コロンビア雑記帳

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そぞろ歩き 一( 3 / 13 )

スーパーマーケット

 コロンビアに着いて数日後、洗面道具や、タバコ、飲み物など当面の生活用品を買いにスーパーに連れて行ってもらった

 店の横のATMのすぐそばに散弾銃らしきものを構えた警官(ガードマン?)が立っていたのにはビビった

 駐車場店もあきれるほど広い。

 コロンビアの国土は日本の約倍。そこに日本の人口の約分のの人が住んでいる。当然、建物は横に広がる。

 日本に来たコロンビア人が立体駐車場に感心し「日本の技術はすごい」と写真を撮っていたが、仕方ない。これだけ面積があれば、スーパーが高くなる必要はないし、わざわざ金をかけて立体駐車場作る必要もない

 それにカートもバカでかい。人が入れるほどだ。これは、大きな声では言えないが実際に召し使い用の黒人奴隷やインディアンを買うためである。

 うそである。

 ただ、子どもが乗れるくらいカートが大きいのは本当で、そのため通路も広くしてある。

 店内が広いので見て回るだけで疲れ

 ジャガイモ、トマト、マンゴーなどはカゴにどっさり入って売られている。しかもそれぞれの種類も豊富。やはりこういうものはこっちが本場なんだなと納得した。

 店内で目当ての物を探し始めて数分。どこに何がおいてあるか分からない。なんというか、品物の並べ方の意図が良く分からない。

 日本のスーパーであれば、野菜・魚・肉などの生鮮食品、調味料、ラーメンなどの乾燥食品、酒・ジュースなどの飲料、乳製品、菓子類、台所用品、掃除道具、文房具、衣類といった具合にコーナーが分けられていて、せっけんなら、台所用品か掃除道具のコーナー、そこになくても、その近くにあるだろうという見当をつけることができる。

 その見当というやつがなかなかつかない

 もちろん、おもちゃ箱をひっくり返したみたいに完全にめちゃくちゃな並べ方をしているわけではない。ある程度かたまって置いてあるのだが、お菓子売り場に突如としてビールが出現していたり、野菜売り場にバーベキュー用の炭が大量に並べられたりしている。それも、冷風が出ている野菜の陳列棚の下に置いてあるので、炭を探そうとしていてはまず気付かない。商品というより隠しアイテムにちかい

 それ以外にも分けの分からない並べ方の商品があったのだが、今になるとおもい出せない。というより二年のうちに慣れてしまって、最初は変だとおもったことがあまり変だとは感じなくなったのだろう

