「先生はこのことをどうお考えですか」
眠りに落ちながら意識は覚醒している。姉さんと春日井先生の弟さん、僕の主治医としての春日井久仁彦先生の声がする。このこと…このパラレルワールドのようなタイムトラベルのような時空の体験のことか。
「ええ。私はそのことについては健太郎さんの口述筆記のこの部分に関心があります」
ファイルをめくる音がする。
「『地下鉄のない街』のこの部分です」
「拝見します」姉さんがファイルを受け取って読み始めたようだ。部屋に中は再び沈黙に包まれた。
昭和XX年 XX月 XX日 ファイル64 君島健太郎口述部分
あれは本当に僕だったんだろうか。もし僕だったとするならば、21年前の僕が38歳の僕を見たという記憶があるはずだ。しかし16歳の時の僕にそんな記憶はない。
皆川君が西村にいろんな嫌がらせを受けた中に、確かに保健室前でキレた西村に殴られて血まみれになったということはあった。校内放送で呼ばれた僕は確かに保健室に急いだ。その記憶は確かだった。
姉さんが消えてしまったことはどう解釈すればいいのだろう。僕が疲れきった38歳のサラリーマンを生きる世界から今のこの世界にきた時も、遠眼鏡で姉さんの部屋を一緒に覗いて自分たちが育った家に空間移動した時も姉さんは消滅したりしなかった。
今回は16歳の僕自身が現れ、その僕がおそらく僕自身を見て驚愕したという事実が今までとは違っている。今までは言ってみれば僕たちは観客席から侵犯のできない舞台を眺めていたのだった。
だから高校生の僕が今の僕、今の僕と言っても姿形は姉さんの一つしたの高校生になっているわけだけど、その僕を見て驚いたというのは自分と全く同じ存在を舞台から見て、役者が舞台上で驚いてしまったという劇の進行に致命的な影響を与えてしまったということになる。
もし実際の舞台で、役者が実人生で子供の頃に生き別れた自分の母親を見つけたと仮定しよう。その役者は自分が舞台の中で一人の役を演じていることを思わず忘れてしまって、「お母さん!」と叫んでしまったとしよう。舞台はめちゃくちゃになり、取りあえず劇は中断して、騒ぎ出した観客席は舞台の上からおりてきた緞帳で舞台から遮断される。
そうだ、舞台の上と観客席は「お母さん!」という叫び声によって接続されてはいけないのだ。さっきそれが起きたのだ。僕は向こう側の世界の僕に発見されてしまった。16歳の僕は「あ、もう一人の君島健太郎だ!」と叫びそうになった。そこで舞台の緞帳のようなものが、時空の混乱を防ぐための緊急の安全装置のように作動し、僕は観客席の側に隔離された。もともとこちら側の住人だった姉さんは、そうすると緞帳の向こう側にいるということになる。
自分を落ち着かせようとここまで考えてきて、僕は確かに少し落ち着いてきた。しかし今度は混乱に替わって深い恐怖心がざわざわと僕に取り憑いた。
姉さんにもう一度会えるんだろうか。
この暗闇の中で僕は生きて行くんだろうか。
16歳の僕は向こう側の世界で生きており、かといって38歳のもともとの僕の世界にも戻らなかった僕はいったい何なのだろう。おそらく38歳の僕は今のこの僕が戻ることなく、その生活を続けているのだろう。
じゃあ、この僕はいったいなんなんだ。この真っ暗な世界では、僕という存在はただ、「僕」という意識、記憶だけだった。『地下鉄のない街』 http://amba.to/VbFUNx「健太郎が、自分の見た世界を舞台と言っていますね」
ファイルがめくられるめくる音の中に姉さんの声が混じる。
「ええ。私は健太郎さんのこの証言の部分に一見非現実的なタイムトラベル体験の真相が隠されていると思うんです」
「真相…?ですか…」
「ええ。私は精神科医としていわゆるタイムマシンの話とタイムトラベルの話はまったく別物だと考えているんです。」
「とおっしゃいますと…」
春日井久仁彦先生が僕の枕元から離れる気配がして、パイプ椅子を組むカチャカチャという音がした後、そこにギシッと腰掛ける音がした。
「タイムマシンというと重力や量子の世界を突き抜けて、我々がまったく別の世界にこの
体ごと移動するという暗黙の理解がありますよね」
「そうですね。私はそうしたSF小説というのはまったく知らないのですけど、卑近な話で申し訳ありませんが、ドラえもんに出てくるタイムマシンみたいなのは、その中に人が乗って未来に移動するというシーンがあったように思います。確かのび太くんの部屋の勉強机の引き出しがタイムマシンの入り口でしたっけ」
「そうですね。あれはまさに今言ったタイムマシンなんです」
