バッキーのことを書こうと思う。バッキーは我が家で飼っていた犬だ。
バッキーはMさん宅のパイロンの子で、98年の十一月に生まれた。パイロンは(たぶん)ゴールデンレトリバー。
バッキーの父犬は不明。
我が家でだれが犬を飼おうと言い出したか、覚えていない。弟にどういう経緯でバッキーをもらうことになったか訊いたが、バッキーについて覚えのいい弟でも、そこはアヤフヤだった。
「妹がアニメ“タッチ”に出てくる犬のパンチにハマって犬を飼いたがったとか、実はオトンが寂しいから飼ったとか、よく分からん」とのこと。
そんな話も聞いた気がする。が、はっきりしない。
あるいはMさんから
「今度産まれそうだから、一匹もらってくれない?」
とお願いされたか。それで互いにタイミングがよくて、我が家に来ることになったのだったか。
こういうことは成りゆきで決まって進んでいくものだから、だれがいつ決定したかなど、書類があるわけじゃなし、当時でさえはっきりしていなかったと思う。家族の総意みたいなもので、そうなったのだろう。
その頃、お腹の大きくなったパイロンを見て、いつ生まれるんだろう、どんな犬が生まれるだろう、そんな風にどきどきしていた記憶がある。
当時ぼくが十五歳で、弟を二人はさんで一番下が妹。
妹が当時五歳。幼稚園に通っていた頃だ。妹は、犬が来るのをそれはそれはもう、楽しみにしていた。
「ねえ、いつ生まれるかなあ、明日かなあ、ねえねえ、どんな子かなあ」
そんなことを毎日のように言ってくる。
「なんだよ、うるせえなあ。その内生まれるよ、待ってろよ。お前がそう言ったって早く生まれるわけじゃないんだぞ」
妹はふくれっ面。ぼくは長男としてクールを装っていた。でも本当は内心、妹と同じくらいどきどきして、ほとんど五歳児と同じような心境でいた。
で、生まれた。
その時、母犬のパイロンは四歳。生まれたのは三匹。二匹がオスで、一匹がメス。
産後すぐは母犬の気が立っているから少し落ち着いてから見に来たらいいよ、と言われたが、見たくてたまらなかった。
多分数日してから見に行ったのだろう。
子犬というのはミャアミャアなくのか、猫みたいだなと思ったような記憶がある。
オスのうち白い毛のほうをもらうことにした。
子犬特有のお腹のふわふわした毛や、全体的な柔らかさ、あたたかさ、乳臭さを覚えている。
もう一匹の茶色い毛のオスは、やはり同じ町内のKさんに引き取られ、ハップになる。メス犬もどこかにもらわれていった。たしか、Mさんの仕事仲間かどこかだった気がする。
バッキーの毛は白くて、おまけにもこもこしていたので、羊みたいに思えた。
我が家に来たのはその年の暮れの三十日だった、と弟が言う。
うちでは毎年十二月三十日に餅つきをしていて、弟によると、その年の餅つきが終わってから家に来たとのこと。おそらくこの日で間違いないだろう。弟のバッキーのかわいがりようは一倍強かった。
ぼくの記憶では三十一日だった。
というのも、名前をつけるにあたりあーでもないこーでもない議論をして、
「そもそもパイロンの名前の由来ってなんだ」
ということになった。それで
「パイロンは八月六日に拾ってきて、ハチロクの変化でパイロンにしたんだよ」ということだった。
「じゃあ、それにあやかって…ミソカにするか。…ミソカじゃあ、いくらなんでもしまらねえなあ」
なんてことを親父が言ったのを覚えているから。
うちに来た三十日、母犬から離されて寂しがるんじゃないかと心配したが、当のバッキー平気のヘイザ。こっちが心配するくらいおとなしかった。反対に、母犬のパイロンがないていた。ということまで弟は覚えていた。ぼくはすっかり忘れていたが、そう言われてみれば
「こいつ、パイロンが心配してか寂しくてあんなにないてるのに、蛙のつらに小便て感じだな。大物か、大バカか、どっちかだ」
なんていう会話をした気がする。
バッキーという名前はぼくのすぐ下の弟が付けた。なんでも、かつて阪神タイガースで活躍した投手だとか。
そうだ。その時妹が、やはりパンチにしたいと言っていた。
パンチでも良かったかもしれないが、今になってみるとやはりバッキーはバッキーだったなという思いが強い。子犬の頃は白い毛が多くてアニメのパンチらしいところが多かったが、だんだん茶色い毛が増えて、白犬ではなくなった。そうなると犬種も違うし、パンチらしい要素は薄い。
やはり、バッキーだったなあと思う。
実はバッキーには別名がある。
余肉砕蔵と書いて「あまりにくさいぞう」と読む。「太っている→肉が余っている」と、「あまりに臭い」をかけたもの。
バッキーは決してデブじゃなかったけど、白くてモコモコだったから、子犬時代は特に太って見えた。もっとも、シャンプーすると、普段の見た目よりやせているのがよく分かったけど。