 お菓子とビールがセットで都合がいいじゃないかという具合に、一つ一つ納得していったらしい。

 バーベキューの炭も、どのスーパーに行っても必ず野菜の棚の下にあった気がする。だから慣れると探しやすかった。慣れるというのはすごい。


 店員にたずねたくても、欲しい品物がスペイン語で言えないぼくは「はじめてのおつかい」もいいところで右往左往していた。

 それでもなんとか欲しいものは見つかった。後は会計だけ。

 しょっちゅう買物に出られるわけではないというのと、好奇心も手伝って、日本では見たことがない食べ物などがあると、ついカートにいれてしまう。


 気が付くと、カートの中にはかなりの量の商品が入っている。

 レジに行く。いくらぐらいだろう…

オチェンタイセイスミルクワトロスィエントスペソス」

 だと言う。

 ぼくは「あわわ」という感じで呆然としていた。

オチェンタ! イ! セイスミル! クワトロスィエントス! ペソス!」

 今度は大きい声で言ってくる。

 別にぼくは耳が聞こえなくて反応しないのではない。分かるのが最後のペソス(コロンビアの通貨単位)だけなので、いくら出したらいいか分からなくて立ちすくんでいるのだ。

 これはけっこうなプレッシャーで、つめたい汗がツーと流れていくのが分かる。


 コロンビアは慢性的なインフレ状態で、ちょっと買物をしても金額が大きくなる。

 例えば、タバコが一箱(二十本入り千ペソ。

 初めは高いなとおもったが、およそ百円。

 この時の「オチェンタイセイスミル…ペソ」も、八万六千四百ペソで、日本人がこんな数字を聞くと逃げ出したくなるようだが、円にすると四千三百円くらいだ。


 さらに余談だがコロンビアのお金は上から五万ペソ、二万ペソ、一万ペソ、五千ペソ、二千ペソ、千ペソ。これらが紙幣。

 硬貨が五百ペソ、二百ペソ、百ペソで、一番小さな額の硬貨は二十ペソ硬貨(約円)。一ペソ硬貨というのはない。ほとんど価値がないから(二十分の一円)。だから「398ペソ」みたいな値札はつくことがない。こんなことをしていてはお釣りが出せないし、400ペソとまるでかわらない。398値札をつけるとしたらむしろ高額商品の方で、例えばテレビやパソコンなんかに「3980000ペソ」というような、ゼロの数を数えなければならない値札がついている。


 レジで固まってしまったぼくは、持っているお金を大きい方から一枚一枚財布から出し、レジのおばちゃんの顔を伺いながら並べた

 本当にはじめてのおつかといい勝負だ。

 レジのおばちゃんが「もう足りるわよ」というジェスチャーをしてくれたのでお金を引っ込めた。どうにも情けなかった。

 スペイン語の聞き取りを、もう少しなんとかしようとおもった。

 おばちゃんは、受け取った紙幣を軽く擦ってみたり、角度を変えて睨んだりしていた。にせ札の対策なんだろう。


 スーパーマーケットのことは、ほかにもある。

 林紺さんと買い物に行った。林紺さんはコロンビアに来て二年以上経っている。当時、三十代前半。日本人の奥さんと学校で働いていて、こちらに来てから生まれた男の子がある。

 林紺さんは買い物にも慣れていて、どこに何が置いてあるか大体頭に入っている。サクサク歩いて商品をホイホイとカートに入れていく。

 で、並んでいるペットボトルを手にしてプシュッと開け、ぐびっと飲んだ。

 いや、まさかな。そんなことするはずない。気のせいさ。目の錯覚さ。そうに違いない。

 しかし林紺さんの手の中のジュースは明らかに減っている。そしてまた飲んだ。

「マジですか」

 ぼくは半笑いで訊いた。

「ああ、これ? いいんだよ。最後にちゃんとレジ通せば」

 さらりとそう言い、またぐびっと飲んだ。ぼくが不審な目で見ていたので、林紺さんは笑い、嘘じゃないって、お前もやってみなよと言たが、ぼくは遠慮した。

 この時はかなり衝撃を受けた。海外だからなにかとカルチャーショックというやつには出くわすのだろうとおもっていたが、日本人にそれをやられるとは全く想像していなかったから。

 敵から攻撃されるのは予想していたが、見方に裏切られたような気分だ。それだけにショックもでかかった、というか痛烈だった


 別の日。

 蛍光灯を買いに行ったら、点かない蛍光灯が置いてあった。どうして買う前に点かないのが分かったかというと、売り場にテスト用の電気スタンドが置いてあるから。それで確かめてから買うわけだ。

 つまり不良品がまぎれているのが前提(中には完全に、蛍光灯の端の金具が潰れているのもある)ということ

 不良品を持って、店の人に

「これ、使えないよ」

 と言った。すると化粧の濃い店員は、

「それがどうした?」

 という、不機嫌なようなぼくのことが分からないような顔をして、再びそれを売り場に戻していた。


 まだある。

 日本語教室の朗読大会の賞品を買いに行った時のこと。おもちゃの卓球道具を買おうとおもって手にとって眺めてみると、ピンポン球がへこんでいた。

 やはり店の人にそれを言うと

「ああ、でもお湯につければ元に戻りますよ」

 と言って、直し方を教えてくれた。

 コロンビア人はとても親切だ。(これは皮肉だ。しかし実際、本当にコロンビア人は親切な人が多い)

 でも買うのはやめた。これをもらった子どもに

「お湯につければ戻るよ」

 と言う図太さは、当時のぼくにはまだなかったから。


 学校では月に一度のボランティアの日、というような日があった

 教会の信者さんたちはもちろん、学校の生徒、卒業生、その親などが来て校内の掃除や校庭の草刈などしてくれる。あちらではボランティアが盛んだ。カトリックが根付いているのに由来するらしい。