姉さんの話に春日井久仁彦先生が笑い声を交えながら応える。いい大人が病室でドラえもん話とは確かに照れ臭い光景かもしれなかった。
「しかし、あの話とはまったく別の仕方で時間旅行を論じることが可能なんですよ」
「…。宇宙船に乗ってとか?すいません、そんなお話じゃないですよね」
姉さんの笑い声がする。久仁彦先生もかすかに笑い返す。
「いえ、それもまあ言ってみればのび太の孫のセワシ君が未来から乗ってきたタイムマシンと同じですね。いわばスイッチを入れるとタイムマシンが私たちを未来や過去に連れて行ってくれる。でもそうじゃなくて、スイッチを入れると過去の世界が目の前に復元されるという体験も考えられるでしょう」
「復元…ですか?」
「ええ。この健太郎さんの最後の部分なんですがこうあります。『 じゃあ、この僕はいったいなんなんだ。この真っ暗な世界では、僕という存在はただ、「僕」という意識、記憶だけだった。』」
「どう解釈すればいいのでしょう」
「例えばこういうことです。私たちがある一枚の思いで深い色あせた写真から、時の経つのを忘れるほどありありと、ある過去の出来事を想起することができますよね」
「そのお話ならわかります。私がこの病室に来て健太郎の話を書き取っている時には、健太郎の口から出てくる言葉の片言隻句から私は過去そのものを体験したような感じになっていましたから」
「そうですね。それがまさに、過去に身体を移動するタイムマシンと、過去を再体験するタイムトラベルとの違いです」
「あ、なるほど…。でもそれはどれだけリアルでも想像の世界のお話に過ぎないのじゃありませんか?」
姉さんはもっともな疑問を久仁彦先生に投げかけた。
「ところがそうとも言い切れないんです。過去の再現装置、ある日本の高名なSF作家がそれを「パストビジョン(Past Vision)」と名付けているんですが、これは今日科学的議論の対象として認識されています。過去そのものを現在に再現できるのならば、その過去に手を加えることも可能でしょう」
「その過去の改変ってこの回想にあるような…」
「そう、健太郎さんはこんなことを言っている。『 もし実際の舞台で、役者が実人生で子供の頃に生き別れた自分の母親を見つけたと仮定しよう。その役者は自分が舞台の中で一人の役を演じていることを思わず忘れてしまって、「お母さん!」と叫んでしまったとしよう。舞台はめちゃくちゃになり、取りあえず劇は中断して、騒ぎ出した観客席は舞台の上からおりてきた緞帳で舞台から遮断される。』」
「それが…」
「おそらくパストビジョン的なタイムトラベルをした健太郎さんが本能的に感じた過去改変への恐怖心でしょう。」
「そういうことなんですか…」
僕は意外な展開に身体は眠った状態であったけれど必死に意識を集中し二人の会話に耳を凝らした。
「じゃあ、健太郎は寸前のところでこの舞台の役者に声をかけそうになったんですね」
「違います。すでにたくさんかけまくっているというのが私の見解です。亡くなったはずの皆川くんが生きているという事実がそれを物語っています」
「それじゃ…」
「はい。この『地下鉄のない街』というファイルを作ること、つまり私もお姉さんも含めてこのファイルを作っている人、そしてこの『地下鉄のない街』という小説のような不思議な回顧録をこうして今読んでいる
<我•々•は•全•員>過去の改変を行っているのです」
「この『地下鉄のない街』という小説のようなものを読んでいる全員が過去の改変を…?」
「そうですね。いつかこれが学会に発表されたり、単行本として一般向けに書籍化されたり、あるいはインターネット上のブログで公開されるなどしてして我々以外の読者がこれを読んだ場合…」
「そのブログを読んでいる読者は…」
病室が異空間に包まれたような感覚がした。
「この『地下鉄のない街』という物語を通じて私たちこの中に書かれている登場人物の過去を改変することに参加する…?」
「そういうことになります」
僕は千鳥ヶ淵公園の異空間に紛れ込んだあたりから感じていた、この不可思議な時空間がいつも誰かに優しい目で観られているような感覚を思い出していた。それを観る人もそれぞれにそれぞれの人生を精一杯生きる中で、僕たちの阿鼻叫喚の中の人生を優しく見つめる眼。
『観ることは赦すことだ』
皆川くんが何度も口にしたあの言葉。
僕はこの時はっきりと、そして多分姉さんも春日井久仁彦先生もこの『地下鉄のない街』という物語を読んでいる、それぞれにそうしか生きられなかった、でも精一杯その生と格闘した『地下鉄のない街』登場人物の全員を赦すような、限りなく優しい読者の視線をありありと感じたのだった。