大人のピアノ

大人のピアノ その百ろく B面つながり

「始まったね」

 朝子が篠崎の隣でリビングの大画面テレビを見ながら言った。

「ああ」

「もともとどういうお知り合いなんだっけ、田原慎之助さんとは」

 妻の冴子が三人分のコーヒーを淹れてきた。

「ああ、一般論で言うと今は昔の景気のいい頃と違ってCMにお金出すスポンサーの意向が強く反映されるんだ」

「うん。でもいきなり東芝の広報担当の人が番組作りの話はできないわよね」

「そうそう。さすが元広告代理店営業マンのの妻、飲み込みが早い。だからテレビのディレクターとか司会者と代理店の人間はほっといても接点はたくさんあるんだ」

「その中の一人というわけね」

「ああ。だからそういう絡みで仕事で何度かスポンサー交えて一緒に打ち合わせしたことがある。でも田原さんとはどっちかというと夜の飲み会の方がメインだったな」

「あなたの本業だものね」

 皮肉目かして言っているが冴子の声の調子は穏やかな落ち着いたものだった。現役時代には確かにこうした会話など夫婦の間で一度もなかった気がする。楽しげに話に相槌を打つ妻を見ながら、篠崎はこういう話をもっとしとけば家庭内もスムーズに行ったかななどと月並みなことを思ったりした。





「ははは。まあでも実は田原さんとは二人で飲んだことことの方が多いんだよ」

「へえ、それって面白い」朝子が横から話に入ってきた。

「そうそう。二人とも夜の接待とか終わって終電逃した時とかね、なんとなく連絡取り合ってお互い同じ状況だったら落ち合って静かに朝まで飲んでたとか何度もあるよ」

「行きつけのそういう店があったんだ」朝子も話を面白がっていた。

「そうそう、そういうときは決まってゴールデン街の「にらいかない」っていう店に行ってたな」

「ふうん」母と娘が篠崎の顔を覗き込みながら興味深そうに言った。



「この『徹夜で生テレビ』の企画を朝霧放送の天皇と言われた大和田さんが持ちかけた頃もたまたま二人で飲んでた。田原さんは活字じゃ絶対無理な討論番組っていうのにこだわってた」

「そうよね、よく総合雑誌とかで偉い人の対談とか鼎談が載ってても細かいニュアンスなんてわかんないもの」

 冴子の言葉に朝子も頷いた。

「そうなんだ。田原さんが言ってたのは、例えば討論してる人が興奮したり怒って大きな声あげても、あるいは虚を突かれてうろたえた口調になっても、当然ながらそれはほとんど読者には伝わらない。でもテレビの場合だったら声の大きさや激しさ、穏やかさはもちろん表情や目の動きや、ときにはテーブルを叩くとか立ち上がったりのリアクションも全部伝えることができる」

「真実味が違うよね。やっぱあたしも大学で授業受けてるのと教科書広げて予習するのじゃ頭への入り方が全然違うもん」

「まあそういうこと」

「じゃあ、この番組はそういう意味では大成功ね。だってみんな怒ったりうろたえたり机叩いたり立ち上がったりするもん」冴子が笑った。

「あたしの大学の先生も出たことあるよ。慣れないテレビでやり込められちゃって翌週から授業元気なくしてたおじいちゃん先生」

 三人は無邪気に笑った。




「でもね、田原さんの一番やりたかったのは実は、出演者の激しい討論でも論壇のタブーに触れることでもなくてもっと違うことだったんだよ」

「何?」二人が再び篠崎の顔を覗き込む。

「討論の中で、賛成反対の正しさとか正義みたいなのを超えて、ふっと一瞬、誰一人として見えていなかった世界が浮かび上がる瞬間を電波に乗せたい、っていうことだった」

「誰一人として見えていなかった世界が浮かび上がる瞬間…」

「うん。じつは田原さんは俺の『B面人生論』のいまあるのとは違う世界ドアっていうのと同じことを考えていたんだよ」






続く







参考文献『田原総一郎の戦うテレビ論』文芸春秋
*文中の登場人物の言葉に本書からのほとんど引用に近いものもあります。主義主張になどついてはあくまでフィクションですので、モデルにさせていただいた方とはまったく関係ありません。

大人のピアノ その百なな 賛成派と反対派

「こんばんは、司会の田原慎之助です。昨日視聴者の皆さんもすでにご存知のように千葉県船橋市海神を震源地とした大事件が起きました。正確にはこれから大事件が起きようとしているといったところかもしれません。
 この番組では千葉と中継をつなぎながら、新しい情報が入り次第現地からレポートを流します。その間、おそらく暴力団問題に関しては日本でもっとも著名、影響力のある論客二十名の方と一緒にこの問題を掘り下げて行きます。

