪費していく。

 その時、ハイネが不意に叫んだ。「今だ、後ろがガラ空きだ!」

 後ろがガラ空きだ――その叫び声に男は、思わず後ろを振り向いた。だが、振り向いた先に見えたのは、燃え盛る焚き火と、遠巻きに眺めている仲間たちの姿だけだった。

 男は一瞬、困惑した。そして再び前を向いた時、目にしたのは、高らかと掲げた空き瓶を頭めがけて振り下ろすハイネの姿だった。

 バァンッというガラスの砕け散る音がする。辺りにガラス片が飛び散り、男は衝撃と痛みで身体をよろけさせてしまう。

 ハイネは、手に残っていた空き瓶の欠片を後ろに投げ捨てると、すかさず男に肉薄し、そのグローブで保護された握りこぶしを男の胴体に撃ち込んで行った。

 プロボクサーを思わせる、素早く絶え間ないラッシュ。それでいて一撃が重く、抵抗する気力を奪い取る。男は、ハイネのラッシュから逃れようと後ずさりするが、傍から見れば、逃れると言うよりも押されていると言う風に見えた。事実、ハイネは男の後退に合わせて前進し、距離を保っている。

 男の背後に焚き火が迫る。ハイネは、最後の一撃と言わんばかりに全力のストレートを男のどてっぱらに見舞う。瞬間、男は後ろに仰け反り、背中から焚き火に倒れこむ。

 背中を炙られ、男は凄まじいまでの熱さに悲鳴を上げ、炎から逃れるように転げまわる。

 構成員たちが騒然とする中、ハイネは余裕の笑みを浮かべながら口を開く。「だから言っただろ、後ろがガラ空きだってな」

 そこへアリスが怒りの表情を浮かべながら駆け寄ってきた。

「ハイネ、このバカ! いったい何やってるんだ!」

 相方の叱責にハイネは悪びれた様子も無く答える。「ちょっと揉めただけだろ」

「揉め事は起こすなと言っただろうが! まったく、何考えてるんだ!」

「キーキー喚くなよ、文句ならあの酔っ払いに言え」煩わしそうな表情を浮かべるハイネ。

 反省の色を見せない相方にアリスが頭を抱えていると、ジードが声をかけた。

「随分と派手にやったな、ハイネ」

 言われ、ハイネは「まあな」と軽口を叩き、アリスは申し訳なさそうな表情を浮かべる。

「すまない、ボス。私の相方が暴れて」

 頭を下げる相方にハイネが横槍を入れる。「おい、アリス。いったい何やって――」

「良いから黙ってろ!」語気を荒げ、睨みつけるアリス。

 そんな2人のやり取りを見てジードが口を開く。「ハイネ、中々の見物だったぞ。今、お前が倒したのは、元格闘選手だった男だ。闘技場では何人もの相手を殺し、地元ではそれなりに名が知られていたほどだ」

「あの程度で有名人か? よほどマイナーな闘技場らしいな」

 ハイネの軽口にジードは笑う。「威勢は良いな。だが、調子に乗らない事だ。あまり度が過ぎると、それなりのペナルティを課す事になるぞ?」

「ペナルティ? ボーナスカットか? それともサービス残業?」

 減らず口を叩き続けるハイネの両肩をアリスが掴む。

「なんだよ、アリス」

「ちょっと話がある」言ってハイネを押して強引に歩かせる。「ボス、こいつにきつく言っておくから今日の事は見逃して欲しい」

 ボスは答える。「ああ、せいぜい教育を頼むぞ」

 了承を得てアリスは、ハイネを人気の無い場所へと歩かせた。


 2人を見送ったジードは、再び宴席に戻って酒をあおり始めた。構成員たちも先ほどの騒動など無かったかのように再び騒ぎ始める。

 燃え盛る焚き火を見つめながら、不意にジードはあの2人――ハイネとアリスの事を考えていた。

 今日の作戦会議で見せたアリスの参謀としての優秀さ。そして先ほど見せられた、ハイネの兵隊としての実力――そして何よりも、男を興奮させるあの魅力。単なる幹部では惜しい。幹部より更に上――側近、それも縁者など組織の運営に直接関わる地位に相応しいぐらいだ。