 朝からお昼まで作業をする。男性陣は主に校庭で草刈や剪定など。女性陣は校舎や教室内の掃除などすることが多かった。また、昼食の準備もしてくれた。

 この時、休憩時にアグアパネラという飲み物が出された。黒砂糖を溶かしたにレモンを絞ってよく冷やしたもの、だったとおもう。これがうまい。

 シンプルな飲み物だが黒砂糖独特のコクのある甘味とレモンの爽やかな香りがナイスコンビ。スッキリと飲みやすい風味、炎天下で汗みずくになって作業している身には抜群にうまい。

 ボランティアの日は参加者全員でお昼を食べる。それだけ昼食の量が多くなるので、食材、調味料は大量に買っておく。砂糖や塩もたくさん買う。何度か、その買い出しに行った。

 それで、値段はどのくらいだったかまるで覚えていないが、例えば塩一キロが二千ペソだとする。同じ商品のキロの袋が一万ペソなのである。

 当たり前だけど、当たり前すぎないかとおもった。大袋の方が値段がお得になるんじゃないのかな、そうおもった。ビッグサイズがお得にならないのがコロンビアでは通常だった。


 買ってきたそれらを袋から出していると、袋の破れているのがある。買うときに気をつけていても、どうもぽろぽろとこぼれている。お菓子なんかは包装がしっかりしているのに、なぜか塩、砂糖、小麦粉なんかの粉物の袋は非常に貧相だった。

 専売公社だけで扱っているから袋がいいかげんでも売れる、というようなことではないとおもう。いくつかのメーカーがあった

 理由は結局分からずじまい。そんなことでいちいちカリカリしていたら、たちまちノイローゼになってしまう。


 これはコロンビアだけではないとおもうが、むこうの品物はたいがい日本のものより大きい。ぼくが驚いたのは、リットルのコカコーラだ。

 これは実際に目にするとかなりのサイズで、冷蔵庫に入れると王様然として君臨する。そもそも、もはやペットボトルを入れるための、あの冷蔵庫のドア裏のスペースには納まらない。

 そのくせプラスチックが薄く、持つとペコッとへこむので、片手では注げないという扱いづらさ。

 これだけあればかなりの日数持ちそうなものだが、そんなことはなかった。

 日本語教室を終了した文十屋少年職員見習いとして、ぼくと同部屋で起居することになった。

 ぼくはコーラ好きの文十屋少年に、そのリットルコーラを買ってやった。彼のコーラ好きはこの若さにしてなかなか堂に入っていて、その飲みっぷりは、ある種の狂気すら帯びていた。


 三リットルは、二日でなくなった。

そぞろ歩き 一( 4 / 13 )

景色

 黄金色の太陽が顔を出すと、アンデス山脈の美しい山々の稜線がくっきりと姿をあらわしはじめる。

 それは斧のように力強く、しかし野の馬のたてがみのように伸びやかに悠々とそびえたっている。

 空は青く大きい。

 空と山と草原が、果てもなく並走している。

 校庭の大きなヤシの木が本、しっとりと朝露をまとって、金色の朝日を浴びて呼吸をしている。寝坊した巨人を連想させる。


 昼になると太陽は灼熱光をそそぐ。樹木の葉の緑色は強烈に濃い色になって光合成をする。

 色鮮やかな花は虫を誘い、土の下では蟻が働いている。

 赤や青や黄色の美しい羽の鳥がきらきらと飛び、木の枝にとまって啼く


 灰色の空から雨ははげしく降り、稲妻がはしって空気をふるわせる。

 雨が上がって黒雲が去り、また強い日が差すと、高い山は煙のような水蒸気をはく。


 夜空には大きな南十字星が輝き、芝生の上で小さな蛍が緑色の光を明滅させた。

そぞろ歩き 一( 5 / 13 )

コロンビア式ジェスチャー

 コロンビア式のジェスチャーを紹介したい。でもこれが、コロンビア一般なのか、もっと限定された一地域のものか、あるいはもしかしたら南米全体程の広範囲で通用するのか、そのへんの責任は負わないので、そのつもりで読んで下さい。