 今日はひとつみなさんよろしくお願いします」






 田原の声に会場の出演者は小さく会釈をした。

 出演者たちは今まさに進行中の日本中が注目しているタイムリー事件と連動した、さながら劇場の舞台上ような雰囲気に、いつもとはまた違った生々しさを肌に感じていた。




『徹夜で生テレビ』は毎回テーマに即して出演者を大まかに賛成派と反対派に分けて着席させている。

 今回は「暴力団対策法」についての賛成派が視聴者から右側に10名、反対派が左に10名座っていた。著名な論客もいれば名の通った市民団体の代表もいる。

 会場及び視聴者はこの賛成派と反対派がやりあう構図を高所から見物、あるいはどちらかに感情移入していつしか硬いテーマの中に我知らずのめり込んで行くのだ。


 毎回こうした決まったパターンで深夜の熱い空間が構成されるのだが、約四時間の深夜番組にはだいたい半年ほどの準備期間がある。今も同時並行で役10本の企画が進行中である。
 その中から形になりそうなものを世論の大きな流れを捕まえて順次リリースして行くのだが、今回はもちろん藤井組のこの大事件を誰かが予想していたわけでもなく、半年前から地道に番組の準備が行われていたところに今夜のタイムリーな流れとなったわけで、そうした偶然が今夜の番組にこれまでにました異様な臨場感を与えていた。





 暴力団の存在そのものについては一般的な市民感情として手放しで肯定する人はまずいない。従って「暴力団対策法」そのものについても、市民の安全を守るためにある程度は必要であるということは反対派の出演者も理解している。

 これは別のテーマで言えば「死刑廃止論」にも似た困難であって、犯罪者が犯罪を犯したことによって何らかの処罰を受けるのには「死刑廃止論」者も反対しない。しかし、犯罪を犯したからと言って、人が人を、神ならぬ自分たちが同じ人間を極刑にする権利がそもそもあるのかどうかが問題となるのだ。



 暴力団は悪である。

 したがって「暴力団対策法」は悪に対してならどんな制限、どんなペナルティも課しても良い。こうなってしまうと、そこに「死刑廃止論」のようなある種の「行き過ぎ感」が出てくる。
 
 番組スタッフの打ち合わせでは、最初の切り口をそこにフォーカスしようということになっていた。



「まずはじめに視聴者のみなさんは意外に思うかもしれませんが、「暴力団対策法」反対側の席に座ってらっしゃる社民進歩党衆議院議員の大内議員にお聞きします」

 田原の振りに会場の一般参加者の目が一斉に大内寛信に向けられる。カメラも大内のやや上気した顔をアップにして全国の視聴者に映し出した。



「はじめまして。大内でございます。みなさん市民派の良識の砦である社民進歩党の代議士がこともあろうに暴力団の味方をしているのか!と驚きを感じた方もいらっしゃると思います。」

「そうですよね。いきなり違う方面からお叱りを受けるかもしれませんが、右翼や暴力団にどちらかと言えば甘いのは保守系の議員じゃないのか、そんな気もしないでもないですが」



 カメラはここで同じく「暴力団対策法」反対席のちょうど大内議員の隣に座っている立憲自民党大物代議士の苦笑した顔を捉えた。

 それと同時に賛成席に座っている「全国の暴力団追放を草の根から実現する市民ネットワークの会(マル暴追放ネット)」の、トレードマークの濃いオレンジ色の縁メガネをかけた四十代の女性会長の憤懣やる方ない顔もアップに捉えた。この会長は大内議員に睨みつけるような不機嫌な顔を向け、「事と次第によっては許さないぞ」と身構えているようだった。

「はい。それについてまずご説明いたします。ちょうど私の視線の目の前に「マル暴追放ネット」の福島女史が私をすごい目で睨んで座っておられますが、日本全国の視聴者の方の約半数も、いやもしかするともっと大勢の方も福島女史と同じ目でブラウン管を通じて私を見ていると思いますので、きちんとお答えいたします」



 サブカメラの全てがいきなり話を振られて顔を赤くした福島女史に向けられ、左右の顔のアップ、反対派賛成派から俯瞰の映像のコマがサブリミナル効果のように素早く画面に飛び交った。

「福島女史には大内議員の発言の後お話をお聞きしたいと思いますので、それではまず大内さんお願いします」

 大内は頷いた。




 番組の滑り出しは上々だ。

 裏方のスタッフたちはここでひとまず安堵し、気の早いものはこの異例中の異例の今こうして進行中の実際の事件と連動した熱気の中、過去最高視聴率も夢ではないかもしれないなどと思い始めていた。