(片方を妻、片方を愛人――どちらかにファミリーの後継者となる俺の子を産ませる……)華やかで輝かしい未来にジードは、ほくそ笑んだ。

 ファミリーは今、ギルドに加盟しているといっても末端組織に過ぎず、使い走りも同然だ。だが、ジードとて現状に満足などしていない。いつか組織を大きくし、ギルドの中核に躍り出るつもりだ。そのためにも、2人のような人材が必要になってくるだろう。

 否、ひょっとするとこれは転機かも知れない。あの2人を迎え入れた事がきっかけで組織の急成長が始まるかもしれない――そんな運命めいたものさえ感じてしまう。

 ジードがそんな想像に耽っていると、アリスとハイネが戻ってきた。アリスにきつく言われたのだろう、ハイネの表情は弱気と疲労感で染まっている。

「今、戻った」

「その様子だとちゃんと躾もできたようだな」

 躾、と言う言葉にハイネは反応し、目を細めてジードを睨む。だが、すかさずアリスが制止させる。

「ハイネ、言ったばかりだろ」

 言われ、再び弱気の表情を見せ、ジードから視線を逸らす。

 そのやり取りを見てジードは満足そうに笑う。「暴れ馬の手綱はちゃんと握っているようだな」

「取りあえずは――ハイネ、先に休んでろ」

 その言葉に従ってハイネは黙って寝床へと向かった。


5:進撃のキンバライト


 夜が明ける。東の空から太陽が昇り、荒れ果てた大地を照らす。空は晴れ渡り、絶好の略奪日和といったところだ。

 100年前のこの時間帯、恐らくは元気な子供たちやチャイムの電子音が響き渡っていたのだろう。だが、西暦2100年の今、小学校のグラウンドに轟いているのは、バイクやトラックのけたたましいエンジン音と、人面獣心を絵に描いたような男たちの叫び声だった。

 襲撃に向けて構成員たちは準備する。バイクやトラックのエンジンをふかし、銃や弾薬を携帯する。ある者は興奮のあまり、空に向けて発砲を繰り返し、またある者は意味も無くバイクを走らせてドリフトを繰り返す。

 キンバライト・ファミリーの戦力は、構成員が約100名。車両は、荷台に幌を被せた4輪駆動の中型トラックが3台と多数のバイクだ。武器は、サブマシンガンなどピストル弾を使用する小型で扱いやすい物が中心となり、ライフルや機関銃などの大型銃火器は見当たらない。

 ハイネとアリスも準備を進めていた。ハンヴィーの荷台からM2――50口径(12.7ミリ)弾を使用する空冷式の重機関銃を持ち出し、それを車体上部の銃座に固定させる。

 個人装備も整える。だが、2人の装備は、多くの点で対照的だった。

 ハイネは、45口径(11.5ミリ)弾を使用するサブマシンガン、UMP45を携行する。右の太ももには、ピストルを収納するためのホルスターを装着する。ピストルは同じく45口径弾を使用するオートマチック――HK45だ。左の太ももには、サブマシンガン用のマガジンを装着させるためのベルトを巻く。ベルトには、4本の予備マガジンが固定されていた。そして腰にもベルトが巻かれ、ピストル用の予備マガジンが入ったポーチや刃渡り50センチほどのマチェット(鉈)を備えていた。

 一方でアリスは、リー・エンフィールドNo.4Mk-Ⅰというボルトアクションライフルを携える。ジャケットに隠れるように装備された左脇腹のホルスターには、45口径弾を使用するM1917リボルバー・ピストルを収納している。腰のベルトやそれを吊り下げるY字型サスペンダーには、革製のポーチなどが備えられ、その中に予備の弾薬などが収められている。

 ハイネが近接戦闘重視型なら、アリスは長距離戦闘重視型といった具合の装備だ。その上、ハイネの銃器は、いずれも旧時代末期に開発された比較的最新鋭のものであるのに対し、アリスのは旧時代の中でも20世紀前半ごろに開発された旧式だ。特にM1917は、その形式番号は示すとおり、最初のオリジナルが製造されたのが西暦1917年ごろという骨董品ぶりだ。

