黄金色の太陽が顔を出すと、アンデス山脈の美しい山々の稜線がくっきりと姿をあらわしはじめる。
それは斧のように力強く、しかし野の馬のたてがみのように伸びやかに悠々とそびえたっている。
空は青く、大きい。
空と山と草原が、果てもなく並走している。
校庭の大きなヤシの木が二本、しっとりと朝露をまとって、金色の朝日を浴びて呼吸をしている。寝坊した巨人を連想させる。
昼になると太陽は灼熱の光をそそぐ。樹木の葉の緑色は強烈に濃い色になって光合成をする。
色鮮やかな花は虫を誘い、土の下では蟻が働いている。
赤や青や黄色の美しい羽の鳥がきらきらと飛び、木の枝にとまって啼く。
灰色の空から雨ははげしく降り、稲妻がはしって空気をふるわせる。
雨が上がって黒雲が去り、また強い日が差すと、高い山は煙のような水蒸気をはく。
夜空には大きな南十字星が輝き、芝生の上で小さな蛍が緑色の光を明滅させた。
コロンビア式のジェスチャーを紹介したい。でもこれが、コロンビア一般なのか、もっと限定された一地域のものか、あるいはもしかしたら南米全体程の広範囲で通用するのか、そのへんの責任は負わないので、そのつもりで読んで下さい。
「挙手」
日本語の授業をしていて生徒が質問に答えようとするとき、挙手する。それは同じだけど、日本だと文字通り挙手で、手指を五本揃えて伸ばし、腕を伸ばす。
コロンビアでは人差し指一本だけで腕を伸ばす。指で天井を指す格好だ。
子どもクラスでは指をしっかり伸ばして、いかにも「答えさせて!」という感じが前面に出ていた。大人クラスになるとそういうのはなくて、指もピンとは伸ばさず、少し丸めた格好だった。
これは以前外国の映画か何かでこういう風景を見たことがあったので、さほど気にはしなかった。ああ、やっぱり一本指なんだな、外国人だなとおもった。
いや。自分が外国人なのかと、おもい直した。
「空腹」
キケという男の子がいて、翌年に日本留学を控えていた。日本に行くのは三月末。コロンビアの学校は六月に終わり、新年度が九月から。だから六月に卒業してから日本に行くまでかなり時間がある。
キケはアルバイトをしつつ、時間があるときは学校に来て、校庭の草刈やアボガドの収穫、番犬のシャンプーなど、色々と手伝いをしてくれた。
ある日も学校に来て、汗だくになって草刈をしてくれた。ぼくも一緒に午前中いっぱい作業をした。そろそろ昼食時。きりの良いところで止め、水シャワーを浴びた。
コロンビアの人は総じて水シャワーが好きらしい。若い人は特にそうだ。お湯を浴びるのは、体が熱くなるから嫌だと言う。極端な人はお湯シャワーだけでのぼせるとか。
浴槽に入る習慣もないから、日本に来て戸惑う。次第に慣れてお風呂好きになる人もあれば、そうでない人もいる。
さて、それはいいとしてシャワーを終えたキケは
「アルバリート…」と言い、口を開け、口の中を手であおぐようにパタパタ動かした。
喉が渇いたのかとおもって訊いたら、お腹がすいたのだと言った。
お腹がすいた、何か食べますかなど、食事に関することは大体これで通じるらしい。
「日本だと、こうするよ」
ぼくは、左手で茶碗を持ち、右手をピースにして食べる仕草を教えた。
「日本人はハシを使うからね」
キケは、なるほどそうかと納得した様子だった。
そういえば、キケはハシを使うのは上手だったが、麺料理をずるずる音をさせてすするのは下手だった。口をすぼめて頑張っても、空気を吸うだけで、肝心の麺が動かない。ぼくらが笑うとキケは照れた。なんだか微笑ましい思い出だ。
「怖い人」
怖い人、日本ではズバリ、ヤクザ。暴力団。表すためには、皆さんご存知の通り、人差し指で頬に切り傷をつけるように縦の一本線を引く。
コロンビアでは、怖い人というとマフィアである。それを表すのに、日本と似ているがちょっと違う方法をとる。
頬に傷をつけるのは同じだが、親指以外の四本でガリっとひっかく。
これを教えてくれたおじさんに、日本では一本線ですと言ったら
「コロンビアのマフィアは怖いぞお。日本の四倍怖いぞお」
と言って大笑いしていた。
「おかま」
手の平を胸の高さに持っていき、おいでおいでをするように動かすと、コロンビアではおかまを意味する。もちろん、こっそり使う種類のものだから、「おーい。こっちにコーイ!」というような大きなアクションのおいでおいでじゃなく、内緒話をするのに人を呼ぶような「おい、○○君、ちょっとこっちへ…」の、小さなおいでおいでだ。
