孤島の天才

 コーチは、あまりにも不幸な話に一言も言えなくなってしまった。「いや、湿っぽくなっちまった。これは、単なる憶測です。勇樹のピッチングを思い出すと、つい、馬鹿なことをしゃべってしまって。もし、勇樹がこのマウンドにいてくれたら、甲子園も夢じゃなかったかも、いいボール、投げてました」コーチは、亡くなった勇樹と言う少年に興味が湧いてきた。今はいないとしても、この田舎にすばらしい投手がいたことに感銘した。

 

 「誠に不幸な話です。きっと、勇樹君は、天国から中村監督率いる野球部を見守ってくれていることでしょう。監督、勇樹君の分まで頑張らなくては。本当のことを言うと、こんな田舎に飛ばされて、がっかりしていたんです。でも、監督と出会えて、プロの世界では味わえない貴重な何かをいただいたように思います。一緒に、甲子園目指して頑張りましょう」監督は、引きつるような表情で頷いた。

 

 コーチが、サッカーグランドのほうに目をやると、サッカー部の中田監督が、喜色満面でお腹を揺らしながらやって来た。「や~、どうだ。野球部はいいよな~。大物が入って、サッカー部はさっぱりだ。でも、今日、天運と言うのか、まあ、サッカーの授業でな、どえらいキック力のあるやつを発見した。そいつ、ゴールキーパーをやりたいと言うから、やらせたんだが、なんと、ゴールから蹴ったボールが、相手のゴールを超えたんだよ。そんなの、始めてみた。こいつが入れば、鬼に金棒だよ」コーチと中村監督は、あっけに取られ、二人は顔を見合わせた。

 コーチは、大きく目を見開き、口を尖らせて、訊ねた。「もしかして、鳥羽ですか?」中田監督は、身を引き、つぶやいた。「どうして分かりましたか?」中村監督が、クスクス笑い始めた。「いや、鳥羽の筋力は、並みじゃありません。この前ちょっと、ボールを投げさせたんですよ。すると、150キロを超える剛速球を投げましたよ。あいつ、まさに天才です。是非、野球部に入らないかと言ってみたところ、即座に断られましたけどね」中村監督は、またワハハと笑った。

 

 ニヤッと微笑んだ中田監督は、ドヤ顔で話し始めた。「そうか、そうだろう。鳥羽は、サッカー部に入りたいと言うことだ。鳥羽は、もらった。だが、陸上部の宇佐美監督があきらめてくれるかだ?う~」中田監督は、腕組みをして、うなりながら立ち去っていった。いったんあきらめていたコーチであったが、鳥羽がサッカー部に取られると知ると、ムカついてきた。鳥羽は、写真部からどこにも転部しないと思っていたからだ。

 

                 出生の秘密

 

 鳥羽の母親、麻美は、剛士が5歳のとき失踪したことになっている。麻美は、失踪する前に親友のルミ子に手紙を送っていた。そこには、ルミ子には理解しがたい内容が書かれてあった。手紙には、次のようなことが書かれてあった。

 反原発デモがきっかけで、私のためなら命をも捨ててもいいと言う、私にはもったいないような革命家の剛一と幸運にも結婚できました。でも、なぜか、二人の間には子供ができませんでした。それでも幸せでしたが、剛一は自分に原因があることを知っていたみたいで、精子をもらって、子供を作ることを提案しました。私は、死ぬほど悩みました。愛してもいない人の精子で子供を産んで、幸せになれるのかと。結局、私は、剛一の愛を信じ、子供をやどしました。

 

 あるとき、ベッドに横になっていた私の耳元で、そっと、剛一はささやきました。「人類を救う革命家を産んでくれ」そのとき、その意味は、よく分かりませんでした。その後、妊娠は順調で、立派な男の子が誕生しました。剛士が5歳の誕生日、あのときのように、剛一がそっと私の耳元でつぶやいたのです。「この子は、遺伝子組換えの革命家だ」と。

 

 そのときは、冗談を言っているんだろうと思っていましたが、遺伝子工学について調べていくうち、植物や動物だけでなく人間の遺伝子組換えの研究がなされていることを知りました。後日、剛一が言ったことを笑って否定してくださると思い、担当医だった安部先生に確認したところ、暗い影を残し、無言で立ち去りました。先生の後姿が意味することは、即座に理解できました。もう、頭が真っ白になり、死にたい気持ちで神に祈りました。神を冒涜してしまった私が、剛士を守るためにできることは、剛士の罪を一緒に背負い、神の許しを請うことしか頭に浮かびませんでした。

  ルミ子との思い出は、文字にあらわすことはできない。手が震え、涙で文字も見えない。ルミ子、許してくれるわね。さようなら、親愛なるルミ子。

 

春日信彦
作家:春日信彦
孤島の天才
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