一巡せしもの―東海道・西国編

甲斐國[浅間神社] ( 6 / 22 )

甲斐國一之宮[浅間神社]06



国道から側道に入り、桃畑の中を浅間神社へ向かって歩く。

さすが「日本一の桃の里」だけあって、見渡す限り桃林が広がる。

まだ蕾すら見当たらない冬木だが、春になれば桃の花で一面ピンク一色に染まることだろう。

桃の花を愛でつつ浅間神社に参拝するのなら、4月上旬が最適かも知れない。

桃畑から国道20号線へ戻り「一宮浅間神社入口」交差点に立つ一の鳥居と社号標を眺める。

普通の明神鳥居で、扁額には「第一宮」とだけあり非常にシンプル。

塗りは鮮やかな朱色ではなく、少々くすんだ赤錆っぽい色をしている。

ちなみに鳥居は道路全体ではなく、歩道にのみ架かっている。

その一の鳥居を通り抜け、表参道を進む。

少し先に鳥居と同じ色合いをした「さくら橋」があり、渡った先に天神様が祀られている。

白い鳥居と小さな祠、右側には実をつけたままの柿の木、後背の遥か彼方には南アルプスの峰々。

それらが絶妙なバランスを取りながら一体となって、一幅の絵画のような風景を描いている。

道の奥に白い鳥居が見える。

だが、沿道の両側には大きな神社の参道に有りがちな食べ物屋や土産物屋などは一切ない。

あるのは煙草屋と銀行ぐらいで、道の左側には古びた石碑が立ち並ぶ、ある意味“ストイック”な参道だ。

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甲斐國一之宮[浅間神社]07



一の鳥居から10分ほどで浅間神社の正門に到着した。

そこには石造りの二の鳥居と、旧国幣中社時代の社号標。

揮毫は鹿島神宮や香取神宮と同様、東郷平八郎元帥によるものだ。

甲斐国一之宮の浅間神社は「あさまじんじゃ」と読む。

ここより遥か北の上信国境でフツフツと滾っている活火山「浅間山」と同じ「あさま」だ。

一方、駿河国一之宮の「富士山本宮浅間大社」は「せんげんたいしゃ」と読む。

「あさま」の語源は古語の「火山」に由来している…という見方が一般的だという。

肥後国一之宮「阿蘇神社」の「あそ」もまた、同じ語源にルーツを持つと言われている。

「あさま」も「あそ」も火を噴く山を意味し、それらを鎮めるために祀られたのが甲斐と肥後の一之宮なのかも知れない。

鳥居をくぐると随神門、通り抜けると左側に社務所と参集殿。

その奥にトイレがあり、ちょっと拝借。

用を足しながら目の前にある窓を覗くと、視線の先には浅間神社が経営する保育園が広がっていた。

随神門から参道を奥へ進むと、突き当りではなく途中左手へ折れたところに拝殿が鎮座している。

境内の案内図を見ながら考えてみると、北向きの参道に対して左側に位置しているわけだから、社殿の正面は東を向いていることになる。

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甲斐國一之宮[浅間神社]08



浅間神社は富士山から見て真北に位置している以上、富士の鎮という役割から南を向いていても不思議ではない。

しかも浅間神社の御祭神、木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)は「富士山の精霊」。

なのに何故、富士山にソッポを向いているのだろうか?

ここから東南へ2キロほどのところに、垂仁天皇8(紀元前22)年創建と伝わる摂社の山宮神社がある。

山宮川の水源が湧く神山の麓に鎮座し、周囲を鬱蒼とした樹海で覆われた山間の古社だ。

甲斐国一之宮は本来こちらが本宮で、今の浅間神社は里宮だったという。

往時、山宮神社には木花咲耶姫命、大山祇命(オオヤマヅミノミコト)、瓊瓊杵命(ニニギノミコト)の神様三柱が祀られていた。

木花咲耶姫命は大山祇命の娘であり、瓊瓊杵命の后。

三柱が一緒に祀られていたのは至極当然の話といえる。

それが貞観7(865)年12月、木花咲耶姫命だけを里宮である今の浅間神社に遷座した。

このため山宮神社には今でも大山祇命と瓊瓊杵命の二柱しか祀られていない“やもめ”状態。

ならば、なぜ木花咲耶姫命だけが里宮に遷座されたのか? 

その原因は前(貞観6)年に発生した富士山の大噴火にある。

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甲斐國一之宮[浅間神社]09



現在の鎮座地一体はヤマト王権における甲斐国“地方政府”の中心部だった。

ここより西方、石和温泉の近くには「国府」、山梨県立博物館の近くには「国衙」という地名がある。

また、ここから南西に向かえば甲斐国の国分寺と国分尼寺の跡が残る。

ヤマト王権から「富士の怒りを鎮めよ」との司令を受けた甲斐国司は、山宮神社から“富士山の精霊”木花咲耶姫命だけを“抜擢”して国衙の中枢に据えた。

しかし山宮神社は主祭神が“山の神”大山祇命であり、本来は富士山だけでなく“山”そのものを祀った神社。

地元の人たちは神社が分割されることに、どうしても納得がいかなかったに違いない。

その腹いせに新たな社殿を建立する際、正面を富士山ではなく山宮神社の方角へ向けたのではなかろうか?

そんなことを想像するうち、木花咲耶姫命と父・大山祇命、夫・瓊瓊杵命…役人に引き裂かれた家族の絆が、社殿の配置から透けて見えるような気がしてきた。

さて、お参りしようと足を向けかけた時、紫色の服を着たお姉さんがタッタッタッと駆けてきて、拝殿の前で深々とお辞儀をして参拝を始めた。

できれば参拝は一人で行いたい質だけに、出鼻を挫かれた気がして、仕方なく境内を散策することにした。

境内はこじんまりとしていて、ゴテゴテとした建造物もなくスッキリとした印象。

鹿島神宮や香取神宮のように森林で囲まれているわけではないが、周囲が果樹園だけに風の通りがいいようだ。
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作家:経堂 薫
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