「挙手」


 日本語の授業をしていて生徒が質問に答えようとするとき、挙手する。それは同じだけど、日本だと文字通り挙手で、手指を五本揃えて伸ばし、腕を伸ばす。

 コロンビアでは人差し指一本だけで腕を伸ばす。指で天井を指す格好だ。

 子どもクラスでは指をしっかり伸ばして、いかにも「答えさせて!」という感じが前面に出ていた。大人クラスになるとそういうのはなくて、指もピンとは伸ばさず、少し丸めた格好だった。

 これは以前外国の映画か何かでこういう風景を見たことがあったので、さほど気にはしなかった。ああ、やっぱり一本指なんだな、外国人だなとおもった。

 いや。自分が外国人なのかと、おもい直した。


「空腹」


 キケという男の子がいて、翌年に日本留学を控えていた。日本に行くのは三月末。コロンビアの学校は六月に終わり、新年度が九月から。だから六月に卒業してから日本に行くまでかなり時間がある。

 キケはアルバイトをしつつ、時間があるときは学校に来て、校庭の草刈やアボガドの収穫、番犬のシャンプーなど、色々と手伝いをしてくれた。

 ある日も学校に来て、汗だくになって草刈をしてくれた。ぼくも一緒に午前中いっぱい作業をした。そろそろ昼食時。きりの良いところで止め、水シャワーを浴びた。

 コロンビアの人は総じて水シャワーが好きらしい。若い人は特にそうだ。お湯を浴びるのは、体が熱くなるから嫌だと言う。極端な人はお湯シャワーだけでのぼせるとか。

 浴槽に入る習慣もないから、日本に来て戸惑う。次第に慣れてお風呂好きになる人もあれば、そうでない人もいる。

 さて、それはいいとしてシャワーを終えたキケは

「アルバリート…」と言い、口を開け、口の中を手であおぐようにパタパタ動かした。

 喉が渇いたのかとおもって訊いたら、お腹がすいたのだと言った。

 お腹がすいた、何か食べますかなど、食事に関することは大体これで通じるらしい。

「日本だと、こうするよ」

 ぼくは、左手で茶碗を持ち、右手をピースにして食べる仕草を教えた。

「日本人はハシを使うからね」

 キケは、なるほどそうかと納得した様子だった。


 そういえば、キケはハシを使うのは上手だったが、麺料理をずるずる音をさせてすするのは下手だった。口をすぼめて頑張っても、空気を吸うだけで、肝心の麺が動かない。ぼくらが笑うとキケは照れた。なんだか微笑ましい思い出だ。


「怖い人」


 怖い人、日本ではズバリ、ヤクザ。暴力団。表すためには、皆さんご存知の通り、人差し指で頬に切り傷をつけるように縦の一本線を引く。

 コロンビアでは、怖い人というとマフィアである。それを表すのに、日本と似ているがちょっと違う方法をとる。

 頬に傷をつけるのは同じだが、親指以外の四本でガリっとひっかく。

 これを教えてくれたおじさんに、日本では一本線ですと言ったら

「コロンビアのマフィアは怖いぞお。日本の四倍怖いぞお」

 と言って大笑いしていた。


「おかま」


 手の平を胸の高さに持っていき、おいでおいでをするように動かすと、コロンビアではおかまを意味する。もちろん、こっそり使う種類のものだから、「おーい。こっちにコーイ!」というような大きなアクションのおいでおいでじゃなく、内緒話をするのに人を呼ぶような「おい、○○君、ちょっとこっちへ…」の、小さなおいでおいでだ。

 または日本のおばちゃんが「ねえ、ちょっと聞いてよ」と言いながらやる、アレ。むしろこっちの動きに似ているかも知れない。

 まあ、あまり接することもないだろうし、使うことなどまずないだろうからあまり細かいところは気にしていただかなくて結構です。

 

 ちなみに本当に人を呼びたい時は、手の平を上にして指をクイクイと曲げる。日本版と手の平の向きが逆さまになるだけだ。なんてないことだが、これをうっかり間違うと、おかまのサインになるので要注意。


