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 管理人は、102号のドアの前に立つと、軽くノックした。「田柴さん、お客さんですよ」桂子は、田柴と崎山の知り合いであることを印象付けるために、管理人に声をかけた。「田柴さんは、崎山さんと同居されていますよね。崎山さんは、いらっしゃるのかしら。田柴さんから、そのようにうかがっていますけど」管理人は、ほんの少し苦笑いして、答えた。規則では、同居できないんですが、ちょっとした事情がありまして、同居を許可しています。でも、崎山さんは、きっと、バイトです。警備のバイトをされていましてね。いないと思います」管理人は、もう一度、強くノックした。

 

 桂子は、怪訝な顔で話した。「2時前に崎山さんに電話したら、待っているとのことでした。だから、きっと、いらっしゃるはずです」桂子は、大きな声で崎山の名前を叫んだ。「おかしいですね。約束したのに。変だわ。今まで、約束を破ったことが無いんです。本当に、変だわ」桂子は、ドアを強く3度も叩いた。管理人も、必ず田柴はいると思っているため、不審に思えてきた。

 

 「ご存知かと思いますが、田柴さんは、体調がよくなくて、いつも、部屋にこもっていらっしゃるのです。一人で外出するときは、必ず、私に声をかけて、行き先を言われるのです。コンビニに行くときでも、必ず声をかけられるんです。だから、必ず、いるはずなのですが。まったく、おかしいですね」管理人は、困った顔で桂子の色っぽい横顔を見つめた。桂子は、首をかしげ、お願いした。

 「管理人さん、合鍵で開けてもらえませんか?ちょっと心配なもので。昨日、崎山さんは、田柴さんのことで相談したいことがあるから、とおっしゃられていました。きっと、部屋にいるはずですが。無理でしょうか?」田柴に自殺願望があるのを知っていた管理人は、少し、不安になってきた。もう一度、ドアを強く叩き、田柴の名前を叫んだ。「田柴さん、お客さんです。開けますよ、いいですか?」管理人は、合鍵を取りに管理人室にかけて行った。戻ってきた管理人は、ドアを開け、そっと中に踏み込んだ。

 

 「田柴さん、お客・・」管理人は、倒れている二人を見て悲鳴を上げた。「わ~~、ピストル・・死んでる」管理人は、慌てふためき、桂子の顔を見た。桂子も、死体を見て、両手で顔を覆った。管理人は、手を震わせ、110番をした。桂子は、部屋から飛び出し、警察がやってくるのをじっと待っていた。管理人も、部屋を出て、桂子の様子を見守った。「なんてこった。よりによって、寮で自殺とは・・」しばらくすると、サイレンを鳴らしたパトカーが二台やって来た。

 

 二人の警察官は、即座に管理人と桂子から聞き取り調査を始めた。一人の若い警官が質問した。「第一発見者は、お二人ですね。発見されて、何かに触られたものはありますか?」二人は、そろって顔を左右に振った。「発見されたときの様子を話していただけませんか?」管理人が、発見の様子を話していると、中年の刑事がやって来た。その若い警官は、刑事に挨拶した。「沢富刑事、こちらが第一発見者です。どうも、自殺のようです」刑事は、若僧をにらみつけ、部屋の中に入っていった。

 刑事は、部屋を見渡し、北側の小窓を確認した。鍵は掛かっていなかった。窓の外を眺め、目を下げると、靴跡があった。この窓からの出入りがあったことを刑事は確信した。二人の死体の眉間の弾痕と右手に握り締めたおもちゃのような拳銃を見つめた。一見すると、自殺と判断できたが、小窓の外の靴跡が気になった。靴跡のサイズを記録させることにした。靴跡のサイズは、27センチであった。刑事は、脚立に目をやった。なんに使うつもりだったのだろうと不思議に思った。

 

 若い警官が刑事に声をかけた。「第一発見者の話では、管理人が合鍵でドアを開けたところ、二人の死体があったそうです。怖くなって、すぐに、部屋から飛び出したといっています」刑事は、黙って聞いていた。「二人には、署まで来ていただくように言いなさい」管理人と桂子は、博多署にパトカーで向かった。取調室でそれぞれ個別に事情聴取され、管理人は、ありのままを順序だてて話した。

 

 桂子も、へまなことを言わないように慎重にありのままを話した。刑事は、二人の話に問題は無いと判断した。しかし、窓の下の靴跡と脚立が気になっていた。ドアはしまっていたから、誰かが侵入したとすれば、あの小窓しかなかった。田柴に自殺願望があったことを聞かされていた刑事は、他殺の線は無いように思えたが、何か心に引っかかるものがあった。

 長年の経験から刑事は、桂子が何か隠していると直感した。刑事は、管理人に桂子の様子を詳しくし聞くことにした。「桂子さんは、崎山さんと2時少し前に電話連絡を取っていた。2時を少し回ったころに寮にやってこられた。玄関に入ると、慌てふためいていたあなたに声をかけてきた。102号のドアをノックしても返事が無かったので、あなたが合鍵でドアを開けた。部屋の中に入ってみると二人の死体が転がっていた。そうですね」刑事は、管理人の話を簡単にまとめた。

 

 真っ赤になった管理人は、震えながら答えた。「ハイ、おっしゃるとおりです。何度ノックしても、返事が無かったもので、合鍵で開けました」刑事は、ちょっと首をかしげ、頭をほんの少しかきむしり、訊ねた。「返事が無かったら、いつも、合鍵で部屋を開けるんですか?」びっくりした、管理人は、即座に打ち消した。「いや、あの時は、田柴さんが、ちょっと体調が悪いのを知っていましたし、それに、出かけるときには、必ず、声をかけられるんです。具合が悪くなって、田柴さんが、倒れているのではないかと不安になって、開けました」管理人は、自分は潔白だといわんばかりに必死に説明した。

 

 刑事は、ほんの少し顔を和らげ質問した。「部屋に入った瞬間、何か、匂いませんでしたか?香水の匂いとか?」管理人は、目を上に向けて、あの時のことを思い浮かべた。「あ、そう、確かに、化粧のような、香水のような、匂いがしたような、しなかったような。はっきり憶えていません。すんません」管理人は、頭をペコペコ下げた。刑事は、部屋の中に入った瞬間、香水の匂いをかいだ。だが、この香水の匂いは、桂子のものと同じだった。すでに、桂子は、部屋に入っていたわけだから、香水の匂いがしても不思議ではなかった。

春日信彦
作家:春日信彦
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