悲しみの化身

 「そこまで言うんなら、犬を飼ってみようか。そういうことで、子犬をプレゼントしてくださる」唐突に、執事に話を振った。執事は、一瞬、目を大きく見開き、笑顔を作りながら、返事した。「喜んで!子犬でございますね。どんな子犬をご希望ですか?」執事は、左横の亜紀の顔を覗いた。亜紀には、すでに飼いたい犬は決まっていた。「シェルティが欲しい」亜紀は、大きな声で返事した。

 

 執事は、大きく頷き、返事した。「かしこまりました。血統書つきのシェルティを後日お届けに参らせます。オス・メスどちらにいたしましょうか?」執事は、再度、亜紀に顔を向けて訪ねた。「男の子がいい」亜紀は、喜色満面で肩をすくめ答えた。アンナは、シェルティという犬がどんな犬か知らなかったが、子犬のかわいい顔を思い浮かべると、うれしくなってきた。執事もほっとした笑顔を見せた。アンナは車のプレゼントを断ったが、さやかは、BMWの車が欲しかった。「アンナ、この際だから、車も買ってもらいましょうよ。ほら、BMWが欲しいと言ってたじゃない」さやかは、アンナに声をかけると、執事に顔を向けた。

 

 執事は、即座に返事した。「はい、承知いたしました。BMWですね。M5セダンでよろしいですか?近くのディーラーといえば・・地行のBalcom BMWで購入いたしましょう」アンナは、さやかの独断にあきれ返ったが、これ以上断るのも気まずいような気がして、プレゼントしてもらうことにした。「それじゃ、オスの子犬とアイボリーのBMWをお願いします。会長には、どのようにお礼をしていいか、本当にありがとうございます」アンナは、深々と頭を下げた。びっくりした、執事は、即座に声をかけた。

 「お嬢様、お礼だなんて、会長のお気持ちでございます。これで、私も任務を果たし、胸を張って帰れます。お体にお気をつけられて、元気な赤ちゃんをご出産なされることを心より願っています。もし、何かあれば、執事にお電話くださいませ」執事は、携帯の電話番号が書かれた名刺をアンナの前に差し出した。アンナは、そっと受け取ると、名刺を両手で包み込んだ。執事は、安心した笑顔で席を立ち、深々とお辞儀をして、ベントレーに向かった。

 

 亜紀も執事の後を追って、外に飛び出していった。子犬をプレゼントしてくれたおじさんが大好きになったみたいであった。ベントレーが動き出すと、亜紀は大きく手を振って、大きな声で「ありがとう」とお礼の言葉を叫んだ。「亜紀ったら、本当に子犬が欲しかったのね。あんなに喜んでいる姿、始めてみたわ。拓也がいなくなって寂しかったのね。そういえば、最近、亜紀のこと、ほったらかしにしていなかったかしら。お腹の子のことばかり考えていたから」アンナは、亜紀の後姿を見て、今の自分の心を振り返った。

 

 さやかも亜紀の後姿を見て、改めて、亜紀の成長に気づいた。「亜紀って、気が効く子よね。きっと、立派な軍人になれるわ」さやかは、ちょっと冗談を言った。アンナは、またかと思い、さやかをにらみつけた。「早く、子犬こないかな~、楽しみだわ」さやかはルンルン気分で亜紀のところにスキップして駆け寄って行った。二人は、笑顔で話し始めた。

亜紀は、さやかを見上げ訊ねた。

「あのやさしいなおじさん、誰なの?」亜紀は、突然やってきて、アンナをお嬢さんと呼びかけた紳士に疑問を抱いた。「あ~、あのおじさんね。あのおじさんは、会長の執事なの。まあ、会長のお手伝いさんみたいなものね。今日は、会長の命令でやってきたみたいよ」さやかは、子供にも分かるように答えた。亜紀は、まだよく分からない顔をして、訊ねた。「会長って、誰なの?偉い人?金持ちなの?」亜紀は、会長という言葉が頭の中で飛び跳ねていた。

 

 さやかは、ほんの少し考えた。さやかも会長の本当の素性を知らなかった。単なる憶測で、アンナの父親であると思っていたに過ぎなかった。このことは十中八九当たっていると確信していたが、確証はなかった。会長のことを父親と言おうと思ったが、おじいちゃんにすることにした。「会長って、とっても親切なおじいちゃんなの。だから、思いっきし、甘えていいのよ、亜紀。お金は、腐るほど持ってるんだから」さやかは、子供たちを殺し続けている化学兵器を製造販売して、金儲けしている得体の知れないクソじじいから、汚い金をむしりとることにしていた。

 

 亜紀は、おじいちゃんと聞いて会いたくなった。「え~~、ママにおじいちゃんがいたの。いつか会いたいな~」亜紀は、パット笑顔を輝かせた。「あ、まあ、いつか、会えるときが来るかもね。おじいちゃんは、南の大きな島にたくさんの召使に囲まれて、気楽に生活しているの。でも、とても人と会うのを嫌っていて、少し変人なのよ。だから、人とは直接会わないのよ。だから、今日も、執事をアンナのところによこしたってわけ」さやかは、すぐには会えないように、適当に話を作った。

 亜紀の頭に、やさしいおじいちゃんの姿が浮かび上がり、ますます興味が湧いてきた。「だったら、いつか、おじいちゃんのところに遊びに行こうね、さやか。約束よ。おじいちゃん、犬すきかな~、シェルティ連れて遊びに行こうよ。良いでしょ」亜紀は、南の島と聞いて、楽園のようなところを思い浮かべ、すぐにでも行きたい気分になってしまった。さやかは、南の島と言ったことに後悔した。確かに南の島には違いなかったが、その島は、化学兵器を作っている人工の魔界島だったからだ。

 

 さやかは、おじいちゃんの話題から、子犬の話題に替えることにした。「そうだ、今度来る子犬の名前、なんにするの?もう決めてるの?」さやかは、最も気にしている子犬の話を持ち出した。「子犬の名前、う~ん、なにがいい、さやか」亜紀の頭が、子犬のことに切り替わったことで、ほっとした。これ以上、会長の話をしていたら、ますます作り話をしなければならなかったからだ。

 

 さやかは、悩んだ顔をして答えた。「そうね~、男の子だから、太郎はどう?」さやかは、ありふれた名前をとりあえず言ってみた。亜紀は、さやかをダサい大人と思った。あまりにも、ありふれた名前を平然と言ったさやかに少しがっかりした。「太郎・・今時、はやんないんじゃない、もっとかっこいいい名前、ないかな~、スパイダーってのは、どうかな~?」亜紀は、スパイダーマンを思い浮かべて言ってみた。

春日信彦
作家:春日信彦
悲しみの化身
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