「お金」


 人差し指と親指で円をつくり、みぞおちの前辺りで横向きにするのが日本の「お金」のジェスチャー。硬貨を表しているのだろう。

 コロンビアでは親指、人差し指、中指を擦るようにする。紙幣を数える格好だ。

 ちなみに親指と人差し指で丸を作り相手に見せるOKサインは、コロンビアでは肛門、又は女性器を意味することになるので、おすすめしない。一回目はこちらが物知らずな外国人ということで笑って許してくれるだろうが、何度もやると当然嫌われる。相手が女性の場合、強制ワイセツに近くなる。

 これはコロンビアだけでなく、北米、中米、南米、ヨーロッパでもそうだとおもう。

 OKの時は、握りこぶしの親指を立てて上向きにする。これも大体万国共通だろう。

そぞろ歩き 一( 6 / 13 )

道に迷う

 まるでどこを走っているのか分からない。

大通りからも外れてしまった。

どこをどう走ってきたものか、武骨な自然が目の前に広がっていて、無闇に叫びたい。

ここはいったいどこだろう。

右も左も分からない。

あたりはだんだん暗くなり、どんどん心ぼそくなる。

尻のあたりから焦りのような恐怖が、じわじわと、忍びよってくる。


 迷子になってしまった。

 少し走っていればなんとかなるだろうとコロンビア人風の楽観をしていたが、ぼくは要領が悪いのか状況は変わらない。どうやら楽観するのにも才能が必要らしい。そしてそれは、多くの日本人が持ち得ない才能らしい。

 タバコをすってみても味がよくわからない。焦っている。

 渇いた口と鼻から、ただ煙が出ていくだけだ。

いたずらに時間だけが過ぎてしまい、いよいよ不安に押しつぶされそうになっている。

 学校に電話をしようとも思ったが、自分がどこにいるかが分からなければ、むこうでも教えようがない。そして自分がどこにいるか分かるくらいなら、一人で帰れる。

 さあこまった。仕方ない。人に訊いてみよう。

 ガソリンスタンドで道を訊く。まだコロンビアについて間もない頃だったから、ぼくのスペイン語はかなり幼稚だった。それでもスタンドのおじさんたちは、一生懸命に、ぼくに分かるように教えてくれた。実に親切だ。

 が、人それぞれ言うことが違う。

こっちへ行け」という人と

あっちへ行け」という人がいる。

これは何かの聞き間違いなのか。そうさ、そうに違いない。もしくは、ぼくの訊き方がおかしかったので、こんなことになっているのだろう。ぼくはもう一度、訊きなおした。それでも答えがまとまらない。そうこうする内にもう一人、若い奴がやってきた。興味津々という顔をしている。そして、自信満々に

「それなら向こうへ行け」という。

 二択が三択になり、難易度が上がってしまった。

悪い夢でも見ているのか、狐狸の類にばかされているような気さえする。

いっそ大穴狙いでさらに別の方向へってしまおうか

 もはやぼくそっちのけで、男たちがもめている。

「西じゃ!」

「おやっさん、ちがう。東だ

「ちがうって。北に行かなきゃだめだって」とかなんとかいっているのだろう。埒があかず、ぼくは途方に暮れてしまった。おあつらえ向きに空は暮れなずんでいる。

 そこへ、別の男が一台のタクシーを呼んできてくれた。

「このタクシーに先導してもらって帰れ」

 と言う。

名案だ。初めからそうすりゃよかった。

親切な彼らに礼を言って、そこを去った。

 その時はそれで学校に無事帰り、みんなわれるくらいですんだ。


 だが、コロンビア人に道を聞いて、その通りに行けたということはなかなか無い。たずねると、とにかく教えてくれる。「知らない」などと言われることはない。本当に親切で、それがまた怖いところでもある。

「この道をまっすぐ行くだろ、そして三つめの信号を左に曲がるんだ。それで、すぐの信号を右に行けば五番通りに出られるよ」

「五番通りまで行けば分かる! ありがとう!」

 三つめの信号を左折する。が、すぐどころか行けども行けども、信号は見えてこない。だまされたと思っていると、そこがもう五番通りだったりする。

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小関三千男
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