ただしウンコが臭かったのは本当で、弟が朝の散歩に連れて行き、ウンコの処理をするときに必ずえずいたという。匂いを嗅がないように気をつけていてもダメだったそうで、毎朝、「おえっ」となったとのこと。もっとも
「ウンコの匂いは天下一品で目覚ましには丁度よかった」というくらいだから、これも愛情表現になっている。
このエピソードを弟に言われて、ぼくも「そういえばそうだったな」と思い出した。「そういえば」というのは、朝のウンコの臭さである。
ぼくも子犬のバッキーの散歩に結構行ったが、たしかに臭かった。
「見た目のかわいらしさと、出てくるものの匂いのギャップがありすぎるだろ」
と思った記憶が、言われてみれば、ある。
それで「臭い」が発展して「あまりにくさいぞう」が生まれ出された。
まあ、ぼくも含めてバカなガキの悪ふざけでそんな別号をタテマツッタわけである。
バッキーがかわいい盛りだった子犬時代、ぼくは高校生、弟二人も中学生と小学生の高学年で、三人ともアマチュアレスリングをやっていた。
それで、バッキーの散歩に行くにしても、歩くというより走ることが多かった。しつけをするのが面倒くさかったこともある。
まだまだ力も弱かったから、抑えようとすれば抑えられる。けれど、思い切り走らせると、短めの足を懸命に回転させ、口を開けベロを出し気味で、ピョンピョン飛ぶように走る。
そのかわいさと言ったらない。その姿見たさも手伝ってまた走る。
そのうちに人を引いて歩くのが通常になり、しっかりと引きグセがついてしまった。
そのまま育ったので、成犬になってからたまに母親や妹が散歩に行くと、バッキーに引っ張られ気味だった。「ぼくが引っ張るんだから、ついておいで」とでも言いたげにグイグイ引っ張る。
そのため二人は散歩は敬遠していたようだ。
まあ、しつけようという気はハナからなかった。後になってこれではいけないんだなと思ったりもしたが、その時には後の祭りというやつだった。バッキーが晩年になってから、この引きグセを直さなかったのをかなり後悔することになる。それは後で記す。
格闘系のスポーツをしていたこともあってか、従順な犬よりも、腕白、ヤンチャな、元気いっぱいの犬にしたいという気分だった。少なくともぼくはそう思っていた。おとなしい犬よりも、少々暴れん坊のほうがいいと。
が、そこまで暴れん坊にもならず、かと言って忠犬、名犬にもならなかった。ならなかったと言うか、飼っているほうでちゃんと教えないのだから、なれるはずがなかった。
なるべくして、なんの芸もない、言わばバカ犬として育っていった。
しつければ利口な犬になったと思う。可能性は高かったはずだ。
なぜと言うに、母犬のパイロンがものすごく賢かったから。
パイロン。通称パーちゃん、またはパー子。
バッキーの母犬である。
小柄なレトリバーで気性の穏やかな犬だ。パイロンは拾われてきたらしい。
子犬時代、どれくらいの期間か知らないが家なしで過ごしていたところをMさんに拾われたらしい。それまで栄養失調気味だったから、犬種の割に大きくならなかったんじゃないか、そう言っていたのを耳にした気がするが、ぼくの記憶だからアテにならない。
でも、穏やかで、何より賢いというのは間違いない。
Mさんのご主人がしっかりと仕込み、育てた。揺るぎない主従関係が築けていた。
パイロンはつながれたことがなかった。家では、屋内には入れず庭で飼っていたが、鎖は使わない。それはさほど珍しくないだろうけど、散歩の時もリードを使っているのを見た覚えがない。
散歩の時、Mさんは自転車にまたがって颯爽と走り、そのとなりを程よい間隔を置いてパイロンが走っていた。(原付のときもあったかな)
さらに、どうかすると
「パーちゃん、今日は一人でお散歩してらっしゃい」
という時もあった。
Mさんが門を開けてやるとパイロンはこれくらい当然よ、という顔で出て行く。主婦がスーパーに行くような雰囲気で、いつもの散歩コースをテクテク歩き、城址のお堀に入って好きなだけ泳いで、またテクテク歩いてちゃんと帰ってくる。
今は交通量も増えてしまってこんなことできないが、パイロンが若かった頃はできた。ま、おおらかだったんだな。
数年前、Mさんは他県に居を移られたので、そちらでその後どうしたかは分からない。けれどおそらく、似たような飼い方、育て方になったろうし、もしかしたら輪をかけて奔放な接し方になったかもしれないと思う。
母犬はそういわけで賢いが、バッキーやハップの父犬がどこのだれだか分からない。
Wさんのところの犬じゃないかとか、いやどうもパイロンとどこそこの犬ができていたらしいとか言ってみたが、言ったところで埒があかない。分からずじまいだ。
ちなみにWさんの家の息子がぼく達兄弟の遊び仲間で、バッキーに余肉砕蔵というシャレた号を奉じた一人でもある。