または日本のおばちゃんが「ねえ、ちょっと聞いてよ」と言いながらやる、アレ。むしろこっちの動きに似ているかも知れない。
まあ、あまり接することもないだろうし、使うことなどまずないだろうからあまり細かいところは気にしていただかなくて結構です。
ちなみに本当に人を呼びたい時は、手の平を上にして指をクイクイと曲げる。日本版と手の平の向きが逆さまになるだけだ。なんてないことだが、これをうっかり間違うと、おかまのサインになるので要注意。
「お金」
人差し指と親指で円をつくり、みぞおちの前辺りで横向きにするのが日本の「お金」のジェスチャー。硬貨を表しているのだろう。
コロンビアでは親指、人差し指、中指を擦るようにする。紙幣を数える格好だ。
ちなみに親指と人差し指で丸を作り相手に見せるOKサインは、コロンビアでは肛門、又は女性器を意味することになるので、おすすめしない。一回目はこちらが物知らずな外国人ということで笑って許してくれるだろうが、何度もやると当然嫌われる。相手が女性の場合、強制ワイセツに近くなる。
これはコロンビアだけでなく、北米、中米、南米、ヨーロッパでもそうだとおもう。
OKの時は、握りこぶしの親指を立てて上向きにする。これも大体万国共通だろう。
まるでどこを走っているのか分からない。
大通りからも外れてしまった。
どこをどう走ってきたものか、武骨な自然が目の前に広がっていて、無闇に叫びたい。
ここはいったいどこだろう。
右も左も分からない。
あたりはだんだん暗くなり、どんどん心ぼそくなる。
尻のあたりから焦りのような恐怖が、じわじわと、忍びよってくる。
迷子になってしまった。
少し走っていればなんとかなるだろうとコロンビア人風の楽観をしていたが、ぼくは要領が悪いのか状況は変わらない。どうやら楽観するのにも才能が必要らしい。そしてそれは、多くの日本人が持ち得ない才能らしい。
タバコをすってみても味がよくわからない。焦っている。
渇いた口と鼻から、ただ煙が出ていくだけだ。
いたずらに時間だけが過ぎてしまい、いよいよ不安に押しつぶされそうになっている。
学校に電話をしようとも思ったが、自分がどこにいるかが分からなければ、むこうでも教えようがない。そして自分がどこにいるか分かるくらいなら、一人で帰れる。
さあこまった。仕方ない。人に訊いてみよう。
ガソリンスタンドで道を訊く。まだコロンビアについて間もない頃だったから、ぼくのスペイン語はかなり幼稚だった。それでもスタンドのおじさんたちは、一生懸命に、ぼくに分かるように教えてくれた。実に親切だ。
が、人それぞれ言うことが違う。
「こっちへ行け」という人と
「あっちへ行け」という人がいる。
これは何かの聞き間違いなのか。そうさ、そうに違いない。もしくは、ぼくの訊き方がおかしかったので、こんなことになっているのだろう。ぼくはもう一度、訊きなおした。それでも答えがまとまらない。そうこうする内にもう一人、若い奴がやってきた。興味津々という顔をしている。そして、自信満々に
「それなら向こうへ行け」という。
二択が三択になり、難易度が上がってしまった。
悪い夢でも見ているのか、狐狸の類にばかされているような気さえする。
いっそ大穴狙いでさらに別の方向へ行ってしまおうか。
もはやぼくそっちのけで、男たちがもめている。
「西じゃ!」
「おやっさん、ちがうよ。東だよ」
「ちがうって。北に行かなきゃだめだって」とかなんとかいっているのだろう。埒があかず、ぼくは途方に暮れてしまった。おあつらえ向きに空は暮れなずんでいる。
そこへ、別の男が一台のタクシーを呼んできてくれた。
「このタクシーに先導してもらって帰れ」
と言う。
名案だ。初めからそうすりゃよかった。
親切な彼らに礼を言って、そこを去った。
その時はそれで学校に無事帰り、みんなに笑われるくらいですんだ。
だが、コロンビア人に道を聞いて、その通りに行けたということはなかなか無い。たずねると、とにかく教えてくれる。「知らない」などと言われることはない。本当に親切で、それがまた怖いところでもある。
「この道をまっすぐ行くだろ、そして三つめの信号を左に曲がるんだ。それで、すぐの信号を右に行けば五番通りに出られるよ」
「五番通りまで行けば分かる! ありがとう!」
三つめの信号を左折する。が、すぐどころか行けども行けども、信号は見えてこない。だまされたと思っていると、そこがもう五番通りだったりする。