孤島の天才

 プロ野球選手として名声を得たことで傲慢になっていたコーチは、監督に謝ることにした。翌日、監督に椅子を差し出し、改まって話しをした。「監督、まったくおろかでした。気を悪くされていたでしょう。私は、プロしかコーチしたことがなく、アマチュアは初めてです。思い上がっていました。何と言っていいか。お恥ずかしい限りです」コーチは、監督に頭を下げた。監督は、まさか頭を下げるとは、夢にも思っていなかった。

 

 確かに、コーチにはムカついていた。プロを気取っている姿が鼻について、嫌気を差していたが、モンスターの存在は大きく、じっと我慢していた。心では、いつもぶつぶつささやいていた。素質のない子供たちを育成することは、プロを教えるより何倍も大変なんだと。今にも辞めようとしている選手もいれば、甲子園に出たいと願っている生徒もいる。こんな子供達を、引っ張っていくことがどんなに大変なことか。

 

 監督は、コーチのすごさに感服した。プロにしか教えたことがないコーチが、こんなに短期間で、アマチュアを教えることにおいて自分の未熟さを自覚されたことに。「頭を上げてください。こんな田舎侍に頭を下げられては、天下のY球団に申し訳ありません。スーパースラッガーをこんな無名の高校に送り込んでいただき、感謝しております。ただ、剛士のことはあきらめましょう。彼には、彼の夢があるはずです。それでいいじゃないですか」監督は、今の弱小チームを鍛えることに生きがいを感じていた。

 コーチは、晴れ渡った青空に流れる真っ白い雲を眺めていた。カーンと響き渡る快音を聞くとつぶやいた。「ごもっとも、どうかしてました。でも、妖精が一言お願いしてくれたら、入部してくれたかもしれないと思うと、残念ですな」監督は、妖精と聞いて、いったい誰のことを言っているのだろうと訊ねた。「妖精って、誰のことですか?」眉間にしわを寄せて訊ねた監督に、コーチは冗談のように答えた。

 

 「いや、ほら、わが校のアイドルですよ。大島のことです」監督は、大島と聞いて、顔が引きつった。昨年、急死した勇樹のことを思い出したからだ。暗い顔をした監督を見たコーチは、何か悪いことでも行ったのかと不安になった。「監督、冗談ですよ。ワハハハ」コーチは、立ち上がり、モンスターに声をかけた。「おい、調子が悪いのか。ボールを振ってどうする」セカンドフライを打ったモンスターにムカついて怒鳴った。

 

 三年経つとモンスターと共に去っていくコーチに親しみが湧かなかったが、心の温かさを感じた監督は、大島のことを話す気になった。「大島だが、みんなからちやほやされて、何の悩みもないように見えるけど、誰にも言えない深い傷を抱えて頑張っているんです」コーチは、ちょっと暗い話にどのように返事していいか戸惑った。「私は、今年の4月にやって来たばかりだから、この学校のことはよく分からないんだ。大島に何かあったんですか?」コーチは、腰掛け、監督の横顔をそっと見つめた。

 

 監督は、大きく深呼吸しながら、遠くをぼ~と眺めた。「大島は、昨年の12月に東京の新体操の名門W高校から郷里の糸島高校に転校してきましてね、その理由は、誰にも話していないのです。今一人でじっと我慢していることでしょう」監督は、大きくため息をついた。コーチは、以前から大島のことを不思議がっていた。どうして天才アスリートが、無名の高校にいるのか。「家庭の事情でもあったのですか?」よくある、経済的理由で転校したのではないかと考えた。

 

 監督は、しばらく黙っていたが、校長から聞いた理由を話すことにした。「表向きの話では、オリンピックの夢をあきらめて、学校の先生になりたくて、転校してきたらしいです」コーチは、表向きの、と聞いて問い返した。「それじゃ、本当の理由は何ですか?」監督は、言うべきか、いわざるべきか、迷った。親友、太の顔がちらっと脳裏に浮かんだとき、話す決意をした。勇樹が存在したことを誰かに話したい衝動に駆られた。

 

 「今から話すことは、私の憶測です。聞き流してください。私の学生時代からの親友に菊池と言うのがいます。その息子の勇樹は、子供のころから野球が好きで、父親と同じ投手の道を歩みました。素質もあって、幸運にも、大分の名門Y高校に進学できました。でも、神様は、いるのでしょうか?勇樹は、骨肉腫に侵されてしまったのです。勇樹は、治療のためQ大病院に入院しました。それを知った大島は、勇樹を看病するために郷里に戻ろうと必死に自分と戦い、やっとの思いで郷里に戻ってきました。でも、神は惨いじゃありませんか。大島が、戻ってくる日に、勇樹は天国に旅だったのです」監督は、自分の憶測を静かに話し終えた。

 コーチは、あまりにも不幸な話に一言も言えなくなってしまった。「いや、湿っぽくなっちまった。これは、単なる憶測です。勇樹のピッチングを思い出すと、つい、馬鹿なことをしゃべってしまって。もし、勇樹がこのマウンドにいてくれたら、甲子園も夢じゃなかったかも、いいボール、投げてました」コーチは、亡くなった勇樹と言う少年に興味が湧いてきた。今はいないとしても、この田舎にすばらしい投手がいたことに感銘した。

 

 「誠に不幸な話です。きっと、勇樹君は、天国から中村監督率いる野球部を見守ってくれていることでしょう。監督、勇樹君の分まで頑張らなくては。本当のことを言うと、こんな田舎に飛ばされて、がっかりしていたんです。でも、監督と出会えて、プロの世界では味わえない貴重な何かをいただいたように思います。一緒に、甲子園目指して頑張りましょう」監督は、引きつるような表情で頷いた。

 

 コーチが、サッカーグランドのほうに目をやると、サッカー部の中田監督が、喜色満面でお腹を揺らしながらやって来た。「や~、どうだ。野球部はいいよな~。大物が入って、サッカー部はさっぱりだ。でも、今日、天運と言うのか、まあ、サッカーの授業でな、どえらいキック力のあるやつを発見した。そいつ、ゴールキーパーをやりたいと言うから、やらせたんだが、なんと、ゴールから蹴ったボールが、相手のゴールを超えたんだよ。そんなの、始めてみた。こいつが入れば、鬼に金棒だよ」コーチと中村監督は、あっけに取られ、二人は顔を見合わせた。

春日信彦
作家:春日信彦
孤島の天才
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