 比較的最新型で高性能なモデルを好むハイネと、性能よりもどんな環境下でも確実に動作する信頼性の高いモデルを好むアリスの性格がそのまま表れた形だ。

 2人が準備していると、辺りにジードの声が響き渡る。

「良いか野郎ども、よく聞け!」

 声のした方に視線を向けると、トラックの屋根に立つジードの姿が見えた。ハイネは心の中で『煙と何とかは高いところが好きだな』と毒づいた。

 そんな未来の妻候補の心情をよそにジードは続ける。「村の連中には大恥をかかされた! この俺! キンバライト・ファミリーのボス! 最強軍団の総帥である俺にだ! 奴らを許すな! 村にある物は全て奪え! 食料、水、燃料、全てだ! 逆らう奴は殺せ! 命乞いする奴は奴隷にしろ! 生き地獄を見せてこの俺を怒らせた事を後悔させてやる!」

 ジードの演説に構成員たちは雄たけびを上げる。

「ぶっ殺せ!」「全部奪え!」「女どもを好きなだけ犯してやるぜえ!」

 興奮し、意味も無く銃を乱射する構成員たちを尻目にハイネとアリスはハンヴィーに乗り込み、エンジンを始動させる。

 幾多のバイクが爆音を轟かせて学校の正門を走り抜ける。2人のハンヴィーも発進し、ファミリーの車列に加わった。


 市街地を抜けたファミリーは、土ぼこりを舞わせながら村に向けて進軍する。

 やがて遠くに村が見える距離にまで来ると、その場に止まる。

 無数のバイクやトラックが停車する中、ハンヴィーがジードの乗る車に近づく。

 ジードの車は、スポーツカーを思わせる4ドアのオープンカーだ。前の運転席と助手席に部下が座り、後部座席はボス専用といわんばかりに占有している。

 ハンヴィーの運転席からアリスが顔を出す。「ボス、これから例の装甲車を潰してくる。信号弾がを合図に突入してくれ」

「ああ、作戦通りだな。期待しているぞ」

 ハンヴィーは車列から離れ、村の方に向けて走り出す。

 それを見送ると、ジードはどっしりとシートに腰掛け、くつろぐ。そして2人の作戦が成功する事を切に願った。

 アリスとハイネは、私的な側近に迎えるに相応しい人材であるし、自分自身、できる事ならそうしない。いや、できる事ならすぐにでも妻として迎え、はっきりと公言してしまいたい。だが、いくら能力が高くとも、まだ入ったばかりの新参だ。実績も無い内にいきなり側近に迎えたとあっては、部下たちも納得しないし、反発も招くだろう。昨日、勢いでアリスを愚弄した幹部を殺してその場でアリスを幹部にすると公言してしまったが、あまりああいった事をやるとファミリーの結束を綻ばせかねない。