続く



*人名、団体名は全てフィクションです( v_v)

大人のピアノ その百はち 悪と決める者

「まず大前提のところをお話ししたいと思います。日本の刑法は先進国なら常識である【罪刑法定主義】によって…」

「あ、大内さん。いきなり話の腰を折っちゃって申し訳ないんですが、大内さんは国会議員で人権派の弁護士さんでもあるから難しい法律用語がポンポン出てきちゃうと思うんですよ。今日はそういうのひとつ、なし、でやってもらいたい」

「ああ、これは失礼しました」

 田原慎之助のいきなりのツッコミによって失笑が起こり、会場はやや和んだ空気が流れた。

「いえ、お続け下さい。その罪刑法定主義っていうのは平たく言うとどういうことなんですか」

「はい。一言で言うと、法律で定められた悪いことを実際にしたら罪になるっていうことです」

「それは当たり前だと思いますが、『暴力団対策法』はそうなってないと」

「そうなんですよ。ぶっちゃけていいますと、まだ法律違反をしていなくても暴力団だから集会場を貸すと喧嘩が起きて拳銃をぶっ放すかもしれない、だから指定暴力団には一切集会の会場を貸さない、こういう理屈になるわけです」

「なるほど、まだ喧嘩もしてないのに」

「そうなんですよ。銀行口座も今やヤクザは自由に作れないんですが、これはさすがに意地悪してるってわけじゃなくて、暴力団に口座を開かせると拳銃や覚せい剤の売買や不正送金やらマネーロンダリングやらに使われるに違いない、だから最初っから口座を作らせない、ってことなんですね」

「確かに法律違反を犯してないのに罪人のような扱いを受けてますね」

「そうなんです。これは明らかに憲法が保障する基本的人権が踏みにじられた状態で、そういうことに関して護憲派の砦である我が社民進歩党は断固として反対して行くというわけなんです」





 田原が頷いた。田原がさらに話をしようとすると、オレンジメガネの福島女史が割り込んできた。

「そんな、基本的人権なんて社会のルールを守った人間が初めて主張できる権利であって…」

「まあまあ、福島女史、ちょっとまって。ご説ごもっともなんですが、もうちょっと私に喋らせてください」

 話を遮られた福島女史は今度は羞恥ではなく怒りで顔を赤くした。カメラは画面を真っ二つに割り、左に苦笑した大内議員、右に顔を赤くして怒る福島女史を映した。




「あのね、大内さんね」

「はい」

「いまお話聞いていて一つ思ったのは、そのもしかしたら危険かもしれないっていう判断は誰がするんですか。いったんこいつは危ないっていうレッテルを貼られたら基本的人権がなくなっちゃうわけですが」




 とぼけたふりをして田原慎之助が議論の広がりための本質的なところをさりげなく突いた。

「それは国家公安委員会という言い方もできますが、あえて誤解を恐れず単純化して言うと、警察が決める、といっていいでしょう」

「ふーむ。警察がいったんこいつは危ない、と判断するとそうなっちゃう。じゃあ、警察には憲法で保障された基本的人権を反故にする力があるってことになっちゃうのかな」

「まあ、程度問題なんですが、戦前の特別高等警察の例もありますし、我が社民進歩党ではそういう危険性も鑑みた上で反対の立場をとっているということです」

「社民進歩党が暴力団対策法に反対するという理由についてはよく分かりました。要は【罪を憎んで人を憎まず】というのが基本のはずなのに、暴力団憎し!人が憎い!!ってなっちゃうのがまずいなというところですね」

「うまいことおっしゃる。まさにそういうことです」





 大内議員の芝居がかった合いの手に会場が笑の渦に包まれた。

 しかしオレンジメガネの福島女史は笑には加わらず、早く何か喋りたくてうずうずしている様子だった。


「あ、それでは大変長らくお待たせいたしました。福島先生どうぞ」




 画面中央の田原慎之助はスタートが成功したためか、余裕の表情で福島女史に話を振った。





続く

大人のピアノ その百きゅう 危険なことが起きてからでは遅い

「現実を知らない。暴対法に反対する方々はこの一言に尽きると思います」

 福島女史はさっそく本題に切り込んだ。

「暴力団の基本的人権とかそういうのの以前の問題ですね」

「ええ。反対席に暴力団を美化したノンフィクションやそのコミック版を出してる作家の人もいますけど、実際に暴力団の被害にあっている市民の実態をご存じないとしか思えません」

