青闇夜藍色-雪と卯-

雪と卯( 1 / 1 )

「四角いものは四角。」

 不意に、卯の奴がつぶやいた。助手席で。
 さっき拾ったヒッチハイカーだった。
「なまえは?」ときくと、しばらくして
「う、」ともらしたのだ。

 卯はずっと窓の外をみている。
 とつぜん襲ってきた寒波で、この南国はすっかり雪景色だ。
 止む気配もない。
 硝子越しに流れる雪は、雨に似た線を描きながら降りつづいている。

「丸いものは、丸く。」
 卯がまたつぶやいた。
「雪のことをいってるのかい?」
 問うと、卯は眉を寄せた。すこし。
「もののこと。」
「もののこと?」
 おもわず、ばかみたいなオウム返しをしてしまった。
 僕の恥ずかしさに気づいているのかいないのか、卯は寄せた眉を下げてからいった。
「カタチの輪郭のこと。」
「ああ、」
 そのまま黙って卯を乗せたまま、僕は車を走らせた。
 正面からの雪の猛攻に向かって。

「雪だけなんだ。」
 卯は静かにつぶやく。
 僕はもっとつぶやけばいいのに、とおもいながら、気にしないふりをした。

「雪だけが、カタチの輪郭を浮き彫りにする。」

 独白。


単位( 1 / 1 )

「生き方を変えるため。」


 卯がヒッチハイカーになった理由らしい。
 それで僕は卯を僕の部屋に泊めてやることにした。

 玄関を入ると、卯は首を傾げるようにして部屋のなかを見回した。
「ずいぶん、長方形だね。」
 狭い長方形のワンルームマンション。
 ソファベッドと長机。
 丸い座布団をさしだすと、卯はそのちょうどまんなかに、そっと座った。

「漫画よむ?」
 適当なのをさしだすと、卯は若干そわそわして、すこし俯いている。それから、
「てれび、つけてもいい?」と、上目使いで。
 リモコンの電源ボタンを押そうとしたら、
「あっ!」と、弾かれたように声をあげた。
 思わずリモコンを落としてしまう。
 その拍子に蓋がとれて、ゴロゴロと電池が床を転がった。
 僕は電池をはめながら、卯の様子をうかがう。
 卯は申し訳なさそうに、ごめんね、とちいさく言い、テレビの前までいくと、そこに ちょこんと座り、テレビ画面に頬を寄せた。
 触れそうで触れない距離。

「点けて。」
 ぽち、と電源ボタンを押す。
 ヴん、パチパチッ。
 静電気。
 卯の頬で静電気がパチパチ言ったのだ。
 だいじょうぶ?と聞くまでもなく、卯は満足そうだった。
 座布団のうえに戻り、ありがとう、といって、ぽち、とテレビを消した。
 それが卯の趣味なのか。あるいは縁起かつぎなのかもしれない。
 客用布団を出そうとしたら、卯は
「この丸い座布団のうえで寝てもいい?」ときいた。
「いいよ。」
 そう答えながらも、このちっちゃい座布団のうえでどうやって寝る気だろう?
 すると、卯は座布団をぽんぽんとやってから、見事にからだを丸め、ちいさい丸座布団のうえに程よく収まった。
 僕が感心するよりはやく寝息を立てはじめる。

 生き方を変えると決心して、見知らぬ町を転々とし、いま丸い座布団のうえで丸くなって眠っている。
 卯の規則正しい寝息を聞きながら、僕は長方形の部屋をぐるーっと見回した。
 ほとんど、なにもない。
 ちょうどいい長方形。
 ひとりには十分なこの部屋を、出ようと思ったことは一度もない。
 ということは、僕はじぶんの生き方を見つめたことがなかったのかも。
 たんたんとある、一日。
 毎日として連なっているけれど、それを一日という単位でしか捉えていなかった。
 僕は、はじめてそのことに気づいた。
 この部屋で過ごしてきた一日の、その膨大な数を思ってみる。
 なんだか、おそろしくなってきた。
 焦りをおぼえる。
 そして、あ、と思った。

「そのとき。」

 そのとき。が、来たのだ。

 翌朝、目覚めた卯に行き先の見当をたずねた。
 案の定ないと言うので、「うん。」と答える。
 僕のちいさなトランクが玄関に置いてあるのをみても、卯は驚かない。
 外に出ると、もう雪は降っていなかったが、積もった雪はまだ溶ける様子がない。
 ドアの鍵を回す。
 その機械的な音に、細心の注意を払う。
 さいごのおと。
 卯も僕の指先に視線を注いでいたけれど、おなじ思いかどうかはわかったものじゃない。

 こうして僕は、予想外に新たな人生の門出をむかえた。
 いざ。


土道( 1 / 1 )

 卯との道中も、一ヶ月を過ぎた。
 卯と同じくヒッチハイカーとなった僕。
 この毎日も悪くないような、そろそろ落ち着きたいような、じぶんでもはっきりしない。

 卯は道を歩くのがすきだ。
 それも土の道。
 けれども土道は田舎でもずいぶん少なくなっている。
 そのため、卯は土道に出会うと小股になった。
 じっくり味わいながら歩くのだ。
 ときどき、ふいにしゃがみこんだかとおもうと、人差し指で土に穴をあけている。
 第二関節ほど。
 それからその穴をみて、にんやりとわらうのだった。
 ときにはそこに水筒の水をためることもある。
 歩きだしても、うれしそうに振りかえり振りかえりするので、つい僕もつられて振りかえり振りかえり歩いてしまう。
 畑帰りのおじじやおばあが、なんかあったか、という顔をしてすれ違っていく。
 彼らの様子を気にかけるふうもなく、卯はひょこんと頭を下げる。
 あるとき、ひとりのおばあが、「にぎんめしゃあいらんか」と言った。
 ことばがわからず無反応な僕のかたわらで、卯がこくんこくんと二度うなずいた。
 おばあから包みを受けとると、そのまま道ばたに座る。
 おばあはすこし先で、卯の土穴(水いり)を眺めてから、空を仰いだ。
 それからまた、よいせよいせと歩きはじめる。
 僕もつられて空をみた。
 いい天気。

 卯が僕のほうを見あげたので、隣に座る。
 小石でちょっとおしりが痛い。
 包みをひらくと、粗くにぎったおにぎり。
 たくあんもついている。
 具のない塩おにぎりだった。
 たくあんは食後派の僕とちがい、卯はまずたくあんをすこしかじり、おにぎりを一口。
 すこしのたくあんと一口のおにぎりを一緒に食べる、というのを繰り返して食べた。
 さいごの締めに水筒の水を一口飲んで、おいしかったね、と幸せそうにわらう。
 その土道のさきで、道ばたに座りこんでいる男と会った。

 男はもうずいぶん、そこに座っているらしかった。
 卯は彼の正面に立って、やんわりと首をかしげる。
 その姿勢のまま、しばらく男をみていたとおもうと、すとんとその横に座った。
 人差し指で土に穴をあける。
 水筒の水を注ごうとした卯の手を、男が遮った。
 目で空を示す。
 卯は合点した様子で水筒のキャップを閉めると、土穴をみつめた。

 ふいに、頬に冷たいものをかんじて、僕はひゃっとなった。
 雨だ。
 土の道にぽつぽつと水玉模様がつきはじめる。
 卯の土穴にも雨粒が落ちた。
 ふたりはおなじ目線でそれを眺めている。

 僕は別れのことばなく、そこで卯と別れた。
 この土道の道中で、ひとつ、みつけたものがあった。



青黎
青闇夜藍色-雪と卯-
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