 今回の襲撃で2人が期待通りの活躍をして実績を挙げれば、部下たちを納得させられる。

(歴代史上最高のボスに相応しい女たち、か)優秀な参謀と兵隊の妻を侍らせる未来の自分の姿にジードはほくそ笑んだ。

 その時、村の方から銃声が響いた。どうやら2人の襲撃が始まっているようだ。構成員たちも「始まったぞ」「本当に上手くいくのか?」とざわめき始める。

 ジードも思わず身体を前に傾けて村を注視する。この距離では何が起きているのかさっぱり分からないが、激しい戦いが行われている事は推察できた。

 本当に大丈夫なのか?――ジードの脳裏を不安がよぎった次の瞬間、村の中から1発の信号弾が打ち上げられた。

 晴れ渡った空にもう1つの太陽が出現したかのようにオレンジ色の光が輝く。それを見て構成員たちはどよめき、そして興奮する。

 ジードも喜びと同時に興奮を覚える。そして理想の未来に1歩近づいた事を確信すると、意気揚々と号令をかける。

「よし、総員突撃だ! 村を蹂躙しろ! そして全てを奪え!」

 轟く雄たけび。アイドリング状態にあったエンジンは、高らかに爆音を響かせる。トラックとバイクの群れは、再び土ぼこりを挙げて村へと進軍する。


6:全て作戦通り


 北から攻撃しろ――参謀の言に従い、ファミリーの軍勢は村の北側から殺到する。

 車列の先頭を行く構成員たちは、1番乗りを争ってフルスロットルにする。その争いの先に構成員たちが目にしたのは、村の北側を塞ぐように盛られた土の壁だった。

 壁と言っても本当に土を盛っただけの簡素なものであり、高さも50センチあるか無いかだ。壁というよりも障害物といった程度の物であり、トラックはいざ知らずとしてもバイクなら乗り越えて行けそうだ。そして何よりも、例の小娘2人の襲撃が陽動になっているらしく、誰もいない。

「見ろ、誰もいねぇぜ!」

「バカな連中だぜ! 本隊はこっちだってのによ!」

「土なんかで俺たちを止められるかってんだ!」

 勝利を確信し、1番乗りを目指して更にエンジンの回転数を引き上げる。

 その時だった。盛り土の影から一斉に人の姿が現れた。

 盛り土の裏側には、沿うように人1人が入れるほどの幅が狭く、そしてそれなりに深い溝が掘られていた。その溝の中に人々――村の住人たちは身を潜めていた。

 突然表れた村人たちに先頭を行く集団はパニックを起こす。だが、状況を理解するよりも早く、村人たちはライフルやサブマシンガンを構え、引き金に指をかける。

「撃てェ!」

 リーダー格の男の号令に従って村人たちは一斉に発砲する。放たれる無数の弾丸は、シャワーのようにファミリーに襲い掛かる。

 遮蔽物の類が何も無い開けた場所でファミリーは猛攻を受ける。バイクに乗っている構成員たちは、銃弾を受けて倒れる。何とか銃弾を避けていた幸運な構成員も、地面に倒れた仲間の死体やバイクに躓いて倒れ、立ち上がった所を狙い撃ちにされる。

「なんだ、どうなってるんだ!?」

「くそ、撃て! 撃ち返せ!」

 混乱する中、構成員たちも負けじと撃ち返す。だが、盛り土から僅かに頭や上半身の一部を晒しているだけの村人たちに弾は当たらない。狙ったつもりでも銃弾は、村人たちの頭上を通り越すか、盛り土に当たって止まってしまう。もし、旧時代の歴史に詳しい人間がこの戦いの様子を見たら、きっと『第1次世界大戦の塹壕戦のようだ』と評していただろう。


 集団の後ろにいたジードは、激しく動揺していた。

 守備についている村人が誰もいないのを見て、2人の陽動が成功したものだと思っていた。ところがその直後、まるで待ち構えていたかのように武装した村人が姿を現し、反撃してきている。村人の数を考えても、明らかに『陽動を警戒して少数を残した』という風には見えない。

(いったいどうなっているんだ!? 陽動は成功したはずじゃないのか!?)

 思い浮かぶは、未来の妻たち。いったい2人の身に何が起きたというのだ?

 その時、部下の1人がジードの車に駆け寄ってきた。

「ボス、左の方から例の小娘たちが!」

「なに!?」叫び、ジードは部下が言った方角を見やり、そして唖然とした。

 自分たちの左側面の方向には、こちらに向けて走ってくるハンヴィーの姿があった。

 銃座には、不気味な笑みを浮かべながら重機関銃のグリップを握るハイネの姿がある。

 そしてハンヴィーに追従する数台のテクニカル――ピックアップトラックの荷台に軽機関銃を搭載した車両――の姿もあった。

「なぜ、だ」

 次から次へと発生する想定外の出来事にジードの思考は、完全にショートしていた。

 そのジードに残酷な現実を突きつけるかのように、ハンヴィーとテクニカルの機関銃が火を噴いた。

 ――昨夜の作戦会議でアリスは、ジードたちに多くの嘘をついていたが、しかし本当の事も言っていた。例えば、ハンヴィーに搭載されたM2重機関銃の攻撃力。射距離300メートルで20ミリの鉄板――正確にはRHA(均質圧延鋼装甲)――を貫けるというのは、紛れもない事実だ。

