「姉さん、姉さんはこの『地下鉄のない街』っていうファイルについて僕の知らない大事なことを知っているね」
姉さんは無言でファイルを見つめる。
「姉さんと話をした「お姫様の話」とかの章なんだけど、いつの間にか春日井恭子という署名と同じように<君島由紀子>って署名がしてある」
姉さんは手にとって確かめようともしなかった。気がついたのね…そんな目をしている。
「父さんと母さんの分もだ。僕が父さんたちの苦しみを分かってあげられた場面の最後に『ありがとう、健太郎。君島隆之 節子』ってあるよ。」
僕はページをさらにめくった。
「そしてトニーとの思い出話にも『僕のことを分かっていてくれたんだね、ありがとう。トニー•オブライエン』」
すべてが僕への感謝の言葉で締めくくられていた。
「いったいどういうことだい?」
姉さんは無言だった。
無言で、さびしそうに笑った。
==================== 汽笛の音がする。
またあの踏切の幻覚か。
あの幻覚がやってくる頻度が増してきたようだ。
何か意味があるんだろうか?
車輪が回転するようにガシャンガシャンとリズミカルに音を刻んでいる
金属音に警笛の音が混じる
警笛が連続して鳴る
発狂しそうになっている運転士の引きつった顔が見える
音はいつしか耳をつんざくような高音になって…
調弦の狂った弦楽器に音程を外した管楽器の音が混じり合い、ティンパニーは力の限りデタラメに殴打された。
同じだ。
あれ?でもおかしい。何かが違う。
僕は自分の胴体を触ってみた。
ねえ、姉さん
変だよ、何か…
なんで僕は血まみれなんだい?
救急車の音、群衆の悲鳴と叫び声。だれかが怒鳴っている声は不思議ととても遠くの声のように聞こえる。
「健太郎、健太郎!大丈夫?しっかりして!」
姉さん?僕を助けに踏切をくぐって来たのか?
「誰か救急車を呼んで!」
あれ?何言ってるんだい姉さん?踏切で事故にあったのは姉さんの方だろ?なんで姉さんが僕の助けを呼んでくれてるんだい?
だめだよ、姉さん。
姉さんの制服が僕の血で血まみれになるじゃないか。
薄れていく意識の中、冷たくなっていく自分の手に姉さんの暖かい掌が触れた。
==================== その掌のぬくもりの中にすっと吸い込まれるように踏み切りが消えて、僕は幻覚からさめた。
目の前には僕の手を握ったもう片方の手に『地下鉄のない街』を持った姉さんがいる。
「姉さん、ひとつ思い出したことがある」
僕は姉さんの掌のぬくもりをもう一度確かめることで自分の正気を確かめた。
このことを口にすることで、姉さんと一緒にいられる時間はまた縮まってしまう。
僕はそう確信した。
この沈黙が永遠に続けばいい・・・と僕は思った。
「もしかして踏切で死んだのは僕の方だったんだっけ?」
ジッ
季節外れのあの蝉の鳴き声が僕の耳をつんざいた。