「始まったね」
朝子が篠崎の隣でリビングの大画面テレビを見ながら言った。
「ああ」
「もともとどういうお知り合いなんだっけ、田原慎之助さんとは」
妻の冴子が三人分のコーヒーを淹れてきた。
「ああ、一般論で言うと今は昔の景気のいい頃と違ってCMにお金出すスポンサーの意向が強く反映されるんだ」
「うん。でもいきなり東芝の広報担当の人が番組作りの話はできないわよね」
「そうそう。さすが元広告代理店営業マンのの妻、飲み込みが早い。だからテレビのディレクターとか司会者と代理店の人間はほっといても接点はたくさんあるんだ」
「その中の一人というわけね」
「ああ。だからそういう絡みで仕事で何度かスポンサー交えて一緒に打ち合わせしたことがある。でも田原さんとはどっちかというと夜の飲み会の方がメインだったな」
「あなたの本業だものね」
皮肉目かして言っているが冴子の声の調子は穏やかな落ち着いたものだった。現役時代には確かにこうした会話など夫婦の間で一度もなかった気がする。楽しげに話に相槌を打つ妻を見ながら、篠崎はこういう話をもっとしとけば家庭内もスムーズに行ったかななどと月並みなことを思ったりした。
「ははは。まあでも実は田原さんとは二人で飲んだことことの方が多いんだよ」
「へえ、それって面白い」朝子が横から話に入ってきた。
「そうそう。二人とも夜の接待とか終わって終電逃した時とかね、なんとなく連絡取り合ってお互い同じ状況だったら落ち合って静かに朝まで飲んでたとか何度もあるよ」
「行きつけのそういう店があったんだ」朝子も話を面白がっていた。
「そうそう、そういうときは決まってゴールデン街の「にらいかない」っていう店に行ってたな」
「ふうん」母と娘が篠崎の顔を覗き込みながら興味深そうに言った。
「この『徹夜で生テレビ』の企画を朝霧放送の天皇と言われた大和田さんが持ちかけた頃もたまたま二人で飲んでた。田原さんは活字じゃ絶対無理な討論番組っていうのにこだわってた」
「そうよね、よく総合雑誌とかで偉い人の対談とか鼎談が載ってても細かいニュアンスなんてわかんないもの」
冴子の言葉に朝子も頷いた。
「そうなんだ。田原さんが言ってたのは、例えば討論してる人が興奮したり怒って大きな声あげても、あるいは虚を突かれてうろたえた口調になっても、当然ながらそれはほとんど読者には伝わらない。でもテレビの場合だったら声の大きさや激しさ、穏やかさはもちろん表情や目の動きや、ときにはテーブルを叩くとか立ち上がったりのリアクションも全部伝えることができる」
「真実味が違うよね。やっぱあたしも大学で授業受けてるのと教科書広げて予習するのじゃ頭への入り方が全然違うもん」
「まあそういうこと」
「じゃあ、この番組はそういう意味では大成功ね。だってみんな怒ったりうろたえたり机叩いたり立ち上がったりするもん」冴子が笑った。
「あたしの大学の先生も出たことあるよ。慣れないテレビでやり込められちゃって翌週から授業元気なくしてたおじいちゃん先生」
三人は無邪気に笑った。
「でもね、田原さんの一番やりたかったのは実は、出演者の激しい討論でも論壇のタブーに触れることでもなくてもっと違うことだったんだよ」
「何?」二人が再び篠崎の顔を覗き込む。
「討論の中で、賛成反対の正しさとか正義みたいなのを超えて、ふっと一瞬、誰一人として見えていなかった世界が浮かび上がる瞬間を電波に乗せたい、っていうことだった」
「誰一人として見えていなかった世界が浮かび上がる瞬間…」
「うん。じつは田原さんは俺の
『B面人生論』のいまあるのとは違う世界っていうのと同じことを考えていたんだよ」
続く
参考文献『田原総一郎の戦うテレビ論』文芸春秋
*文中の登場人物の言葉に本書からのほとんど引用に近いものもあります。主義主張になどついてはあくまでフィクションですので、モデルにさせていただいた方とはまったく関係ありません。