 50グラムという、通常のライフル弾とは比較にならないほど重い弾丸は、毎分500発前後のサイクルで撃ち出される。そして秒速900メートル弱というスピードで目標に命中する。

 トラックはエンジンを貫かれ、バイクは文字通りスクラップとなる。そして人間は、胴体を2つに分けるか、四肢の一部を粉砕されるか、頭を破裂させていった。旧時代、あまりにも威力が高すぎる事から対人目的での使用に規制をかけるべきであるという議論がされたほどの殺戮兵器は、この国際法や陸戦協定の概念など存在しない世界でその能力を遺憾なく発揮した。

 テクニカルの機関銃もファミリーに弾丸のシャワーを浴びせる。こちらはライフル弾を使用するタイプなので威力はM2に比べると格段に落ちるが、それでも人間などのソフトターゲットが相手なら充分に威力を発揮する――というよりも、M2が凶悪すぎるのだ。

 正面には、塹壕にこもる村人たち。そして側面からは、強大な火力をぶつけてくる戦闘車両――立派なクロスファイア(十字砲火)だった。

 見回せば、辺りには部下たちの死体と、トラックやバイクの残骸でいっぱいだった。何とか生き残っている者もいたが、もはや戦意を喪失して逃げ惑っている始末だ。もう、そこにかつてのファミリーの面影は無かった。

 受け入れがたい現実にジードは言葉を失う。運転席の2人も同様で困惑しきっている。

 そんなジードの頬面を叩くように1発の12.7ミリ弾が飛んでくる。弾丸は、助手席に座る男の頭を粉々に粉砕した。辺りに鮮血や脳、頭蓋の破片が飛び散り、その返り血を全身に浴びた運転手とジードは、いよいよ錯乱し始めた。

「逃げろ、今すぐ逃げろ! 早くしろ!」

「ひい! ひいいい!」

 運転手は悲鳴を上げながら、ハンドルを切りつつアクセルペダルを思いっきり踏み込む。仲間の死体を踏み潰すのもお構い無しに車を村とは反対の方角に向けて加速させる。

 ジードは、ホルスターからリボルバーを引き抜くと、ハンヴィーめがけてマグナム弾を放つ。だが、元々有効射程が短く、命中精度の低い――特にマグナムは、反動による銃口の跳ね上がりが凄まじい――ピストルの弾を当てるには、ハンヴィーとの距離は開きすぎていた。その上、悪路を走っているとあって車も激しく揺れ、更にジード自身、射撃が上手いとは言えなかった。

 あっという間にシリンダーの6発を撃ちつくす。ジードは装填しようと、空薬莢を捨ててポケットをまさぐり、弾を手に取る。だが、激しく揺れる車の上では、装填が上手く行かない。

