一巡せしもの―東海道・東国編

安房國「洲崎神社」( 7 / 18 )

安房國一之宮「洲崎神社」07


鳥居をくぐって先へ進むと、コンクリート製の堅牢な「随身門」が聳立している。

その左側にあるキャビネットの中に、半紙に記入された御朱印が用意されている。

洲崎神社には神職が常駐していないため、御朱印を賜るには宮司が兼務している富浦の愛宕神社まで足を運ぶ必要がある。

そこで「事前に用意された御朱印でもいい」向き用に、引き出しに空いた小さな穴に初穂料300円を納めて一枚拝受するシステムが用意されている。

そのシステムに従い300円を奉納し、御朱印を賜る。

日付欄の数字の部分だけ空白になっており、キャビネの棚に並ぶ筆ペンで自ら書き入れる仕組み。

ここだけ書体が違うのはご愛嬌か。

随身門を潜ると、次に迎えてくれるのは長い石段。

標高110メートルの御手洗山(みたらしやま)の中腹に鎮座している社殿まで全148段。

とはいえ登るのに必死で数えるどころではなく、館山市教育委員会のサイトに掲載されていた数字を拝借。

やっとのことで石段を登り切ると、そこに広がるこじんまりとした境内。

小学校の体育館ほどの面積はあるだろうか。

その正面中央に古色蒼然とした質素な拝殿が佇む。

拝殿の前で柏手を打ち、頭を垂れる。

そしてスーッと息を吸い、境内に満ち溢れる神意の気を身躯の隅々にまで行き渡らせる。

社殿の背後に広がる森の梢が醸し出す清冽な空気と相俟って、気持ちが落ち着く。

この森は神域であり氏子の信仰対象なので、過去に伐採されることなく保護されてきた。

昭和47(1972)年9月29日には「洲崎神社自然林」として県指定天然記念物に指定され、現在に至っている。

安房國「洲崎神社」( 8 / 18 )

安房國一之宮「洲崎神社」08


フッと顔を上げると、正面に掲げられていた「安房国一宮 洲崎大明神」の扁額が目に飛び込んできた。

揮毫は奥州白河藩主にして「寛政の改革」を断行した江戸幕府老中、松平定信の筆によるもの。

文化9(1797)年、房総の沿岸警備を巡視した際に参詣、奉納したという。

拝殿脇から奥へ回りこむと、そこには本殿が鎮座している。

三間社流造で屋根は銅板葺き、千木は外削ぎ、鰹木は5本。

昭和42(1967)年2月21日、館山市指定有形文化財に指定されている。

社伝によると延宝年間(1673~81)に造営された由。

だが、支輪や紅梁・蟇股などの彫刻に江戸時代中期以降のものが多いことから、造営後に大規模な修理が加えられた可能性が高いという。

本殿の右脇には航海安全の神として信仰を集める金比羅神社が、こじんまりと鎮座している。

境内から鳥居の方角を望むと、眼下には一面の大海原。

洲崎神社が海上安全や豊漁の守護神として深く信仰されたのも頷ける。

今から800以上年も昔、この海を超えて源頼朝は安房国にやって来た。

治承4(1180)年8月、伊豆で挙兵した頼朝は相州石橋山の合戦で平家に敗北。

同28日に真名鶴岬(現在の真鶴岬)から小船で脱出した。

翌29日、頼朝は僅かな供回りだけを伴い、下総國初代守護である千葉常胤を頼って安房国へ逃れ、平北郡猟島(現在の鋸南町竜島)に上陸。

頼朝は雌伏の時を過ごす中、源氏再興と平家打倒を祈願し洲崎神社へ参籠したという。

また、2年後の寿永元(1182)年には北条政子の安産を祈願したこともあり、現在も安産の神様として御神徳を集めているそうだ。

安房國「洲崎神社」( 9 / 18 )

安房國一之宮「洲崎神社」09


急峻な石段を下りつつ、遥かな海原を見やる。

海からの冷たい潮風が人気のない境内を吹き抜け、木々の梢がザワザワと音を立てる。

年の瀬も押し迫り、あと半月ほどで年が開ける。

世の大半の神社は新年を迎える準備で大わらわ。

だが、そうした慌ただしさが洲崎神社には微塵もない。

何か願い事があり、それを叶えてもらうために足を運ぶのであれば、これほど無愛想な神社はあるまい。

だが、他に参拝客が誰もいない状況下で、神の囁きに耳を傾け、心を通わせようと願うのなら、これほど適した神社もない。

石段を下りて再び海抜レベルに降り立つ。

大鳥居からフラワーラインの方向に目を向けると、海へ向かって細い道が伸びていることに気付いた。

その小道を海へ向かうと、突き当りにもうひとつ鳥居が見えた。

海から舟で参詣する氏子を迎え入れるための浜鳥居のようにも見える。

こちらが一の鳥居で、石段の下に立っていたのが二の鳥居ということになるか。

空気が澄んでいれば鳥居の中から富士山が望めるというが、生憎この日は大気が霞み霊峰の勇姿を拝むことは叶わなかった。

一の鳥居近くの説明板によると、この先に「御神石(ごしんせき)」なる“聖跡”が鎮座している…とある。

長さは2.5メートルで石質は付近の岩石と異なるそうだ。

御神石は竜宮から洲崎大明神に奉納された2つの石のひとつ。

もう1つは対岸の三浦半島に飛んで行き、現在は浦賀の西にある安房口神社に安置されている。

安房國「洲崎神社」( 10 / 18 )

安房國一之宮「洲崎神社」10


安房口神社の石は先端に丸い窪みがあることから「阿形」。

洲崎神社の石は口を閉じたような裂け目があることから「吽形」。

両者で東京湾の入り口を守る狛犬のように祀られているそうだ。

小径を海へ向かって歩いていくと、瑞垣に囲まれた御神石が鎮座していた。

夕陽を浴びて金色に染まった御神石の形状は、どこか男根を想起させる。

ということは、対岸の横須賀安房口神社に鎮座している御神石は女陰の形状をしているということか。

安房口の御神石を目視したわけではないが、洲崎が「吽形」、安房口が「阿形」というのなら、その可能性は十分ある。

一度、確認しに行かねばなるまい。

すっかり西洋キリスト教文明に毒された昨今の日本は、「男根」「女陰」と目にすれば即座に「ポルノグラフィ」を連想させるような、そんな下衆な社会になってしまった。

しかし、陰陽道に支配された往古の日本社会に於いて「陰陽和合」は万物生成の源であり、「男根」「女陰」の形状をした石が御神体として崇められるのはごく自然なことだった。

御神石から海岸線へと向かう。

海は遠浅、海岸線は岩礁で砂浜ではない。

ところどころ海面から岩が頭をのぞかせ、まるで船舶の接岸を拒んでいるかのようだ。

ここ房総半島の先端から、夕日を浴びて金色に輝く東京湾を眺める。

今から800年以上も昔、平家との戦いに敗れた源頼朝もまた、この海を渡って伊豆から逃れてきたのかと思うと、なかなかに歴史ロマンを感じさせてくれる。
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作家:経堂 薫
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