打ち師( 1 / 1 )
「まりもを買ってくる。」といって、帰らなかった父。
その父の母親である祖母から、僕は「打ち」を仕込まれた。
麺打ち。
うどんと蕎麦。
幼少から仕込まれただけあって、いまや僕の唯一の才能だ。
うどん粉と蕎麦粉を打たせれば、だれにも負けない。
それで僕は夕飯やをはじめた。
店を構えてやるやつじゃない。
家庭にうどんか蕎麦を打ちに行く。
完全予約制。
にちようび。
お客の家でうどんを打っていると、卯があらわれた。
僕の「打ち」を、楽しそうにみている。
道端の男はどうしたんだろうと思いながら、味見をさせてやった。
おいしいおいしいといって、おあずけをくらった犬の目をするので、一食分やることにした。
また、あらたに打てばいい。
しかし、うどんを啜る姿を見ているうちに、どうやらこいつは卯じゃないらしいと気づいた。
卯にそっくりな卯じゃない卯。
食べおわって、ふたたび、僕の「打ち」を眺める。
ふと、僕はここが個人宅だということを思いだした。
するとこの卯じゃない卯は、この家の住人なのだ。
だったら、あらたに打つ必要はなかった。
なかったが、打ちはじめたものは作るしかない。
卯じゃない卯は、僕の「打ち」がおわるのを見届けて、すーっと、おおきな深呼吸をした。
それから、ふいに立ちあがると、トイレにでも行くのかと思いきや、玄関から出ていってしまった。
「あれが空き食かぁ。」
留守宅にあがりこんで冷蔵庫の残り物を食べる、空き食という犯罪が、ここのところ増えている とテレビでやっていたのだ。
ぼんやりと感慨に耽っていると、お客が帰ってきたので、打ちたてのうどんを出す。
洗い物がおわったところで報酬をうけとった。
外にでると、もうすっかり月。
雲が多い。
回り灯篭のように月を過ぎる雲。
何枚か写真を撮った。
卯はどうしているだろう。
卯じゃない空き食は?
まりもを買いに行った父。
なぜまりも?
あの日以来ずっと、抱いている疑問はまりも。