 その時、岩か何かを踏み越えたのか、車が激しくバウンドする。その衝撃で手に握っていた弾薬がシートや床にぶちまけられる。

「もっとゆっくり走れ、この役立たず!」恐怖と怒りから無茶な命令を出すジード。

 だが、恐慌状態に陥っている運転手にその声は届かない。

 ジードが床に転がった弾を拾おうと身を屈めた――そのコンマ1秒後、運転手が小さな悲鳴を上げた。

 何事かと頭を上げたジードが見たのは、後頭部を撃ち抜かれ、力の抜けた手でハンドルを握り、アクセルを踏みっぱなしにしたまま先に冥府へと逝った運転手の姿だった。

 車はコントロールを失い、蛇行を始める。ジードは、まっすぐ走らせようと身を乗り出してハンドルを握るが、死体が邪魔をする。

「くそ、離せ! この役立たず!」

 罵倒し、ハンドルから手を引き剥がそうとする――それに集中するあまり、前方の障害物に気づかなかった。

 旧時代の戦車の残骸だろうか――赤錆まみれになった鉄塊に車は、正面から衝突した。

 衝撃でジードの身体は運転席に投げ出され、フロントガラスに頭を強打させた。

 痛みに悶えながら、ジードは正面を見た。飛び出たボンネットの半分が潰れ、カバーも開いてエンジンが露になる。煙も噴出し、もはや動きそうにも無かった。

「うう、くそ!」ジードは忌々しげにハンドルを叩いた。

 直後、ジードの頬を銃弾が掠める。弾は皮膚を切り裂き、フロントガラスに穴を開ける。

 ジードは後ろを振り向いた。すると遥か遠く――停車するハンヴィーの運転席から降りてボルトアクションライフルを構えているアリスの姿があった。

 信じられない距離だった。どの程度離れているか分からないが、ファミリーの中でも射撃が上手かった部下でさえ、これほどの距離を正確に当てるのは不可能だ。

 瞬間、ジードは理解した。運転手を撃ち殺したのもアリスだ。いや、正確に言うと、あれは自分を狙って撃っていたに違いない。あと一瞬、身を屈めるのが遅れていたら、死んでいたのは運転手ではなく自分だ。

 それを理解した瞬間、今まで経験した事の無いほどの恐怖がこみ上げてくる。ジードは恐慌状態になって車から降りると、アリスから離れようと荒野を駆け出した。

(クソ! クソ! クソ! なんでだ!? なんでこんな事になっているんだ!?)

 悪夢だった――というより、悪夢ではないかと疑いたくなる。親父から受け継いだ、何十年という歴史ある組織が、ほんの10分かそこらで壊滅するなど、信じられない。

(クソ! どうする!? どうすりゃ良いんだ!?)

 生き延びたとしてどうすれば良い? もうギルドに上納金は払えない。例え組織が壊滅したとしても、例外は認められない。きっとギルドは殺し屋を送ってくるはずだ。そして見せしめとして『上納金の支払いを滞らせた愚か者の末路』として死体を晒すに違いない。実際、そういう奴らを何人も見てきた。その時は『バカな連中だ』と鼻で笑っていた。まさか自分がそうなろうとは想像もしていなかった。

 そうでなくとも、食い扶持はどうなる? 例えギルドが慈悲の心で見逃してくれたとしても、今までずっと一方的に奪い、殺す事で生計を立ててきたのだ。堅気になる事など今更できない。かと言って他所の組織に入る事もできない。いや、入る事自体は可能だが、直接誰かの下につく事などできない。生まれた時から後継者として常に上に立ってきたのだ。今更、下働きなどできるはずもないし、したくもない。

(俺が! 俺が何をしたって言うんだ!)

 人智を越えた何者かに尋ねるかのようにジードは心の中で叫ぶ。

 そしてそれに答えるかのように、303ブリティッシュ弾――口径7.7ミリのライフル弾――がジードの右足を貫いた。

「がああ!」

 激痛で悲鳴を上げ、前に倒れこむ。ジードは、痛みの発生源である自分の右足を見やった。銃創から血がどんどん流れ出ているのを見て、いよいよ死を実感し始める。だが、生に対する執着からか、ジードは逃げようとはいずり始める。

 右足を引きずり、両腕と左足を使って地べたをはいずる。大した距離を移動していないにも関わらず、体力はどんどん失われ、息も荒くなる。

 その時、背後から自動車のエンジン音がした。聞き覚えのあるディーセルエンジンの駆動音にジードは思わず振り返った。

 ハンヴィーがこちらに向けて走ってくるのが見えた。ジードは、少しでも逃れようと懸命に手足を動かすが、しかし人の歩みよりも遥かに遅くては、時間稼ぎにもならない。ハンヴィーは停車し、ハイネとアリスが降りた。

「おーおー、随分としぶといなぁ、このゴキブリはよ」

 地べたを這いずり回る様を害虫に例え、心から楽しそうに笑うハイネ。

「頭を狙ったつもりだったんだがな――どうも調子が悪い」

 中々命中弾を与えられなかった事に気分の悪さを露にするアリス。

 追い詰められ、身動きが取れなくなるジード。恐怖に震える声で尋ねる。

「いったい、どうして――なぜだ? 仲間になりたいというのは、嘘だったのか?」

 答えたのはハイネだった。「仲間? ギルドとつるむ、お前ら屑どものか? 冗談じゃねぇよ。死んだってお断りだ」

 アリスが続く。「全部、作戦通りだ――もっとも、ここまで上手くいくとは思ってなかったがな」


ケインズ
終末少女ハイネ×アリス 第1話:2人はセプテム・ハンター
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