「といいますと、具体的にはどんなことですか」

「生放送で喋っちゃってもいいんでしょうか」

「どうぞどうぞ。それがこの番組のいいところですから」

 田原の促しに福島女史は静かに頷いた。




「私どもで支援している、ある関東郊外の私鉄の駅前商店街の反対運動なんですが、商店街にいきなり組事務所が引っ越してきたんです」

「それはその駅周辺の住民の方や商店街の店主さんは穏やかじゃありませんね」

「そうです。商店街は小学校への通学路にもなっていますからさっそく商店街の店主さんを中心に移転反対運動が起きました」

「暴力団も黙ってないですよね」

「それはもう、夜中に店のガラスが割られるし脅迫電話はかかってくるし、昼間だって反対派リーダーグループのお店には昼間からその人たちが出入りして営業妨害をするなんて序の口です」

「まだありそうですね」

「ええ。卑劣なのは子供をさらったりすれば即警察沙汰ですから、その商店街のケースではリーダーグループの奥さんが狙われました」

「どんな風に?」

「覚醒剤です」

「これはいきなり穏やかじゃありませんね」

「ええ。詳しい事情は申し上げられませんが、確かに奥様たちも脇が甘かったというところはあると思いますが、どういう風に近づいたのかは人それぞれなんですけど、リーダーの奥さんたちのほとんど全員が覚醒剤中毒にさせられました」

「これはまた卑劣な。子供を誘拐するのと違って訴えることがしづらいし、常用者になってしまったら薬を提供してくれるむしろヤクザとの結びつきをむしろ壊したくない、と思うかもしれない」

「そのあたりがヤツらの狙いだったと思いますわ。これも実話なんですけど、奥様の中には主婦買春まで斡旋されて家庭崩壊に追い込まれた人もいますし、組事務所が反対派を押し切って商店街に強制的に移転して来てから半年後には実に8割の反対派リーダーのご夫婦が離婚に至っています」

「それも全部作戦の内だと」

「そういうことです。人間の尊厳を根底から奪ってしまう覚醒剤を武器に家庭崩壊をしかけて、自分たちの事務所がそこに居座れるようにする。こんな人たちにそもそも基本的人権なんて保証してあげることが必要なんでしょうか」





 いきなり具体的な凄惨な話が飛び出し、会場のムードはいっぺんに緊迫感を増した。

 テレビはしんと静まり返った会場を映し出す。

 さっきまでにこやかにユーモアさえ漂わせながら自説を開陳していた人権派弁護士衆議院議員大内氏も毒気を抜かれた表情で神妙に頷いている。





「福島さん、非常に説得力のあるお話ありがとうございます。すると福島さんとしては、罪を憎んで人を憎まずなんていうのは生易しくて、危険なものはきちんと排除しておくべきだということですね」

「当然です。おきてからでは遅いんです。例えば不発弾はまだ爆発してなくても爆発したら大変なことになりますから、しかるべく除去しますよね。爆発してから罪刑法定主義とか言って、今回の爆発はでかいから懲役7年です、とかやっても馬鹿げてるでしょ。それとおんなじです。毒薬のサリンだってそうです。街中で作って所持してたらそれだけで罪になるでしょ。ヤクザはそれと同じなんですよ。たとえば実際に大内さんの奥様がそういうことされたら…」





「まあまあ、そこのところは今は置いといて」

 何か反論しようとした大内議員を制しながら田原慎之助が福島女史をなだめた。

「おっしゃることは大変に分かりやすく、かつ説得力のあるもにだったと私は感じます。ヤクザだから基本的人権はいらないというのも極論かもしれませんが、そもそも基本的人権の大切さを決して学習しようとせず、またそれどころか積極的にそれを踏みにじるような行為をなんとも思わないような人たちと、それでもなお一般市民は仲良くやっていかなくちゃいけないのか。福島さん、そういうことですね」

「そういうことなんです!」

 福島女史は田原慎之助のまとめに感動したような表情を浮かべた。

 会場からは拍手が沸き起こった。まずは暴力団対策法賛成派の一般席から、そして反対席からも静かにそれは起きたのだった。

 大内議員も横に並ぶ暴力団対策法反対派の面々も、この福島女史の発言と田原慎之助の仕切りには一定の評価をしたようで、穏やかな顔で頷いている。





 そこに反対派から挙手するものがいた。

「宮本先生どうぞ」

 田原慎之助に宮本先生と呼ばれた五十代そこそこの少しにやけた表情を浮かべた男の席には「社会学者 宮本信三」という文字があった。女子高生の援助交際の実態や、若者たちが新興宗教に走る理由を、社会学的視点から女性の裸満載の男性誌によく寄稿している論壇のある種の名物男だ。



 カメラはその男の表情を大写しにした。





続く
ゆっきー
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